第24話 悪器


「し、死体……?」


 僕は、目の前に現れたステータスの文字を何度も見返す。

 何なんだコレは……アリスさんが、死んでいる?


「おい、サズ子‼」

『私は何もしてない。強いて言えば、隠蔽魔法を解除しただけ』

「ふざけるな! それじゃあ、アリスさんは最初から死んでいたって言うのか⁉」

『そう』

「そうって……」


 サズ子のそのただ事実を肯定するように酷く平坦な声を聞いて、僕は混乱する。

 本来、死者が動いているだけでも異常なのに……何だ、このサズ子のかのような雰囲気は。


『蒼、あの女を良く見て欲しい』

「え?」

『何か違和感があるはず。生物であるなら必ずあるはずの何かが、あの女には欠落している』


 その言葉を聞いた瞬間、不快な心臓の鼓動が僕を揺らす。

 ……確かに、サズ子の言う通り違和感はあった。

 それは、見たら誰だって分かる。致命的な違和感だ。

 僕はそれから、必死に目を背けていた。

 何故なら、それを認めてしまうのが……恐ろしかったから。

 しかし、サズ子はそんな現実逃避を許しはしない。

 僕は恐る恐る、目の前の少女を見る。


 少女は、未だに黒銀の槍に腕を貫かれて苦しげに蹲っている。

 だが、少女の腕からは……何故か、ただの一滴も血が流れてはいなかった。


「……【ステータス】」


 少女は絞り出すようにそう呟き顔を上げると、表示された自分のステータスを確認して愕然としたような表情をする。


「隠蔽魔法が……解けた? いや、隠蔽魔法どころじゃない……誓約魔法も……封印魔法すらも解けているのか?」


 その時、少女の腕の傷から黒い霧のようなナニかが滲み始めた。


「……っ! 天叢雲! 私の腕を代償にする! 今すぐ、斬り落とせッ‼」


 ザンッ!


 アリスさんがそう叫ぶと同時に、剣が勝手に動き出し槍に貫かれていたアリスさんの腕を斬り落とす。

 ……いや、それだけじゃない。

 剣は生き物のようにアリスさんの腕に絡みつくと、あれだけ美しかった刀身が醜く裂けた口のように真っ二つに割れて、おもむろにアリスさんの腕を喰い始めたのだ。


「な……っ⁉︎」


 僕はその、あまりにおぞましい光景に思わず言葉を失った。


『あれは、悪器っ⁉』

「あ、悪器って、お前の事じゃなかったのか?」

『そうだけど、私をあんな低級と一緒にしないで』

「いや、低級とかそう言う問題か……?」


 やがて、剣はアリスさんの腕を綺麗に平らげると、まだ足りないと言うように次は片腕を失ったアリスさんに向かって飛び掛かる。

 僕はそれを見た瞬間、咄嗟にアリスさんを助ける為に走り出していた。


 サズ子の拘束はとっくに解けている。

 今の僕なら、走ればまだ間に合うはずだ!


「……そうか。お前にかけていた魔法も解けてしまったのか……だが、お前如きが調子に乗るなよ。今の私は、何の誓約も封印も受けていない」


 しかし、僕がアリスさんを庇うより先に、アリスさんは海のように青い蒼眼を輝かせると、自ら残った方の腕を差し出すように前に伸ばす。


「境界神の魔法書、原典に接続。我は王の見た夢。鏡の境界を犯す者。我は選択する。歩むことも、識ることも、怒ることも、癒すことも、逃げることも、壊すことも、その全ての決定権は我にある。この世の何者も、我に逆らうことなど出来はしない。我が名は、鏡の支配者なり。権能発動【命令権限】」


 その瞬間、アリスさんの身体から瞳と同じく神々しいまでの海色の光が放たれた。


「下種が、私に触れるな。【女王命令ディアーナ】」


 アリスさんは、自分に襲い掛かって来た剣をそのまま掴む。

 しかし、アリスさんの絹のような柔肌が傷つく事は無い。


「……お前に、この私を傷つける権利などない。それどころか、反逆する権利すら与えてはいない。それらの権利は全て、私が保有しているからだ。お前は私が決めた通り、大人しく服従していろ」


 アリスさんから放たれていた光が伝染するように剣に移ると、そのまま剣に吸い込まれるように消えていく。

 すると、あれだけ暴れていた剣は動きを止め、服従するように元の形状に戻った。


 な、何だ、あの魔法……? まるで、手を出す暇が無かった。


「……あの、アリスさん」

「ああ、少し待て」


 僕が声をかけると、アリスさんは剣を鞘に納めて立ち上がり、闘技場の中心から観客席に唯一取り残されていたオッサンの元まで一息にジャンプした。


「ソルド少将。貴様は、ここで起こった出来事の全てを忘れろ。そして、自分が犯した罪を悔やみ、その生涯を海軍に捧げるがいい」

「……はい」


 アリスさんから放たれていた光が、再び伝染するようにオッサンを包み込むと吸い込まれるように消えると、顔を青ざめさせていたオッサンは人が変わったように冷静になり、アリスさんに短くそう返事を返す。


 ……まさか、あの光には洗脳効果があるのか?


「さて、待たせたな」

「……」

「そう警戒するな。どうせ、誓約魔法同様、全ての魔法は君には効かないのだろう?」

『当たり前。蒼に危害を加える全てのモノは、何であろうと私が喰らい尽くす』

「ほう。その割には、随分と【簒奪者】に怯えているようだが?」

『だとしても、あんな女に殺されるほどのマヌケじゃないから安心して欲しい』

「言うじゃないか。もう一度、試してみるか?」

「私はそれでも構わないけど、辞めておく事にする。貴女の為に」

「ふむ……。それは、どういう風の吹き回しだ?」

「簡単な話。化け物退治には、同じ化け物をぶつけるのが有効と考えただけ」

「……なるほど。実に悪器らしい回答だ」


 すると、アリスさんは同情したような目で僕を見つめる。


「すまんな、蒼。出来れば、その悪器を君から引き剥がしてやりたいが……どうやら、そいつはこの私の手にすら余る存在のようだ」

「それは困りましたね。どうやったら、このメンヘラが僕を諦めると思いますか?」

『残念、私は死ぬまで蒼を離さない』

「だそうだ」

「余命宣告の次くらいに致命的な宣告を受けたんですけど」

『ねえ、私はこんなに蒼に尽くしているのに、何故そこまで言われなければいけないの?』

「……君が、本当にその子に尽くしている事を願うよ」


 アリスさんは疲れたように溜息を吐くと、出口へと向かう。


「さて、それではそろそろ皆を呼び戻すとしよう。最終試験はまだ終わっていないからな。君は、悪いがこのまま私の執務室まで付いて来てくれ」

「は、はい」

「良い返事だ。色彩魔法【擬態トリック】」


 その魔法が発動した瞬間、アリスさんの身体は元の大人の姿に戻った。

 ……いや、さっきまでの姿が本来の姿なのか?

 僕は凛々しく美しい大人の姿になったアリスさんを見ながら、右眼に映ったアリスさんの本当のステータスを思い出す。


 僕は、未だに目の前にいるアリスさんが……すでに死んでいるという事が信じられない。

 大体、仮にそうだとしても何故死体が生きているかのように動いているというのだろう?

 

 駄目だ……分からない事が多過ぎて、頭が破裂しそうだ。

 それに、サズ子の事もまだ解決してはいない。

 一体、僕は今何に巻き込まれているのだ。



****************



「着いたぞ」

「お邪魔します……」


 あの後、アリスさんに連れられてやって来たのは、海軍基地の最上階にある豪奢な執務室だった。

 部屋の中には重厚で巧みな装飾がなされた仕事机と、まるで貴族が座っていそうなほどフカフカで座り心地の良さそうな椅子があり、見ただけで相当なお金がかけられている事が分かる。

 また、部屋の中央には来客用のソファーと足の短いガラス張りの机などもあり、仕事の合間に休憩する時にも利用出来そうだ。

 本来なら、まさに理想的なワークスペースだと言えるだろう……しかし、それらの高級そうな備品の数々は全て大量の書類の山に埋もれてしまっていて、全く意味を為していなかった。


 こ、これは、また……。


「私が第二海層の元帥に就任してから、一向に片付かない仕事の山だ。中には数年手が付けられていないものもある。この部屋から書類がなくなる日が来るとすれば、それは海軍が無くなる時だろうな」

「お、お疲れ様です」

「ああ、本当に……」


 ど、どうしよう……。アリスさんの目から完全に光が消えてしまっている。

 僕はようやく、アリスさんの気持ちが分かった。確かに、こんな強敵仕事の山に立ち向かうくらいなら、実際に戦っていた方が幾分かマシかも知れない。


「まあ、とにかく座れ。書類に埋まっていて、多少窮屈かも知れないがソファーがある」

「あ、ありがとうございます……」


 僕が書類を踏まないように脇に避けながらソファーに座ると、アリスさんも対面にあるにソファーに腰掛けようとする。

 ……しかし、テーブルの上にある書類の山のせいで、対面に座ると僕の顔が見えなくなる事に気が付き、諦めたように溜息を吐くと僕の隣に来た。


「非常に申し訳ないのだが、隣に座らせて貰ってもいいかな?」

「あ、はい。どうぞ、僕の事なんか気にしないでください」

「ありがとう」


 アリスさんは綺麗な動作でソファーに座ると、憂鬱そうな顔で目の前の書類を眺める。

 きっと、この後もやらなきゃいけない事がたくさんあるのだろう……僕は何だか申し訳ない気持ちになりながらも、その儚げで美しい横顔に思わず見惚れてしまった。


 その時、突然僕の右腕にキツく巻き付いていた古布が解けて、黒髪の美少女へと姿を変える。


「蒼、私も隣に座ってもいい?」

「嫌だ」

「……」


 サズ子は無言で僕を押し退けて無理矢理隣に座ると、抗議するように頬を抓る。

 狭いし痛いし、とても不快だ。


 何故、コイツはこのタイミングで人の姿になったのだろうか?


「さて、何から話そうか……」

「あの……その前に、本当にすみませんでした」

「うん? 何がだ?」

「何がって……だって、この性格も口も悪い女のせいで、アリスさんの腕が……」

「それを私のせいにされるのは、とても不満。あれは誰がどう見ても、自分で斬り落としていた」

「いや、結果的にそうせざるを得なくなっただけで、お前がさっさと槍を抜かなかったのが原因だろ」

「それを言うなら、そもそも調子に乗って勝負を仕掛けてきたその女の自業自得。それに、私は最初からこんな所に来るのは反対していた。ここに来たのも私の力を使ったのも、全部蒼の意思なんだから、私に責任を求められても困る」

「でも、アリスさんと戦いたがったのはお前だろ。それにここに来てからずっと思ってたが、事あるごとに僕の身体を勝手に使うんじゃねえ」

「私は、ただ貴方を——」


「ストップだ。二人とも」


 僕達が言い争っていると、呆れた顔でアリスさんに止められる。


「蒼、私は腕を斬り落とされた程度で怒っては……いや、若干思うところはあるが、それは自分の未熟さに対してだ。気にするな」

「でも……」

「ほらね」

「……なあ、お前には罪悪感っていう気持ちはないのか?」

「そんなものはない。それは人間にのみ与えられた業だから」

「お前を少しでも人間扱いした僕が馬鹿だった……」

「そうだよ。だって、私は神だもの」

「お前みたいな神がいてたまるか」

「……いや、それはあながち否定出来ない」

「え?」


 その時、アリスさんの口から信じられない言葉が飛び出した。


「悪器に関して分かっている事は少ないが、元々悪器は神器と呼ばれており、国宝のような扱いをされていたという歴史を持っている」

「じ、神器ですか?」

「ああ、意思を持ち、所有者に絶大な力を与えるそれは、まさに神が宿っているとしか思えないほどの強力な武器だ。君も悪器の力は、その身を持って知っているだろう?」

「そ、それはそうですけど……でも、僕はとてもサズ子が神様だなんて信じたくありません」

「さりげなく、とても酷い事を言われている」

「その通り」

「……え、あれ? この流れって、私が褒められるパターンじゃないの?」

「何故、神器と呼ばれていたほどの物が悪器と呼ばれるまで堕ちてしまったのか……それは、悪器が所有者を必ず不幸にしたからだ」

「不幸にですか……」

「ああ、中でも君の持つ槍は酷い」

「失礼な」

「その黒銀の槍は、元々第七海層にあった神国エデンの神器だった。その力は凄まじく、槍の所有者に選ばれた者は一振りで海を切り裂く剛力と、何者にも貫かれぬ不滅の身体を得られたと言われている」

「全くの嘘じゃないですか」

「この私の力の詳細を、あの国が漏らすワケがない。その伝承は、私の力を見た周囲の国家が勝手に言っていただけ」

「それっぽい事を言うんじゃねえ」

「君達は、本当にすぐ喧嘩をするな……それだけ、仲が良いという事なのか?」

「いえ、全く」

「私と蒼の間には、切っても切れない絆がある」

「……はぁ、私は君があの伝説の黒銀の槍なのか分からなくなってきたよ」

「伝説?」

「言っただろう。私が今話しているのは歴史……つまり、昔話だ。もっと言うなら、これは神話とさほど扱いの変わらない。誰だって知っている御伽噺の一つと言ってもいい」

「神話……」

「どう? これで、少しは私の凄さが分かった?」

「ってことは、お前の歳って——」

「それ以上は、いくら蒼でも許さない」


 その時、初めてサズ子から背筋が凍えそうなほどの殺意を向けられた。

 なるほど、これがアイツの弱みか。良いことを聞けたな。


「それで、結局その御伽噺のオチはコイツの性格が神話級に酷いって事ですか?」

「いや、まあ、それもあながち間違いではないが……」

「キレそう」

「神話のオチはな、神国エデンは黒銀の槍の力で周りの国に次々と戦争を仕掛けた結果、第七海層全ての国を敵に回し——」


 ああ、なるほど。そのまま滅びてしまったのか。

 まあ、いくら強い国だって、周囲の国を全て敵に回してしまったら勝てないよな。


「神国エデン……及び、第七海層全ての国を黒銀の槍が喰らい尽くして終わる」

「……へ?」

「故に、黒銀の槍の悪器は別名【国喰い】と呼ばれ、災厄の悪器の一つとして数えられている。また、学者の中には神国エデンの滅亡を機に、神の力を人間が扱うのは悪だと言われるようになり、そこから転じて、神器は悪器へと名称を変えたのだと主張している者がいるほどだ。もし、この仮説が正しければ、呼び方は変われど我々は潜在的に悪器の力を神の力と認識している事になるな」

「そう、なんですか……」

「どう? これで少しは、頑固な蒼も私を神と認める気になった?」

「……だとしても。どちらにしろ、お前は最悪じゃねえか」

「それは違う。あの神話は私のイメージを落とす為に作られた悪意のある切り抜き」

「いや、こんな神話が出てくる時点で、お前のイメージなんて地の底だわ」

「決めつける前に、ちゃんと私の話も聞いて欲しい。神話の内容自体は別に否定しないけど、それには理由がある」

「……何だよ、理由って」


「……あの国は、調子に乗り過ぎた」

「お前は、今も昔も言ってる内容が変わらねえんだよ⁉︎」


 アリスさんの腕の件もそうだが、コイツは自分が一番被害を出すくせに自分の否を一切認めようとしない。

 きっと、似たようなノリで国も滅ぼしたのだろう。


「……なあ、お前はどうすれば僕から離れてくれるんだ?」

「蒼は勘違いしている。他の奴がどうかは知らないけど、少なくとも私は所有者をちゃんと守り抜いた。決して、不幸になんかしていない」

「本当かよ……」

「ああ、確かに黒銀の槍の元所有者なら、現代にも子孫がいるな」

「えっ⁉︎」

「ほらね、言ったでしょ! 私はちゃんと尽くす女なんだから!」

「急にテンションが高けえ……でも、そう言う神話に出て来るような人達の家系って、やっぱり記録してたりするんですか?」

「いや、そんな事はない。ただ、これは例外的に有名な話でな。元黒銀の槍の使い手だった男は、現第七海層最大の王国である失楽園の建国の父なのだ」

「それって……つまり、その人が国を作ったって事ですか⁉︎」

「凄い! 流石は、私が認めた男なだけはある! 彼の作った国ならば、私の事をさぞ褒め称えているに違いない!」

「……」

「あれ、アリスさん。急に気まずそうな顔をしてどうしたんですか?」

「い、いや、大変言いづらいのだがな……」

「「?」」


「その国は……現在、悪器をこの世界最大の災害と呼び、持ち込むどころか見たことがある者は入国する事が出来ないほどの……アンチ悪器国家なんだ」

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