第22話 不屈の少年と不幸な少年
「蒼……」
「ごめん、ヴァン。負けちゃった」
僕は闘技場を出ると、観客席でずっと試合を見守ってくれていたヴァンの元に行く。
「あははっ。まあ、僕の目的は上の海層に行くことだからね。海軍になれなくても、自力で何とかする事にするよ」
「お、おい、蒼?」
「それじゃあ、敗者の僕があんまり長くここにいるのも良くないだろうし、そろそろ行くよ。ヴァンは、絶対海軍になれよ。じゃあね」
「ちょっ⁉︎ 待てって、蒼!」
ヴァンは立ち去ろうとする僕の腕を強く掴むと、グイッと引っ張る。
「お前が何を気にしてるか知らねえけど、俺はさっきの試合は、蒼が精一杯戦った結果だと思ってるぞ」
「……」
「それに、俺が気付いてないと思ってんのか? お前は、俺の事を心配して海軍試験について来てくれたんだろ」
「それは……」
「だったら、最後までちゃんと見届けてから行けよ。お前が俺の事をどう思ってるかなんて知らないけどよ……俺は、お前の事をダチだと思ってる。だから、大丈夫だ」
「ヴァン……」
僕がヴァンの方を振り向くと、ヴァンは笑みを浮かべながら僕の肩を叩く。
「俺の試合、次なんだ。最前列で応援頼むぜ、親友」
「……ああ、負けんなよ」
「おう。任せろ」
ヴァンはそう言うと、大きく手を上げながら闘技場に向かう。
……はぁ、ヴァンには敵わないな。
「へぇ、お前ら友達なのか」
「……っ」
「そりゃあ、楽しみだぜ」
突然、背後から気配を感じたと思うと背中を蹴られる。
後ろを振り向くと、そこにはいつものニヤケ面をしたヒム・ホーキンスがいた。
「次の試合、俺も出るんだよ。応援頼むぜぇ」
「お前が……っ⁉︎」
「良かったぜ。お前に逃げられる前に一泡吹かせられそうでよ」
「お前……ヴァンに危害を加えたら許さないぞ」
「そりゃあ、無理な話だ。何て言っても、俺も海軍になりてえからなぁ」
ヒム・ホーキンスはそう言うと、いやらしく笑いながら闘技場に向かう。
「……ヴァン」
****************
闘技場で試合が始まるのを待っていると、金髪で背の高い男が現れた。
……コイツは、受付の時に俺達に絡んできた二人組の男か。
「よう。お前、赤組の生き残りなんだってな」
「……それが、何だよ」
「いや、俺の相棒が赤組でよ。あの化け物みてえに強い女のせいで失格になっちまった。確実にお前よりは強かったはずなのに、何でお前は生き残ってんだろうなと思ってな」
「それは……」
「ああ、そっか。お前、あの女に媚でも売ってキャリーして貰ったのか。通りで、弱そうなお前が一次試験を通過出来た訳だ」
「……」
「だが、天下の海軍にお前みたいな弱い奴はいらねえんだよ。お前の友達の殺人鬼と一緒に、大人しくお家に帰りな」
「蒼は、殺人鬼なんかじゃねえ……っ!」
「そろそろ、第二試合を始めたいと思うのですが、お二人共準備はよろしいですか?」
その時、近くにいた試験管が俺達の間に割り込むようにそう告げる。
「再度お伝えしますが、お二人共相手を死に至らしめるような攻撃は禁止ですからね」
「……はい」
「分かってますって、第一試合の奴等と一緒にしないでくださいよ」
「……っ!」
「……それでは、これからヒム・ホーキンス対ヴァン・ブラッドの模擬戦を開始します! 試合開始!」
「【隠者】」
試合が開始した直後、ホーキンスは姿を消した。
「な……ぐぁっ⁉」
俺が目を見張っていると、真正面から何者かに殴られたかのような衝撃に襲われる。
……これは、魔法で姿を隠しているのか⁉
俺は牽制する為に正面に拳を振るうが、拳は空を切るだけで全く当たる気配がない。
「こっちだ」
「がぁっ⁉」
すると、真横から再び殴られる。
クソッ、姿が見えねえから避けられねえ!
「ははっ、こりゃあいいサンドバックだぜ。精々、長く俺を楽しませてくれよ。こっちは、ストレスが溜まってんだ」
「卑怯だぞ……っ」
「あん? 何が卑怯なんだよ。俺はちゃんとルールに則って、正々堂々模擬戦をやってるぜ。お前の友達と違ってな」
「……お前は、何でそんなに蒼を目の敵にするんだ?」
「別に、目の敵になんてしちゃいねえさ。俺はただ事実を言ってるんだよ。しかし、お前は良くあんなおっかねえ奴の友達なんてやれてるな。俺だったら、とても怖くて近づけねえよ」
俺は、強く歯を食いしばる。
親友を馬鹿にされるのが、こんなに腹が立つなんて知らなかった。
「何も知らねえ奴が……蒼を語るんじゃねえ」
「おーっ、怖いねえー。弱い奴が随分とイキるじゃねえか。ここには、お前の事を守ってくれる奴なんざ一人もいねえぞ?」
「……知ってるさ」
俺は観客席にいる、蒼の心配そうな顔を見る。
……情けねえ。俺は、まだアイツにあんな顔をさせちまってる。
「だからこそ、俺はここで負ける訳にはいかねえんだ」
「ははっ、そうかよ。じゃあ、精々粘るんだな」
****************
「おい、神……これはなんだ」
『別に、見たいかなと思って』
僕は唇を悔しさで嚙み千切りながら、
ヴァンは、もう血だらけだ。
顔は腫れ上がり、剥き出しの肌には痛々しい痣がいくつも出来て、綺麗な部分を見つける事の方が難しい。
しかし、どんなに攻撃されようとヴァンは決して諦めようとはしない。
……ホーキンスは、笑いながらそんなヴァンの事を殴り続けている。
おかしい。アイツは、今魔法で姿を隠しているはずだ。
現に、ヴァンは今も見当違いの方を見ながら必死に戦い続けているし、僕の右眼にはホーキンスの姿が映っていない。
なのに、左眼にだけ何故かホーキンスの姿が見えるのだ。
「ふざけるな……っ! 何の嫌がらせだ!」
『じゃあ、貴方は目の前の光景から目を背けるの? 貴方の目的は、あの少年の海軍試験を見届ける事だったはず』
「……っ」
……こんなの、すでに海軍試験でも何でもない。ただのワンサイドゲームだ。
今すぐにでも闘技場に乗り込んで試合を辞めさせたいが、僕の身体は誓約魔法によって縛られていて動く事すらままならない。
『……私だったら、その誓約魔法を破ってあげられるよ?』
「なら、今すぐやれ」
『それは無理』
「何でだ!」
『今のままじゃ、力が足りない。誓約魔法を破るには、蒼が私の名前を呼ぶ必要がある』
「……」
『別に強制はしない。でも、貴方は大切な親友の事を我が身可愛さに見捨てるような人じゃないでしょう? ねえ、蒼』
……僕は聖人じゃない。それに、こんなあからさまな罠に気が付かない愚者でも無い。
神の言うことを聞いてもロクな事にならないのは、さっきの試合で証明された。
そもそも、コイツが神なのかどうかも怪しいし、記憶を失ってなお、コイツの名前は呼ぶなと僕の本能が訴えてくる時点で相当ヤバいのは分かっている。
しかし、それでもなお、コイツの思い通りに動いてしまう僕は……きっと大馬鹿者だ。
「サズ——」
「蒼ッ‼」
その時、闘技場全体に声が響き渡る。
「余計な事……すんじゃねえよ」
「……ヴァン」
「お前が……俺の事を心配してんのは分かってる…………俺は、弱えからな……でも、だからこそ、お前の手を借りる訳には行かねえ……そうしないと、お前は安心して上の海層に行けないだろ?」
「……」
「……俺を信じろ」
ヴァンは何度も荒い息を吐きながらそう言うと、静かに前を向く。
しかし、その目線の先には……。
「けっ、負け犬がうるせえなぁ。どんなに吼えようが、お前は俺の姿すら見ることなくここで終わるんだよ。いい加減、諦めろや!」
そうして、ヴァンの
僕は思わず危ないと叫びそうになるが、試合に関わる一切の手助けは誓約魔法で禁じられている為、声をあげる事すら叶わない。
そして……ホーキンスの拳は、そのままヴァンの顔にめり込むように撃ち込まれた。
骨が砕け、肉の潰れる嫌な音がすると同時に、血管が破裂したように大量の血液がボタボタと地面に流れ落ちる。
——しかし、それでもヴァンは倒れない。
それどころか、撃ち込まれたホーキンスの拳を掴むと力強く握りしめた。
「ようやく、掴んだぜ……お前、今完全に俺が倒れると思って油断してたろ」
「なっ⁉ おまっ、放しやがれ! 死にぞこないのクソガキがっ! お前の何処にそんな力がありやがる⁉」
「……実は、蒼にも教えた事が無かったんだけどな。俺は……スキル持ちなんだよ。と言っても、普段は全く役に立たねえクソみたいなスキルだが……」
ヴァンは、掴んでいたホーキンスの拳を思いきり握り潰す。
「がぁぁああああああああああッ⁉」
「【不屈】……瀕死状態の時のみ、飛躍的にステータスを上昇させる。俺のとっておきだ」
「お、お前……っ⁉」
「終わりだ、クソ野郎……! 俺の親友を二度と馬鹿にするんじゃねえぞッ‼」
振り抜かれたヴァンの拳はホーキンスの身体に突き刺さると、轟音を響かせ闘技場の端にある観客席までぶっ飛ばした。
「はは……っ、凄え」
まさか、ヴァンにこんな力があったなんて……もしかしたら、僕よりも強いんじゃないか?
こちらに向かって親指を立てているヴァンを見ながら、僕はようやく自分が本当に大馬鹿者だった事に気が付く。
……何が親友だ。僕は、ヴァンの事を少しも信頼してなかったんじゃないか。
ヴァンはいつだって、僕を信じていてくれたのに。
……その時、ヴァンの後ろから影が現れる。
それは……ヴァンに吹き飛ばされたはずのホーキンスだった。
——ッ! 何で、アイツが⁉
僕が慌てて観客席の方を見るが、そこにいたはずのホーキンスは
それに、試験管もまた試合終了の宣言をしていない! まだ、試合は終わってないんだ!
しかし、僕がヴァンにその事を伝えようとすると、再び誓約魔法が僕を縛り声を発する事が出来なくなる。
ホーキンスはその間に腰に差していた銃を引き抜くと、その銃口を真っ直ぐヴァンへと向けた。
……そして、引き金はあっさりと引かれる。
「——サズウェル」
『契約完了。宿主である天条蒼の××と引き換えに、スキル【
パリンッ。
僕の脳内から何が砕けた音がした瞬間、身体が自由に動くようになる。
僕は一瞬でヴァンの元に移動すると、ヴァンに覆い被さるように銃弾を受ける。
……しかし、僕の身体を銃弾が貫通する事は無かった。
何故なら、僕の右腕の傷跡から蛇のようにその身をしならせた黒銀の槍が這い出てくると、甲高い音を立てながら銃弾を弾き返したからだ。
「は?」
「——私の蒼に、危害を加える事は許さない」
右腕から槍が完全に出てくると、槍に結びついていた古布が瞬く間に病的なほど白い肌をした黒髪の美少女へと姿を変える。
そいつは触れたら折れてしまいそうな白く細い腕で黒銀の槍を持つと、目にも止まらぬ速さでホーキンスの顎を槍の柄で打ち抜いた。
「がぁ……っ」
顎を砕かれたのか、ホーキンスはおかしな形で口を開けたまま倒れる。
ホーキンスは、そのまま白目を向いて気絶してしまった。
僕はそれを酷く冷静な目で見届けると、確信を持って少女に問いかける。
「……お前が、神様か?」
「そう。この姿で会うのは久しぶりだね、蒼。あと前から言おうと思ってたんだけど、私の事はサズ子って呼んで」
****************
「……蒼」
「ヴァン……ごめん」
「……いや、謝らないでくれ。結局、俺はお前に助けられちまったな」
ヴァンは力なく笑うと、ほんと情けねえと呟いて意識を失ってしまった。
僕は倒れてきたヴァンを慌てて支えてやると、そっと地面に寝かせる。
は、早く手当しないと……でも、僕に医療の知識はないし……。
「大丈夫。見た目は酷いけど、死ぬような怪我ではない。あの男も誓約魔法で縛られていたから、そこまでの攻撃は仕掛けられなかったはず」
「……本当か?」
「うん。それより、私の可愛い姿を見た感想は無いの?」
そう言うと、神様……サズ子は黒地を基調としたフリルのたくさん付いた服を、僕に見せつけるようにくるりと回る。
確かに自分で可愛いと言うだけあって、その姿は街で見かけたらつい視線を向けてしまいそうなほど妖しげな魅力に溢れている。
しかし、正直ヴァンの怪我と比べたら、今はそんなことクソどうでも良い。
「……何か言ってくれないと、八つ当たりでこの部屋を吹き飛ばす」
「いじけ方に可愛らしさが欠片もねえな⁉」
「はい、病んだ。今からここにいる奴等全員、そこの少年と同じくらいボコボコにしてから死んでやる」
「やめろ、馬鹿! 何、出来るだけ周りを不幸にしてから死のうとしてんだ⁉」
「……ここまで言ってるのに、引き止めるどころか罵倒してくるとか鬼畜の所業過ぎて更に泣いた。この悲しみは、私一人じゃとても抱えきれない」
少女はそう言うと観客席の方を向きながら、見た目にそぐわぬ剛力で手に持つ黒銀の槍をビュンビュンと振り回して風を切る。
「お、おい、本当に喧嘩売ろうとすんなよ⁉ ここは仮にも海軍基地のど真ん中だぞ⁉」
「どうしよもなく悲しくて自暴自棄になると、平気でトンデモナイ事をやらかす……女ってそういうものよ」
「そんな訳ねえだろ⁉ 全人類の女性の方に謝れ! 大体、俺にはとてもそれが悲しんでる奴の行動とは思えねえよ⁉」
「……どうやら、話し合いはここまでのよう」
「なっ⁉ ぐぅ……っ! ………………………………か、可愛いです」
「良かった。全く、蒼は素直じゃない。照れて女の子に意地悪して良いのは、小学生までだよ?」
「……」
……何故、こいつは無理矢理可愛いと言わせておいて、ここまで堂々とドヤ顔出来るのだろうか?
こんな最悪な奴、今まで見た事も無い。
僕は深く溜息を吐くと、サズ子と名乗った少女と対峙するかのように向かい合う。
……真面目な話、この少女は一体何者なのだろうか? 僕の勘違いでなければ、コイツは槍と共に僕の右腕から出て来たぞ?
僕は右腕に刻まれた、蛇が這いずったかのような傷跡をなぞる。
「お前達、一体何をしているッ!」
その時、あまりの出来事に呆然と僕達の方を見ていた観客席から、そんな怒鳴り声が聞こえてきた。
そちらを見ると、最終試験を観戦していた海軍のお偉いさんっぽい人達の中の一人が憤慨したように立ち上がっている。
「こんな事をして、許されるとでも思っているのか⁉ おい、誰か! 今すぐ、あのガキをつまみ出せ!」
「し、しかし……」
「何だ、ワシに逆らうのか⁉ ワシは海軍少将だぞ!」
……何だか、酷く偉そうなオッサンだ。
海軍の階級には詳しくないが、少将という響きからして別に大した事なさそうな気がするのだが……一体どのくらいの立ち位置の人なのだろう。
「おい、何をしている! 早く——」
「静かにしろ」
その瞬間、騒いでいたオッサンがまるで誓約魔法にでも掛かったかのように静まり返る。
……いや、オッサンだけじゃない。室内にいる全ての海兵達は、まるで身じろぎする音すら立てる事を恐れるように微動だにしなくなった。
僕達受験者は、突然訪れた沈黙に戸惑ったように周りを見ると、声のした方向を見る。
そこには、女神のように美しい一人の海兵が立っていた。
「試験管、これは何の騒ぎだ」
「は、はい、アリス元帥。只今、ご指示された通り海軍試験の最終試験を行っていたのですが、試合の途中で乱入した者が現れまして……」
「なに? 誓約魔法はどうした」
「わ、分かりません……」
試験官役の海兵さんが冷や汗を垂らしながらそう言うと、アリスさんは真っ直ぐ僕のいる闘技場を見下ろした。
「……ふむ。受験者達のステータスを見せろ」
「は、はい。ここに全て記載されております……乱入者の名前は」
「天条蒼……か?」
「そ、その通りです」
「なるほどな。分かった。私が話を聞く……闘技場に転がっている怪我人は、医務室に運んでやれ」
「あ、アリス元帥が直接事情を聞くのですか……?」
「そうだ。何か問題があるか?」
「い、いえ、了解致しました!」
すると、複数人の海兵さん達が闘技場へ走って来て、ヴァンとホーキンスを担架に乗せて何処かへと連れ去ってしまった。
たぶん、医務室に連れて行って貰ったのだろう。
本当なら、僕もヴァンに付き添って医務室に行きたい所だが……たぶん、それを許してくれはくれないんだろうな。
僕はコツコツと音を立てながら、まるで人が変わってしまったように冷たい目をしたアリスさんを見る。
「……ところで、君は誰だ」
「私? 私は、蒼の運命の人」
「いや、何言ってんだ、お前?」
「……そうか」
「アリスさんも、それで納得しないでくださいよ⁉」
しかし、アリスさんは僕の言葉を無視すると、まるで見極めるように僕の目を覗き込む。
「貴様は、何者だ? 何故、誓約魔法を破って試験に乱入出来た」
「あ、アリスさん?」
「質問に答えろ」
「それは……」
「蒼は、無意識のうちに闘技場の中に入っていた。私は蒼が攻撃されたから守っただけ。乱入したつもりはない」
「無意識だと? ふざけているのか?」
「ふざけてなどいない。私は、至極真面目。蒼は大切な恩人を背後から撃たれそうになったのを見て、身体が勝手に動き出していた」
「……だとしても、何故貴様にそんな事が分かる」
「言ったはず。私と蒼は、運命の糸で結ばれている」
不意に、サズ子が僕の右腕に抱き着いて来た。
僕は咄嗟に引き剝がそうとするが、サズ子は古布へと姿を変え、僕の右腕にきつく巻き付くと離れなくなってしまう。
「な、何だコレ⁉」
「黒銀の槍の悪器だと? まさか、それは……【国喰い】か?」
「く、国喰い?」
「ふむ……」
首を傾げる僕を見て、アリスさんは深く考え込むようにそう呟く。
「あ、アリス元帥! 発言の許可を!」
その時、先程まで騒いでいたオッサンが声をあげる。
「何だ、ソルド少将」
「どんな理由があろうと、その者は海軍試験のルールを破りました! ルールを守れない者など、海軍に要りません!」
「……そうだな。少将の言うことは最もだ」
「では——」
「だが、今は戦力が欲しい。悪器とはいえ、【国喰い】をただ逃すのは惜しいな」
「ですが……っ!」
「……そう言えば、受験者の中に随分と珍しい魔法を持った者がいたな」
「は?」
「名は、ヒム・ホーキンスと言ったか。隠蔽魔法など、そうそう手に入れられるモノじゃない。あれは、本来王族などのやんごとなき方達が身分を隠したり、緊急避難時用に使われる魔法だからな。隠蔽魔法の書は厳重に光海教会が封印しているし、写本ですら所有している国家は僅かだ。国家以外で唯一所有を許されているのは、光海教会と同盟関係にある我が
アリスさんは、ギロリと騒いでいたオッサンを睨む。
「もしも、一般人が隠蔽魔法を習得する機会があるとすれば、大国の宝物庫または我が海軍の禁書庫に忍び込み、隠蔽魔法の書の写本を盗み見るか、不正に持ち出すかのいずれかだろうな。勿論、そんな事をする命知らずはいないだろうし、ましてや秩序の体現者たる我が海軍の中にコソ泥が紛れ込んでいるハズもないだろう」
「……」
「だからこそ、私は不思議でならない。何故、王族でもない
「そ、それは……」
「話はあとで聞く。私が許可するまで、黙ってそこで座っていろ。その間、呼吸以外の一切の行動は禁止だ」
オッサンは全身の力が抜けたように座り込むと、顔を真っ青にしたまま動かなくなってしまった。
「……さて、余計な邪魔が入ったがそういう事だ。君はまだ、海軍に入る気はあるか?」
「え、でも……僕は」
「……そういえば、君は模擬戦に敗れていたな」
「はい……」
「だが、安心しろ……ここだけの話だが、最終試験では元々失格者を出す予定はない」
「え?」
アリスさんは、僕にしか聞こえないよう小声でそう言うとニヤリと笑う。
「この試験は、新人の実力を測るのが目的だ。つまり、特に問題を起こしていないのなら、君の友人は海軍に入るのがすでに確定している」
「……分かりました。それなら——」
『ちょっと待って』
すると、サズ子がストップをかける。
『そんな話は聞いていないし、そもそもあの少年が海軍に入るのなら、蒼がこれ以上付き合う必要はない』
「お、おい。勝手な事言うなよ、サズ子!」
『勝手でも何でもいい。恐らく、こいつ等の目的は
「あの女……?」
「ほう。そんな事まで知っているのか」
僕が脳内に響くような声で語りかけてくるサズ子と会話していると、アリスさんが面白そうに話しに割り込んできた。
「あ、アリスさん……もしかして、サズ子の声が聞こえているんですか?」
「ああ、鑑識魔法の中には、一部だが心を読める魔法が存在するからな」
「そ、そんな魔法まであるんですね……」
『今はそんな事どうでも良い。それより、話が早くて助かる。私達は海軍には入らない』
「ふむ。それは何故だ?」
『どうせ、お前達じゃあの女には勝てないから』
「そんな事ないさ。もしも、君が言っている人物が【
『……は?』
その言葉を聞いた瞬間、サズ子から初めて動揺したような声が漏れる。
『嘘を吐くな。お前があの女に勝ったのか?』
「無論だ。試してみるか?」
アリスさんはそう言うと、腰から刀身が透けて見えるほど蒼く透き通った美しい剣を引き抜く。
『……蒼』
「嫌だぞ」
サズ子が何か言う前に、僕は即答する。
どうせ、戦えとか言うつもりなんだろうが、そんなのお断りだ。
アリスさんは何だかすっかり臨戦態勢だが、そもそも僕は戦わずとも海軍に入れるのだから、サズ子に協力する意味なんて全くないのだ。
クオンの時とは、完全に立場が逆転している。
『……お願い。どうしても、確かめなきゃいけない事があるの。協力して』
「絶対に、嫌だ」
『どうして? 私がこんなにお願いしてるのに……酷いよ』
「おい、今更可愛い子ぶっても無駄だぞ。お前さっき、どんだけ僕の事を脅したと思ってんだ」
『あれは、ただ蒼に構って欲しかっただけ……悪気があった訳じゃ無い……』
「あっ、アリスさん。剣をしまって貰っても大丈夫ですよ。僕に戦う意志とか無いので」
『ねえ、蒼。一生のお願い…………もし、協力してくれ
「お前、脅しに出るタイミング早すぎんだろっ⁉︎ だから、僕はお前のことが嫌いなんだ‼︎ 普通、そこは協力する代わりに何か僕にメリットのある事を提示するなりして、もっと交渉しろよ⁉」
『……蒼が、もっと早くに協力する姿勢を見せてくれたのなら、私だってそれなりのお礼を用意してた』
「嘘つけ⁉」
『これは、本当。最初に肯定して貰わないと、それ以上否定されるのが怖くて素直になれない……女ってそういうもの』
「なあ、何でお前は毎度世界単位で人類を巻き込むんだよ? 世界の何処を探したって、そんな最悪な女はお前だけだ!」
『そんな事ない。嘘だと思うなら、目の前にいる女に聞いてみるといい』
「はぁ? まさか、アリスさんがそんな——」
「まあ、共感出来る部分はあるな」
「……あれぇっ⁉」
ここで裏切られると思ってなかった僕は、驚愕しながらアリスさんの顔を二度見する。
真実はどうあれ、まさかアリスさんがサズ子の方につくとは思わなかった。
『ほらね! だから、言ったでしょ⁉︎ これに懲りたら、毎回毎回私の事をディスるのをいい加減辞めて欲しい! これは、ただ蒼がどーーーーしよもなく女心を分かっていないだけ! 私が言うことは、本来なら百人が聞けば百人が肯定するの!』
「そんな訳ないだろ⁉ ここぞとばかりに、饒舌になりやがって!」
『ふーん。そんな態度を取っていいの? 今素直になれば、私が蒼に愛を込めたキスをしてあげようと思ったのに』
「死んでも戦えない
『それは流石に酷いと思う』
僕が座り込んで徹底抗戦の構えを見せていると、アリスさんが呆れたように溜息を吐く。
「立ちたまえ、蒼。私もその悪器がどれほどの力を秘めているのか、見極めなければならない。それには、君の協力が必要だ」
「……アリスさん」
『そうだよ、蒼。我儘言わないで』
「何でだ? 何で、お前はさっきから僕のやる気をゴリゴリと削って来るんだ? お前、本当は僕で遊んでるだけだろ?」
『そんなつもりは全くない。蒼が協力してくれたら私も凄く助かるし、キスだってちゃんとしてあげる』
「キスをしないと約束できるなら、協力してやる」
『それは出来ない』
「だから、何でだよ⁉ 何で協力するのとキスがセットになってくるんだよ⁉ 訳が分からない上に、それのせいで了承し辛いんだよ⁉」
『……しょうがない。そこまで言うなら、今回はフレンチだけで我慢してあげる。蒼はお子様』
「お前、譲歩した雰囲気だけ出しといてビックリするくらい引く気ないじゃん⁉ まさか、お前の目的って僕とキスするまでがワンセットなのか⁉」
『いや、別に?』
「お前、絶対僕で遊んでるだけだろ‼」
はぁーはぁーっと息を荒げる僕を、アリスさんは若干引いた目で見ている。
……ああ、コイツと関わるといつもこうだ。
「……いいか。負けても知らないからな」
『それでもいい。とにかく、全力で戦って』
「……はぁ。という事で、すみません、アリスさん。ご迷惑をかけます」
「あ、ああ、気にするな。仕事が立て込んでいて、私は一度も君が戦っている所を見れてはいないからな。そういう意味でも、君と戦うのが楽しみだ。私の事は気にせず、全力でかかってこい」
アリスさんはそう言うと、ワクワクしたように剣を構える。
……もしかして、アリスさんは戦闘狂というヤツなのだろうか?
僕は全く気が乗らないまま、槍を構える。
「では、行くぞ——」
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