間話 海賊王の生誕祭
~とある島~
「お、おい、大変だ! 身を隠せ!」
とある酒場に、男は血相を変え叫びながら飛び込んで来る。
そこは、所謂お尋ね者や犯罪者、仄暗い過去を持つ者達のたまり場だ。
ズドンッ!
「ああん? うるせえ、何だよ。殺されてえのか?」
次の瞬間、男の足元に複数の個所から銃弾が撃ち込まれた。
くだらない内容なら……いや、くだらない内容じゃなくとも、この男はこの酒場にいる荒くれ共の気まぐれによって、いつ命を落とすか分からない。
……しかし、それでも男は引き下がるわけにはいかなかった。
何故なら、今すぐにでもその内容をこの島中に広めなければ、それこそ自分の命にまで被害が及ぶかも知れない大事件だからだ。
「あ、あの女が……ディアが、島に帰って来やがった‼」
その名が出た途端、酒場にいる人間の毛穴という毛穴が開き、心臓がキュッと締め付けられるような恐怖に襲われる。
「は、はぁ……っ⁉ あの女が、この島に⁉ アイツは、もうとっくの昔に最上海層にまで辿り着いたハズだろ⁉」
「テメエは、あの女がこの海層に来たことすら知らねえモグリか⁉ 一か月前、黒ひげが誰に殺られたと思っていやがる‼」
「あ、アイツはてっきり……ここ最近、調子に乗ってたから、あのまま第二海層に行こうとして、海軍に殺されたのかと思ってたぜ」
「全然、違う! 確かに、ヤベえ武器を手に入れたってはしゃいで、第二海層には行こうとしてた! だけど、アイツは不運にもベルゼ黒海のすぐ近くで……あのネクロフィリア女に、出会っちまったんだよ……っ!」
「破壊魔法【崩壊現象】」
——その時、男は突然背後から靄のような空間を歪ませる物質に包み込まれると、あっという間にその存在を消滅させられた。
……しかし、それだけでは終わらない。
その靄はその後も残り続けると、どんどん周りに広がって行き、床、椅子、机、壁、天井と次々にその存在を飲み込むと、その全てをこの世界から消し去ってしまった。
後に残ったのは、たった一つの椅子だけだ。
酒場に居たはずの海賊達は、あまりにも一瞬で崩壊した店の中で、ただ呆然とその様子を見守ることしか出来なかった。
「やだなーっ。最近、みんなは私のことをそんな風に呼んでたの? これは、本格的な意識改革が必要かな?」
酒場跡地の前から、場違いなほど明るい声が聞こえた。
そこには、一人の美しい少女がいる。
その少女は簡素な白いシャツに黒いスキニーパンツ、そして少女には大き過ぎる、豪奢な黒地に金の刺繍が施された軍服のようなコートを羽織っていた。
酒場跡地にただ一つ残された椅子に少女は腰かけると、海賊達と同じように呆然とへたり込んでいるこの酒場の店主と思われる人物に声をかける。
「マスター、酒。とびきり強いヤツ」
「あ、アンタのせいで、全部無くなっちまったよ……」
「はっ? この街は、弱い者は強い者に何を奪われて文句が言えない場所でしょ? 君の店は、君が弱いから無くなったんだよ。それに酒が無いなら、今すぐ自分より弱い奴から奪ってくればいいだけの話じゃない。はい。じゃあ、今から3分だけ待ってあげる。時間が過ぎたら殺す。そのまま逃げても殺すから」
酒場の店主は、その声音が冗談では無いと瞬時に察知し、信じられないくらい俊敏に立ち上がると何処かへと走り去っていく。
流石は、こんな荒れ果てた島で店を出すだけはあるようだ。
「さて、酒が来るまでの間、私は君達に少し聞きたい事があるんだけど、いいね?」
問いかけるその声音は、言葉と裏腹にYESという解答以外を想定していない。
仮にだが、もしもNOという者がいたら……思い知らされる事だろう。
この場所では、情報ですらも奪われる対象だという事に。
「黒髪黒目の少年を見た者はいる? 身長は私よりは高いけど、どちらかというと小柄な方で、可愛い顔をしてるんだ」
その問いに、答える者はいない。
それは知らないのに余計な口を開くと殺されるかも知れないという恐怖と、思い当たる人物がいたとしても、間違っていたとしたら殺されるという恐怖が混ざり合って生まれた沈黙だ。
「……うーん、知ってる奴はいないか。君達使えないねぇ。でも、今は少しでも良いから情報が欲しいんだ。このまま何も出て来ないと……うっかり殺しちゃいそう」
その血よりも紅い深紅の瞳をを光らせ、威圧するように少女は言う。
このままだと、本当に自分達の命が危ないと考え始めた海賊達は、お互いに目配せをし合う。
……だが、やはり有益な情報を持っている者は出て来ない。
やがて、全員の顔が青ざめ始めた頃、何処か遠くから誰かが走ってくる音がする。
「お、お待たせしました……これは、私の知り合いの秘蔵酒で……きっと、貴女様のお口に合うかと」
「うん? おおっ⁉ こって、第七階層にある失楽園で採れるブドウで造った激レア酒じゃん! しかも、当たり年⁉ 逆に、良くこれだけの物がこんな下層にあったねぇっ!」
少女は、大喜びでワインを愛でる。
店主は安堵したような顔をした後に、一瞬、激しく後悔したような表情を見せた。
……店主の足元をよく見ると、そこには返り血のようなものが付着している。
考えてみれば当然だろう。あれだけ良いワインがそこら辺に落ちている訳がない。きっと、元の持ち主もかなり抵抗したのだろう。
それに、こんな場所だ。
本当に信頼している相手でなければ、あんなワインの存在を明かす訳がない。
もしかしたら、あの酒は何処かの誰かが人生最後の瞬間、最愛の親友と開ける予定のワインだったのかも知れない……アレには、それくらいの価値がある。
「ふふーんっ♪ こんな殺風景な場所で開けるには、勿体ないくらいの逸品だね。まあ、飲むけど。【逆賊神の宝物庫】」
少女が手をかざすと、何も無い空間から豪奢な机とワイングラスが現れた。
少女はキュポンッと良い音を響かせながらワインの栓を開けると、トクトクと上品な音を立てながらワインを注ぐ。
その瞬間、辺り一面に芳醇なブドウの香りが満たす。
匂いだけでも分かる天上の美酒を前に、酒好きが集まった海賊達は思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
少女は気分良さそうにたっぷりと香りを楽しむと、一口飲んで幸せそうな溜息を吐く。
「ああ……美味しいなぁ…………こんな時、蒼が作ったおつまみが恋しくなるよ……ていうか、蒼にも飲ませてあげたい」
少女は不意に切なげな声を漏らすと、何かを忘れるように一気にワインを飲み干す。
海賊達はその間、このまま女の機嫌が直ること祈りつつ、ただ座って待っている事しか出来ない。
「はぁ……、良し。このワインに免じて君達は許してあげよう。はい、これ返すね。残りは、君と君の知り合いで飲みな」
店主は驚いた顔でそれを受け取ると、途方に暮れたような顔になる。
店主の知り合いがどうなったのかは知らないが、どちらにしろ、どんな顔をしてアレを返せというのだろうか。
……それにきっと、もうアレの存在を知ってしまった海賊達が、店主を放ってはおかない。
「あ、そうそう。君達さ。生きて返してあげるから、その代わりに今すぐ世界中に船を出して、ある噂を広めて欲しいんだ」
海賊達はお互いの顔を見合わせ、代表して一人の男が口を開く。
「い、今すぐですか……?」
「そう、今すぐ。行けるとこまで行ってね。少なくとも五海層は超えて欲しいかな」
「で、でも、俺達にそこまでの強さはないですよ? 二海層の海軍基地本部ですら抜けられるかどうか……」
「大丈夫。近々、私もこの海層を抜けるから。君達は私が海軍基地本部を攻め込む時を伺って、黒海を渡って来な。そしたら、余裕で三海層くらいまでは行けるでしょ」
少女は、当然のようにそう言い放つ。
確かに、目の前で明らかに自分達よりも年下の少女に情けなく膝を着いている男達は、その実かなりの猛者揃いである。
何故なら、そもそも第一海層とは、罪人が島流しならぬ海層流しにされた挙句に辿り着く場所だ。
その為、比較的海賊が生まれやすい海層でもあり、治安も悪い。なので、ここで生き残り力を付けた海賊達は、他の海層で生まれる海賊よりも比較にならないくらい強いとされている。
だからこそ、第二海層には海軍基地本部が置かれているのだ。
そして、そこに所属する海兵は、全階層に存在する海軍の中でも選りすぐりの者達が集められ、日々第一海層から上がってくる猛者共をその全勢力を持って沈めている。
海賊達からは、第十二階層を除いてある意味、最も海層を超えるのが困難な場所、それが第一海層だと言われているほどだ。
目の前の少女は、そんな海軍基地本部を暗に潰すと言っているのだが……その少女には、確かにそれを可能だと思わせるだけの力と名声があった。
しかし、それでも海賊達は無茶苦茶だと叫びたかったが、その気持ちをグッと堪える。
ここで確実な死を迎えるくらいなら、少女の提案に乗る方が断然生存率が高いのは間違いないからだ。
「そ、それで、俺達は一体、何の噂を広めれば良いんですか?」
「うん。それはね……私、今日から正式に海賊王を名乗る事にしたから。全階層にまで伝わるように、派手に宣伝してきてね」
——そうして、その数週間後、少女と海賊達はベルゼ黒海へと向かう。
それは後に、全海層に災厄を撒き散らす元凶となった、【
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