第17話 恩人
「さて、それでは禁書庫を開くとするか。えーっと、確かここをこう動かして……」
アリスさんはそう言うと、目の前にある見上げるほどの大きな扉に手を当てる。
すると、扉の模様だと思っていた部分がまるでパズルかのようにスライドし始めた。
……ガチャンッ!
僕が驚愕しながらその様子を眺めていると、アリスさんが扉の模様を左右対称にした瞬間、扉から鍵が開いたような大きな音が聞こえてくる。
「よし、開いたぞ」
「えっと……、扉の開け方を僕に見せちゃっても良かったんですか?」
「なに、どうせ毎日扉を開ける手順は変えているだろう。それに君が悪事を働くような事があれば、私が捕まえに行くさ」
アリスさんは肩をすくめると、さっさと扉を開けて中に入っていってしまう。
別に悪事を働くつもりなどないが、それにしても凄い自信だな。
一応、僕のステータスは周りと比べてもかなり高い方だと思うのだが、アリスさんのステータスは一体どれほど高いのだろうか?
「どうした、早く入ってこい」
「あ、分かりました」
僕が想像以上に重たい扉をゆっくりと押し開けると、部屋の中は意外と広く、壁一面を埋め尽くすほどのたくさんの本が並んでいた。
本の保存の為か照明も薄暗くしてあるし、何だか秘密基地みたいで少しワクワクするな。
僕はアリスさんに手招きされると、部屋の真ん中にある読書スペースに腰掛ける。
「これが、鑑識魔法と言語魔法の魔法書だ」
アリスさんはそう言うと、僕の前に紐を通しただけの紙の束をぽんっと二部置く。
「はい?」
僕が思わず目を丸くして、それを見つめる。
えっと、これは一体どういうボケなのだろうか……?
「……ぷふぅっ。あっはっはっは! 良い反応だな、天条君!」
「……揶揄わないでくださいよ」
「いや、揶揄ってなどいないさ。これが、鑑識魔法と言語魔法の魔法書である【星読の魔法書】と【万詩の魔法書】……の写本さ」
「写本?」
「そうだ。考えてもみよ。魔法の書の文字を一語一句違わずに書き写せば、それは魔法の書と同じ効果を持つとは思わないか?」
「えっ、でも、魔法の書って、そんな単純な物なんですか……?」
「それは難しい質問だな。魔法とは、我々が数百年かけても原理を理解出来ない力だ。しかし、我等人類もただ愚かなだけじゃない。魔法の書に刻まれた異世界の文字と向き合い、試行錯誤の末に辿り着いた答えがコレだ。一見単純なように見えるが、これを一部作るのにどれだけの時間が掛かると思う? 文字の太さや長さ、一文字一文字の間隔、その全てが一致して初めて、魔法の書の写本は完成する。私には、とてもそれを単純の一言で済ませる気にはならない」
「……すみません」
「いや、謝らないでくれ、怒っている訳ではないさ。我々が、この【
「魔法の書を作るんですか?」
「その表現は少し違うな。この世界にはまだ漂流して来てない魔法の書を、偶然見つけ出すと言った方が正しい」
「でも、その魔法の書が異世界にあるかどうかは分からないじゃないですか?」
「それが分かるんだよ。何故なら、全ての魔法の書には原典が存在するからな」
「原典?」
「……そうだな。まずは、写本を見ながら説明しようか」
アリスさんは、ペラリと鑑識魔法の書のページを捲る。
そこには、全く理解出来ないグニャグニャの記号のような文字が書き連ねてあった。
「これが、魔法の書に刻まれている文字だ。訳が分からないだろう?」
「は、はい……」
「実は、この写本には鑑識魔法の魔法書の一部しか載っていない。しかし、これを読めば鑑識魔法【ステータス】が使えるようになる」
「じゃあ、この魔法の書の全文が載っているのが原典なんですか?」
「そうだ。しかし、恐らく君はまだ勘違いしている」
「え?」
「この世界に異世界から流れ着いた鑑識魔法の魔法書は、第五階層にある世海大図書館の禁書庫に保管されている。しかし、それはこの魔法の書の原典では無いのだ」
「……どういう事ですか?」
「つまりな、異世界からこの世界に流れ着いてくる魔法の書自体が、そもそも写本なんだ」
「……はい?」
どうしよう。訳が分からなくなってきた。
「難しく考える必要はないさ。要は、異世界で作られた魔法の書も目の前にあるこの紐を通しただけの紙束も、本質的には同じ物なんだよ。ただのオリジナルのコピーさ」
「で、でも、この世界に流れ着いた魔法の書が、原典ではないという証拠はあるんですか?」
「勿論、あるさ。魔法の書には、原典にしか記されていない【
そこで急にアリスさんは言葉を詰まらせると、嫌な事でも思い出してしまったように顔をしかめる。
「……すまない。つい、熱くなってしまった。私の悪い癖だ。許してくれ」
「い、いえ、凄く勉強になりました」
「そうか……」
「あ、アリスさん?」
ど、どうしたんだろう? さっきまで、あんなに楽しそうに喋っていたのに、急に憂鬱そうな顔をしたまま黙ってしまった。
と、とにかく、このままじゃ不味い。何か、別の話題を……。
僕は、咄嗟に思った事をそのまま口に出してしまう。
「ご、ご飯って、もう食べましたか?」
「…………はい?」
****************
「まさか、出会ったばかりの男の子にデートに誘われるとは思わなかったよ」
「し、失礼しました……」
「いや、とても新鮮な気分だ。一体、君はこの私をどんな所へエスコートしてくれるのかな?」
アリスさんはニヤニヤと笑いながら、僕の横顔を見つめる。
きっと周りからしたら、地味な少年が身の丈に合わない年上の女性を必死にナンパしているように見える事だろう。
……いや、違うのだ。
僕はただもうお昼時だし、お世話になったアリスさんに何かご馳走してあげたいなと思っただけなのだ。
誓って、下心があった訳では無い。
……しかし、困ったな。
勢いで誘ってしまったものの、正直な話、僕は記憶を失ってからずっと店長の家でお世話になっている。
なので、ここら辺にどんな店があって何が美味しいかなど全く知らない。
……やはり、ここは僕がこの辺で一番良く知っているお店に案内するしかないか。
「ここは……?」
「ああ、すみません。少し待っていてください」
僕は臨時休業と書いてある店の扉を開けると、店の上にある居住スペースに行く。
この店は、この店の店主の家でもあるのだ。
「店長、居ますか?」
「うん? おう、おかえり、蒼。魔法は覚えられたか?」
「はい。あの……それで、図書館でお世話になった人にご飯をご馳走してあげたいんですけど、厨房を借りても良いですか?」
「……女か?」
「……はい?」
店長はニヤリと笑うと、肩をポキポキと鳴らし始める。
「うーっし。それじゃあ、いっちょ腕によりをかけますか」
「て、店長? 何か悪い事を考えてませんか?」
「いや、何も?」
「店長⁉ だったら、何で急に僕を押しのけて、店の方へ駆け下りていくんですか⁉」
「がっはっは! ワシに任せろ、蒼! お前の恋路に、ワシがレールを敷いてやる!」
「ちょっ、待っ⁉ てんちょぉぉおおおおおおおおおおっ⁉」
ヤバい! 嫌な予感しかしない!
「へいっ、らっしゃい! 今うちの蒼と付き合えば、この店のメニューは全部食べ放題だよ!」
「やめろ、このクソ親父⁉」
僕は慌てて店長の口を塞ぐが、時すでに遅く、アリスさんは目を丸くしたまま僕を見ていた。
や、やってしまった……っ!
「ジェクト中将?」
……いや、誰それ。
****************
「あん? 誰だ、嬢ちゃん」
「……私です。やはり、覚えておられませんか? 二十年以上前に、私は貴方に命を救われたのですが……」
「ワシが?」
「はい。第五階層の魔法都市にいた、【
「お、おおっ⁉ あの小さな嬢ちゃんが、こんなに大きくなったのか⁉」
「はい。あれから、随分と時が経ちましたから……私は貴方のおかげで、今も生きていられます」
「いや、いやいやいや、そんな事はない。それは嬢ちゃんが、頑張って生きてきただけだ。と、とにかく座れ」
「はい。失礼します」
アリスさんはそう言うと、店にある簡素な椅子に腰かける。
すると、突然店長は僕の肩を掴んで、そのまま厨房の奥まで引っ込んでしまう。
「お、おい、蒼! どういう事だ⁉ ワシは、こんな事態は聞いてないぞっ⁉︎」
「いや、僕も知りませんでしたよ。店長がジェクトなんてカッコいい名前だったとは」
「今の問題はそこじゃねえ⁉ 大体、あんな別嬪さんをこんな店に連れてくるだなんて、お前正気か⁉」
「それは、確かに」
ここは飲食店だが、店の構造はどちらかと言うと屋台に近い。
一応、申し訳程度に椅子と机はあるが、ぶっちゃけ深窓の令嬢のような雰囲気を持つアリスさんは、この店の雰囲気から浮きまくっている。
完全に、店のチョイスを間違っていると言っても良いだろう。しかし、残念ながら僕が自信を持って連れて来られるのはここくらいしか無かったのだ。
「店長、僕が今から綺麗な食器を買って来るんで、店長はその間にアリスさんと談笑しながら、綺麗な食器に映えるオシャレな料理でも考えといてください」
「それ、どう考えてもワシの負担デカ過ぎるだろ⁉」
「大丈夫ですって、積もる話もあるでしょう」
「う、うーん。いや、こんな事を言うのも何だが、ワシは別にお礼を言われるような事はしておらんぞ」
「でも、アリスさんは店長に色々と言いたい事があるみたいですよ?」
「ど、どうすればいいと思う……?」
珍しく、店長は困り顔だ。
それに言葉にしなくとも、何となく僕に間に入って貰いたがっている雰囲気が伝わってくる。
……よし。
「それじゃあ、僕はそろそろ行ってきますね! あとは頑張ってください!」
「嘘だろ、蒼⁉ お前、この状況でワシを置いていく気か⁉」
「調子乗って、店に顔を出した店長が悪いんですよ」
「ぐぅっ!」
「……あの」
その時、店の中からアリスさんの声が聞こえてきた。
「あ、蒼っ! 嬢ちゃんが呼んでいるぞ! 嬢ちゃんはお前が連れて来た客なんだから、お前が対応してやれ!」
「え、えぇー……?」
僕は渋るが、店長は有無を言わさずに僕を店の中に押し出すと、自分は厨房に引っ込んでしまった。
すると、すぐにジュ―ッという音が聞こえて来る。
なるほど。僕に逃げられるくらいなら、さっさと料理を作って三人で食事をするつもりか。
僕は、呆れながら溜息を吐く。全く、いい年したおっさんが情けない。
「……迷惑だったかな?」
「いえ、あれは照れてるだけですね。気にしないでください」
僕は不安そうな顔をするアリスさんに向かって肩をすくめると、アリスさんの対面に座る。
「アリスさんも、店長に助けられていたんですね」
「……ああ、君とは少し状況が違うが、命を救われた事に変わりはない」
アリスさんは懐かしそうな顔をしながら、厨房の方を向く。
「ずっと、あの人にお礼が言いたかった。私が、海軍に入った目的の一つはそれだ。……しかし、君にも話したが、海軍は想像以上に厳しく管理されていてな。中々、あの人に会いに行けないまま、あの人は怪我を負って引退してしまわれたのだ」
「そうだったんですね……」
「ああ。しかし、風の噂で第二海層の何処かで店を出していると聞いてな。ようやく、今日休暇が取れたので会いに来たのだが、残念ながら臨時休業だったという訳だ。そこから先は、君も知っているだろう?」
「不思議な縁ですね」
「全くだ。私は運が良い」
「僕もです」
恐らく僕はアリスさんと出会わなければ、魔法を習得する事は出来なかったし、アリスさんは僕と出会わなければ、今日こうして店長と再会する事はなかっただろう。
「しかし、そうなると、君と一緒に海軍試験を受けよとしているのは……」
「ええ、店長の息子さんですね」
「……そうか」
「おおっと、嬢ちゃん。馬鹿な事を考えるなよ」
ドンッ!
すると、そこで山盛りに盛られた焼きそばを机に置きながら、店長が話に割り込んでくる。
「どうやら、嬢ちゃんはワシに恩を感じているようだが、ワシは嬢ちゃんが今まで何をしていたかも知らない薄情者だ。恩を感じる必要もないし、変な気を使う必要もない」
店長は持ってきた取り皿に適当に焼きそばを分けると、それをアリスさんの前に置く。
「すまなかったな。ワシは嬢ちゃんが、海軍に入っていた事なんぞとんと知らなかった。手紙でも何でも良いからワシに存在を知らせてくれていれば、ワシから嬢ちゃんに会いに行ったものを」
「……いえ、私は貴方の負担にはなりたくなかったのです。それに恩人にお礼を言うのに、恩人の方から出向かせてしまっては格好がつかない」
「気にせんでいい。ワシは助けた者が元気で生きてくれているだけで幸せじゃ。その為に、ワシは海軍に入っていたんじゃからな」
「……はい。存じております」
アリスさんは立ち上がると、深く頭を下げる。
「改めて、あの時は本当にありがとうございました。私は貴方に命を救って頂いたおかげで、今日まで生きていられます」
「顔を上げてくれ、こんな老ぼれなんぞに頭を下げるな。それより、腹が減っているだろう。一緒に飯を食おう。そして嬢ちゃんが今まで体験した話を、ワシに聞かせてくれ」
「……喜んで」
アリスさんは、本当に嬉しそうに顔を緩める。
きっと、これまでに積み重ねた色々な想いが溢れているのだろう。
……これは、間違いなく二人の人生の一ページに刻まれる。大切な時間だ。
これ以上、部外者の僕がここにいるのは無粋でしかない。
僕はそっと立ち上がると、静かにこの場から——
「……店長、この手は何ですか?」
「いや、別に何でもないが? それより早く席に座れ、蒼。こんな量の飯、ワシと嬢ちゃんだけで食い切れるはずないだろ」
「店長……台無しっす」
「やかましい」
僕は溜息を吐くと、仕方なく二人の思い出の中にもう少しだけお邪魔させて貰う事にするのだった。
****************
「は、吐きそうだ……」
「がっはっは! すまんのう、蒼! 作りすぎた!」
あの後、店長とアリスさんはこれまでの時間を埋めるように笑い合いながら、思い出話に花を咲かしていた。
……それは良い。
問題は食べても食べても無くならない、目の前に盛られた大量の焼きそばだ。
さては、店長。僕が絶対に逃げられないように、とにかく大量に焼きそばを作ったな……どうするんだよ、コレ。
「ふむ。少し手伝おうか、天条君?」
「い、いえ、お気になさらず……」
アリスさんが気を使ってそんな事を言ってくれるが、流石に女の人に食べるのを手伝わせる訳にはいかない。
それに、アリスさんは驚くほど完璧なスタイルを維持している。
きっと、食が細い方なのだ。失礼だが、あまり戦力にはならないだろう。
「ふふっ、天条君。さては、君は私を舐めているな?」
「え?」
「任せたまえ」
アリスさんは目の前の取り皿をどかすと、焼きそばが盛られているお皿ごと自分の前に持ってくる。
「あ、アリスさん?」
「お、おい、嬢ちゃん。あんまり無理すんなよ。最悪、蒼の口に無理矢理詰め込めばいいだけだ」
「それは、本当に最悪ですね」
このオヤジは、一体何を言っているのだろうか?
もしも、そんな事をされたら、恩人とか関係なく全然手出すけど?
「心配するな。普段から激務をこなす私は残念ながら、食事の時間すらまともに取ることが出来ない。なので、一度の食事で一日分のエネルギーを吸収出来るように胃が鍛えられているのさ」
アリスさんはそう言うと、上品に焼きそばを食べ始める。
僕の予想通り、その小さな口には一度にあまり多くの量は入らないようだ。
しかし、アリスさんの箸は止まることなく、次々と口の中に焼きそばを運び続けると、あっという間に大量に残っていた焼きそばは綺麗に無くなってしまった。
「うん? 何だ、もう終わりか。思ったよりも量が無かったようだな」
「マジですか……」
「ああ、ジェクトさん。ご馳走様でした。とても美味しい焼きそばをありがとうございます」
僕と店長が唖然とした顔でその様子を見ていると、アリスさんは面白そうに笑いながら、静かに席から立ち上がる。
「では、私はそろそろ失礼します。今日は、お会い出来て本当に幸いでした」
「お、おう。また、いつでも遊びに来てくれ、嬢ちゃん」
「はい。ぜひ、またお邪魔させて頂きます。天条君も、今日はありがとう。君のおかげで、素敵な時間を過ごせたよ」
「あ、いえ、アリスさんには、図書館でお世話になりましたから」
「いや、君がしてくれた事に比べれば、私がした事など大した事ではない。君が海軍になるのかは分からないが、試験とは関係ないところで、改めてお礼がしたいな」
「……でも、元々僕はお礼のつもりでアリスさんをここに連れて来たのに、そのお礼をされてしまったら本末転倒になってしまいます」
「……ふふっ、君は変なところで謙虚なんだな。それでは、せめて私の友人になってはくれないか?」
「友人……ですか?」
「ああ。もしも、何か困った事があったら、いつでも私に相談しに来てくれ。きっと、君の助けになる。それに友人が困っていたら、手を貸すのは当然だろう?」
アリスさんはそう言って、僕にウインクをする。
それは絵にして飾っておきたいほど、美しい仕草だった。
「……分かりました。僕も、もしアリスさんが困っていたら、全力で助けに行きます。友人として」
すると、アリスさんは不意を突かれたように目を丸くした後、嬉しそうに微笑む。
「……ああ、その時はよろしく頼むとする。また会おう、
そうして、アリスさんは店を後にした。
「……やるじゃねえか、蒼。記憶を失う前は、結構ブイブイ言わせてたんじゃねえのか?」
「いや、だから、覚えてないんですって……ていうか、それ印象最悪じゃないですか⁉」
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