第16話 海軍

 次の日、残念ながら店を臨時休業にせざるを得ない事件が起こった。

 それは……。


「だーかーらーっ! 俺は海軍になるんだよ!」

「お前が海軍になったら、この店は誰が継ぐんだ⁉」

「たたんじまえ、こんな店!」

「ああん⁉」

「それか、蒼に継がせろ!」

「それが出来たら、お前が海軍になろうが海賊になろうがもろ手を挙げて祝福してやる! だがな! ワシには非常に残念な事に、お前しかこの店を任せられる奴がおらんのだ!」

「アンタには、もうちょっと俺を引き止めようという意志はないのか⁉」

「だから、仕方なく引き止めてやっとるやろがい!」

「それで引き止められたら、最初から海軍に行こうだなんて思ってねえわ! 今、アンタが俺を引き止めてる力は草相撲よりも小せえぞ⁉」

「馬鹿野郎! 手押し相撲よりも力強く押し出しているに決まってるだろ!」

「あれ、俺押し出されてたんだ⁉」


 はて、これは親子喧嘩なのだろうか?

 さっきから、ギリ漫才の可能性を捨てきれない。


「そんなに言うなら、上等だ! 俺はこの家を出て行く!」

「おう!」

「だから、少しは引き止めろやぁぁああああああああっ!」


 ヴァンは、本当に店から飛び出していく。

 しかし、その後ろ姿からはキラリと輝く何かが零れ落ちていた気がした。哀れだ。


「ふぅーー…………おい、蒼。悪いんだが」

「あっ、もう店の前に臨時休業の札をかけておきましたよ」

「……お前は、本当に良く出来た奴だな。ウチの馬鹿息子とは大違いだ」

「でも、店長はヴァンの事が本当に大好きなんですね?」

「当たり前だ。例えどんな大馬鹿野郎だとしても、自分の息子を愛さねえ父親がどこにいる」


 からかったつもりだったが、店長はどっしりと腕を組みながら快活に笑う。流石だ。


「でも、良いんですか? あのままじゃあ、ヴァンは本当に海軍に行っちゃいますよ」

「そうさなぁー……あの馬鹿が人様を守れるほど強えとは、とても思えねえが……まあ、男が一度決めたんだ。満足するまでやれば良い。その結果、もしも何かの間違いで海軍になっちまったとしても、俺は何も言わねえよ」

「……」


 店長は、相変わらず椅子に腰かけたままどっしりと構えている。

 その姿は、まるで我が子を千尋の谷に突き落とす獅子のようでもあったが、その瞳は、ただの平凡な父親そのものだ。

 ……本当は、是が非でも引き止めたいに違いない。

 しかし、店長はあくまでもヴァンを信じているからこそ、不器用ながらも背中を押してやったのだ。


「なあ、蒼……お前に一つ、我儘を言ってもいいか」

「……何ですか?」

「少しの間だけでも良い。ヴァンを……守ってやってくれ」



****************



「おっ、いたいた」

「……蒼」


 出て行ったヴァンを探しに店を出ると、ヴァンは店のすぐ前で海を眺めていた。

 恐らく、どうせ店長は追いかけて来ないだろうという読みと、どこに行けばいいかシンプルに分からなくなってしまった結果なのだろう。


「店は良いのかよ?」

「今日は、臨時休業。ほれ、焼き魚串」

「お前、ほんとそれ好きだよな」

「作るのが簡単で、尚且つ美味いからな」

「全く同じ理由でガキの頃から親父にコレばっかり食わされ続けてたから、俺そんなに好きじゃねえんだよな」

「マジか。でも、久しぶりに食うと美味いかもよ?」

「……知ってる」


 パリッと良い音を立てながら、ヴァンは焼き魚串に齧り付く。


「俺の親父はな……元々、海兵だったんだ」

「え?」


 僕は驚いて、ヴァンの方を見る。

 そうだったのか、全く知らなかった。

 確かに、店長ははち切れんばかりの筋肉を持った大男だ。

 しかし、漁師の中には店長と似たような体格の人も沢山いるし、てっきり店で出す魚を獲る為の漁で鍛えられたものかと思ってた。


「昔の話だがな。でも、結構有名だったんだぜ? 親父はいつも誰かの為に身体を張ってたし、俺はそんな親父が誇りだった……だが、ある日、俺が親父に怨みを持った海賊に攫われちまってな。親父は傷だらけになりながら、俺を救ってくれたんだけどよ。代わり、親父の身体はもう使い物にならなくなっちまった」

「……」

「俺は、思うんだ。もしも、俺があの時に攫われていなかったら、親父はもっと多くの人を救えていたんじゃないかって。だから、俺は親父の代わりに人を救える人間になりてえ」

「……店長は、ヴァンが幸せになってくれるなら、それだけで十分だと思ってるよ」

「んなこたぁ、分かってる。結局、これは一から十まで俺の意思なんだよ。俺はただ、憧れてる親父に恥じない生き方をしたいだけさ」


 ヴァンはそう言うと、大きく伸びをする。


「だから、止めても無駄だぜ?」

「……止めないさ。誰もね」


 僕はチラリと、店長がいる店に視線をやる。

 ヴァンはそれを見て何かを察したのか、照れくさそうに笑った。


「あ、あと、僕もヴァンについて行く事にしたから」

「え? ……でも、お前は上の海層に行かなきゃならないんだろ?」

「まあ、海軍になっても海層は上がれるさ」

「そりゃあ、そうかも知れねえけど……すまん。俺がこの前、お前に変な事を言っちまったから気を使わせちまった。もし、そうなら気にしないでくれ」

「いや、関係ないよ。ただ、僕が自分の意思でこっちの方が近道かも知れないなって思っただけさ」


 僕は肩をすくめながら、拳を差し出す。


「一緒に海軍になろうぜ。ヴァン」

「蒼……おうっ!」


 僕達は、コツンっと拳を合わせる。


「……まあ、例えヴァンが試験に落ちたとしても、僕は一人で海軍に行くけどね」

「台無しだぁぁああああああああっ!」



****************



 あの後、ヴァンは何を焦ったのか必死な形相でトレーニングを再開した。

 もう試験まであまり日が無いので、今更多少ステータスを伸ばしたところで何も変わらないとは思うのだが……。


 僕は肩をすくめてそれを見送ると、この島にある唯一の国立図書館へと足を運ぶことにする。

 本当は、この島を出る時にでも立ち寄ろうと思っていたのだが、海軍になればそんな時間があるかも分からないし、今日は店も臨時休業になったので丁度良い。


「失礼しまーす……」


 僕は古めかしいレンガで出来た建物に着くと、そっと扉を開ける。

 

「おはようございます。何かお探しでしょうか?」

「あ、あの、魔法の書を見せて頂きたいんですけど……」

「魔法の書の閲覧ですね、ステータスの提示をお願い出来ますか?」

「あっ、はい」


 図書館に入ると、司書さんのような人が現れて、早速ステータスの提示を求められた。

 僕は言われた通り、手を出す。


「念のため確認させて頂きますが、隠蔽魔法やスキルは所持しておりますか?」

「い、いえ、持ってないです」


 僕がそう言うと、司書さんは僕の顔をじっと見つめる。

 ……あ、あれ? もしかして、疑われているのかな?


「はい、確認が終了しました。では、ステータスを拝見させて頂きますね」

「あっ、はい。お願いします」

「失礼します。【ステータス】」


 司書さんが、僕の手に触れて魔法を唱える。

 すると、半透明の板が目の前に現れて僕のステータスが表示された。


 名前 天条蒼 所属 ???

 筋力 30.14 体力 29.97 魔力 28.00 体術 36.80


「ひっ」


 ——その瞬間、司書さんは悲鳴を上げながら小さく後ずさった。


「だ、大丈夫ですか……?」

「……あっ、も、申し訳ございません! つい、驚いてしまって」


 司書さんは怯えた様子で謝罪するが、どうやら相当混乱しているようで、その声はまるで助けを求めるように図書館特有の静寂の中で大きく響き渡った。

 ……ステータスの提示を求められた時点で嫌な予感はしていたが、まさか、ここまで過剰に反応されるとは思わなかった。


「……それで、魔法の書なんですけど」

「あ、あの……その事なのですが、大変申し訳ありません……魔法の書は、国から図書館へ寄贈されたとても貴重な物でして……厳重な管理がなされております。その為、閲覧するには、閲覧者よりもステータスが三つ以上高い国家公務員が付き添う規則となっているのですが、しかし、あ、貴方様よりステータスが高い職員は、恐らくこの海層には存在しておらず……」

「……つまり、閲覧する事は出来ないと?」

「は、はい……」


 司書さんは可哀想なくらい顔を真っ青にさせながら、僕にそう伝える。

 僕は悪くないはずなのだが、何だか申し訳ない気持ちになってきたな。


「そうですか……すみません。ありがとうござ——」

「ならば、私が付き添おう」


 その時、不意に僕の後ろから凛とした声がかけられる。

 僕が驚いて後ろを振り向くと、そこには絶世の美女が立っていた。

 宝石のように輝くプラチナの髪や僅かな穢れもない美しい純白の肌は、まるでドールのように儚げで、この世の者ではないかのような恐ろしい美しさを秘めている。


「君、私にもステータスを見せて貰っても良いかな?」

「え……? は、はい」


 あまりの美しさに思わず呆然とその女性を眺めていると、その人はサファイアの瞳を煌めかせながら僕に手を差し伸べてきた。

 僕が慌てて手を出すと、その人はニッコリと微笑みながら僕の手を取る。


「ありがとう。【ステータス】」


 その瞬間、再び半透明の板が僕達の前に現れる。


「なるほど。に、どの数値もほぼオール30とは素晴らしい。特に、体術など30半ばにまで到達しているではないか」

「い、いえ、それほどでもないと思うんですけど……」

「馬鹿を言うな。血の滲むような努力が無ければ、その年でこれほどの数値に到達するわけがあるまい」


 女性はニヤリと笑うと、ポンポンっと僕の頭を叩く。


「しかし、まだまだだな。私の方が、君よりも数段強いぞ」

「あ、あの、貴女は一体……?」

「うん? ああ、そうだな。おい、そこの君」

「は、はい……」

「私は、こういう者だ」


 そう言って、女性は胸ポケットから黄金で出来ているかのような輝きを放つ、鳥の羽を象ったバッジを取り出す。


「そ、それは……」

「私は、アリス・オーシャン。全海層秩序自衛軍所属。第二階層担当。階級は、元帥だ」



****************



 僕とアリスと名乗った女性は、現在図書館の地下深くにある禁書庫と呼ばれる魔法書が保管されている部屋に行くために、どこまでも続いていそうな長い螺旋階段を降りていた。


「あ、あの……ありがとうございます」

「気にするな。私は全ての海層、全ての国家から国家公務員の資格を付与されているが、こんな機会でもなければ役に立たんくだらない資格だ」

「す、凄いですね。普通の人なら自慢するような事なのに、そんな風に言うなんて……」

「ちなみに、自慢している」

「今の自慢だったんですか⁉」

「あっはっは! まあ、実際は暇だったから付き合っているだけだ。あまり気にするな」

「暇って……アリスさんは、海軍の方なんですよね?」

「それはそうなのだが、私の服装を良く見よ」


 アリスさんは立ち止まると、手を横に広げて今着ている服を僕に見せる。

 アリスさんが今着ている服は、シンプルながらも質のいい生地で出来ていて、まるでお忍びで遊びに来たご令嬢といった風な格好だ。


「とても良く似合っていると思います」

「いや、そうではなく……まあ、賛辞は受け取るが」


 アリスさんは呆れたように溜息を吐きつつも、僅かに照れたような顔をする。


「私は、今日オフの日なのだ。本当なら、昔世話になった恩人の店に行こうと思っていたのだが、残念ながら休業中でな。仕方なく、本を読みに来たところで君と出会ったという訳さ」


 なるほど。それは何と言うか……僕の運が良いのか、アリスさんの運が悪いのか分からない話だ。


「着いたぞ」


 そんな話をしている内に、僕達の目の前にはいつの間にか大きな扉が現れていた。


「確認するが、閲覧する魔法の書は鑑識魔法と言語魔法で良いのか?」

「あ、はい。ここに来れば習得出来ると、今お世話になっている家の方に教えて貰ったので」

「いや、まあ確かに、この二つの魔法は何処の国に行っても必ず魔法の書が存在する程のありふれた魔法なのだが……逆に言えば、それだけこの二つの魔法は生活に欠かせない魔法でもあるという事だ。天条君は、この二つの魔法を習得せずに今までどうやって生きてきたんだ?」

「さあ、どうやって生きてたんでしょうね?」

「おいおい、自分の事だろ?」

「それが覚えてないんですよね。僕、記憶喪失なんで」

「は?」


 すると、アリスさんは大きく目を見開いて僕の顔を見る。


「記憶喪失?」

「はい。だから、僕は自分でも何で鑑識魔法や言語魔法を習得していないのか、何故こんなにステータスが高いのか、何一つ分からないんですよね」

「そう……だったのか。確かに、ステータスに無所属と表記されていたのが、少し気になってはいたのだが……」

「ああ、そうですね。ご想像の通り、僕は自分の故郷が何処か分からないんですよ」

「……失礼した」


 アリスさんはそう言うと、深々と僕に向かって頭を下げる。


「や、やめてください。僕はこれでも、結構前向きに生きてるんですよ? 何なら、別に記憶なんて戻らなくても、上の海層に行ければ良いとさえ思っているんですから!」

「……上の海層に?」

「はい。本能って言えば良いんですかね? 記憶はないのに、焦燥感だけはあるんですよ。こんな所で立ち止まるな! 早く上に行け! って、まるで——」


 まるで、このままだと物凄く恐ろしいモノに追いつかれてしまうみたいに。


 ……その言葉は、僕の中にストンと落ちて来た。

 何だ、今の見つけられなかった焦燥感の正体が偶然見つかってしまったような感覚は。


 すると、僕があまりにも深刻そうな顔をしていたのか、アリスさんが心配そうな目で僕を見つめてくる。


「大丈夫か……?」

「……え? あっ、すみません。ボーッとしてました」

「……ふむ。どうやら、君には深い事情があるようだな。それで、君はこれから上の海層を目指すのか?」

「ああ、いえ……その、これをアリスさんに言うのはどうなのかなと、自分でも思うのですが……実は、今度ある海軍試験を受けようと思ってまして」

「何、そうなのか?」

「は、はい。今お世話になっている家の息子さんと一緒に」

「何故だ? 確かに、我々海軍はほとんどの海層に基地を持ってはいるが、好きな所へいつでも自由に行けるという訳では無いのだぞ?」

「それは、知っています。ただ、どうしても一人にしておけない奴がいるので」

「……それが、君と一緒に試験を受けに来るという友人か?」

「はい」

「……辞めておけというのが、正直な感想だな。今回募集しているのは、全て第二階層所属になる予定の海兵達だ。君は知らないだろうが、第二階層の海兵は第一海層からやって来る凶悪な海賊達を抑えるのが主な役目であり、全海層の中でも一番危険を伴う海軍基地だと言われている」

「そ、そんな危険な場所なんですか?」

「そうだ。それこそ、本来なら一般公募などほとんどしない。大抵は他の海層で名を挙げた海兵などが集められるような場所だ」

「で、でも、なら、何で今回に限って一般公募をしているんですか?」

「……早急に、人手が居るんだ」

「人手?」

「すまないが、これ以上は部外者に教える訳にはいかない。とにかく、今回は通常よりも凄まじくハードな試験内容となっており、仮に試験を合格したとしても、その先には更なる地獄が待っている……そんな試験だ。受験者も一般人というよりは、他の海層の海兵がほとんどの割合を占めているしな」

「じゃ、じゃあ、最初から一般公募なんてしなければ良かったじゃないですか」

「……だが、一般公募をしなければ、君のような将来有望な人材を見逃すところだっただろう?」

「え?」

「何でもない。とにかく、試験を受けるのは辞めておけ。絶対に、君の為にはなりはしない」


 アリスさんは、その美しい蒼色の瞳を厳しく歪めながら僕を見つめる。

 ……恐らく、本気で僕の事を考えた上で言ってくれているのだろう。しかも、現海軍に所属している人の言葉だ。それは僕の心にずっしりと重く響く。

 しかし、それでもなお、僕はゆっくりと首を横に振った。


「……すみません。だとしても、試験は受けます。僕には、命を救って貰った恩を返す義務がある」

「命を救って貰った恩?」

「はい」


 アリスさんはその言葉を咀嚼するように暫く黙り込むと、何故か懐かしそうな顔で僕を見る。


「……合格者は、その時点で少なくとも三年は海兵に所属していなければならない。例え君の友人が試験に落ちて、君だけが試験に受かってしまったとしてもだ。それに恐らく、その期間の間に第二海層より上の海層に配属される事はないだろう。それでも、君は試験を受けるのか?」

「……はい」

「そうか。そこまでの覚悟があるのなら、私からはもう何も言うまい。だが、後悔だけはするなよ」

「分かりました」


 僕は、改めて自分の認識が甘かった事に気が付く。

 そうだ。海軍試験には、ヴァンのように本気で海軍を目指す人達が大勢やってくるんだ。

 ヴァンの海軍試験を見届けて、そのまま結果次第では辞退しようだなんて甘い考えの奴なんていない。


 ……これは、どうやらちゃんと覚悟を決める必要がありそうだな。

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