第15話 記憶喪失の少年
「あの、すみません」
「へい、らっしゃい!」
「焼き魚串を二つ下さい」
「あいよーっ!」
ジュ―ッ!
注文を聞くと、僕は急いで料理を始める。
と言っても、魚にはあらかじめ火を通してあるし、店長オリジナルの秘伝のたれを表面に塗って炙れば良いだけなので簡単だ。
僕はたれが滴らないように急いで紙パックに挟むと、お客さんに商品を渡してあげる。
店は、回転率が命。
注文を聞いてから、三十秒で提供の鉄の掟を破ってはならない。
「ふぅー……っ、客足が落ち着いてきたな。蒼、そろそろ休憩行っていいぞ」
「はい、店長」
「しかし、お前の接客は見事なもんだな。ここに来る前までは、何か店をやってたんじゃないか?」
「いや、だから、覚えてないんですって!」
「がははっ! そうだったな! ワシも記憶を失ってたわ!」
「いや、それ記憶喪失の人間相手に一番しちゃいけないイジリですからね⁉」
「すまんすまん。ほれ、好きなもん勝手に作って持って行って良いから、機嫌を直せ」
「まったく、僕がそんなもので誤魔化されるわけ……あざーっす!」
「がっはっは!」
店長は快活に笑うと、来店してきたお客さんの相手を再開する、
うーん、今日は何食べようかな……。
まあ、何でもいっか。
僕は先程も作った焼き魚串を作ると、それを持って店の裏の休憩スペースに入る。
「おっ、お疲れー」
「お疲れ、ヴァン。またサボってんのか?」
「ちっげえよ! これも修業のうちだ!」
「いや、暇なら腹筋してないで店の方を手伝ってやれよ……」
僕は休憩室にある簡易的な椅子に腰かけると、汗だくで筋トレをしている栗毛色の髪をした少年を眺めながら焼き魚串に齧り付く。
魚の皮がパリッと良い音を立てながら破けた瞬間、中から溢れ出した濃厚な魚の旨味が口の中に広がり、表面に塗ってある店長特製の秘伝たれと混ざり合う事で至福の味となる。
うーん、相変わらず美味しいな。人気商品なのも納得だ。
これで目の前にいるのがむさ苦しい男じゃ無ければ、最高の休憩時間なんだけどな。
「そんなに身体を鍛えて、一体どうするんだよ?」
「決まってんだろ! 海軍に入るのさ!」
すると、ヴァンはその質問を待っていましたと言わんばかりに筋トレを中断して、僕に一枚の紙を見せてくる。
「……第百二十回、海軍試験?」
「ああ、数年振りにやって来たぜ。どれだけ、この時を待ちわびたか」
ヴァンは何度も頷きながら、キラキラとした目で僕を見る。ちょっと鬱陶しい。
「ヴァン、この店は継がないのか?」
ここは、店長の秘伝たれと新鮮な魚料理が評判のそこそこな人気店だ。
また、目の前には第二階層屈指の観光スポットでもある黄金の砂浜ビーチがあり、立地も良い。
なので、もし店長の一人息子であるヴァンがこの店を継げば一生食うのには困らないだろう。
逆に、ヴァンがこの店を継がないなら、後継者を失ったこの店はいずれ確実に潰れてしまう事になるのだが……。
「継がん! 蒼にやる!」
「いや、流石に店長も得体の知れない僕なんかに、大事な店を継がせたくはないだろ」
「そうか? 親父は、結構蒼のことを気に入ってると思うがな」
「……だとしても、僕はそこまで図太くはなれないよ。お金が貯まったら、すぐに旅に出るさ」
「ふーん。自分探しってヤツか」
「そうなるのかな?」
僕はイマイチその言葉がピンと来なくて、首を傾げる。
「自分の記憶を探しに行くんだろ?」
「うーん……」
「煮え切らないな」
「いや、記憶は確かに関係しているとは思うんだけど、僕は記憶を探しに行くというよりは、ただ上の海層に行かなくちゃいけない気がするんだ」
「……海賊になるって事か?」
「まさか」
ないないっと、僕は首を振る。
仮に、旅を続けていてお金に困ったとしても、そこまで腐るつもりはない。
その時は、またこうしてバイトでもしてお金を稼ごう。
「だよな。流石に、蒼とは戦いたくねえよ」
「僕もだよ。命の恩人であるヴァンと戦うくらいなら、大人しく降伏するさ」
「でも、海賊は降伏したところで極刑だぞ?」
「まあ、しょうがないよね」
「いや、自分の命の価値観低すぎじゃね⁉」
「ご愁傷様でした」
「そんな簡単に諦めんなーっ!」
慌てふためくヴァンを見て癒されながら、僕はグッと伸びをする。
さて、そろそろ店に戻るか。また込んで来る前に、店長にも休憩して貰おう。
「……なあ、蒼」
「うん?」
「もしさ……もし、お前さえ良ければ……俺と一緒に、海軍にならねえか?」
****************
ザァ……。
僕は海岸に座りながら、昼間はあんなに騒がしかったのに、夜になった途端に誰もいなくなってしまった海辺を眺める。
夜の海は真っ暗で、まるで光も人も喧騒も、何もかも全て飲み込んでしまったかのようだ。
……僕の記憶と同じように。
僕は一か月前、この近くの海で漂流している所を、食材の調達に来ていた店長とヴァンによって助けられた。
ヴァン曰く、最初に僕を見つけた時は、それはもう酷い怪我をしていたようで生きているかどうかすらも曖昧だったという。
しかし、店長とヴァンによる必死の救命処置によって、僕は何とか一命を取り留めた。
僕はその時に右腕に刻まれた、蛇が這いずったような傷跡をそっと撫でる。
……店長とヴァンには、恩がある。
だから、ヴァンが海軍に入るのなら、僕も近くでヴァンを守ってやるべきなのだろう。
しかし——
『それは、駄目だよ』
その時、鈴を鳴らすような可愛らしい女の子の声が頭の中に響く。
「……また、お前か」
『またとは失礼な、私は
「……神様なら、いい加減、僕が何者なのか教えてくれよ」
『だから、何度も言っているでしょ? それはいずれ分かる。それよりも、今は早く上の海層に行かなくちゃ』
「だから、行く手段が無いんだよ」
『簡単だよ。私の名を呼べばいい。そうすれば、私がどんな問題だって解決してあげるよ』
「絶対に、嫌だ」
それは、この一か月で飽きるほど続けた押し問答。
神と名乗る彼女は、執拗に自分の名を呼ばせたがる。
しかし、それだけはやめろと、僕の本能が叫ぶのだ。
だからこそ、僕は彼女をイマイチ信用しきれない。
『じゃあ、貴方はこのまま何も成さずに、ここで骨を埋める気なの?』
「……」
『そんなの、無理よね。だって、貴方は気が付いているもの。自分の居場所はここじゃない。自分には、こんな所で時間を無駄にしている暇は無いって』
「……うるさい」
僕は頭に響く彼女の声を追い出すように、激しく頭を振る。
しかし、どんなに目を背けても、彼女の言葉は締め付けるように僕の魂を絡め取って放しはしなかった。
『……そんなに呼びたくないなら、最悪私の名前は呼ばなくても良い。でも、少なくともここより上の海層には行かなくてはならない。早くしないと、
——ドックン。
その言葉を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
まるで、まだ会うのは早いと、僕を急かすように。
……僕は、その人の事を知っているのか?
「……あの女って、誰だよ?」
『それはね……』
神を名乗る彼女は、神託をするようにゆっくりと間を溜めて、厳かに言い放つ。
『この世界で一番……性格と口と趣味と意地が悪い女だよ』
「……」
どうしよう。急に、人違いな気がしてきた。
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