第14話 異海の漂流者

「はぁっ!」


 僕は先手必勝とばかりに走り出すと、右手に持つ槍をディアに向かって突き出す。

 ディア相手に片手が塞がった状態で体術勝負に持ち込むのは、いくら何でも分が悪い。

 しかし、サズ子の刃には魔法やスキルの強制解除能力があるので、これならディアも迂闊には受けられないはずだ。


 ……そして何よりも、例えこれでサズ子がどうなろうと僕は一向に構わないという点でも、様子見の一撃としては最も相応しい攻撃だろう。


『……何だか、ロクでもない理由で良いように使われているような気がするけど、私は良い女だから、ちゃんと利用されてあげる』


 サズ子がそう言って一瞬でグンッと槍の柄を伸ばすと、ディアは驚いたように目を見開く。

 流石のディアでも、自分の意思で伸び縮みする槍が存在するとは思わなかったようだ。

 それもそうだろう。これは恐らく、誰もが予想出来ない完全な初見殺し。

 このままいけば、確実にディアに致命傷を与えられるはずだ。


 ……くいっ。


「う、うわぁぁああああああああああああああっ⁉」

『蒼! 槍くらいちゃんと持って!』


 僕は直前で槍の軌道を右にズラす……すると、驚くべき反射神経でちょうど右に躱していたディアの顔面にピンポイントで槍がぶち刺さりそうになり、咄嗟に膝を畳んだディアの顔の上スレスレを槍が通過する。


 驚異的な反射神経だ。無事で、本当に良かった。


「そ、そうだよ! そんな直前で躊躇われると、逆に攻撃の軌道が読めなくなって躱し辛いよ‼︎ 本気で私を殺す気なの⁉」

「う、うるさい⁉ 大体、槍なんて使った事ないんだからしょうがないだろ!」

『分かった。それじゃあ、私は全力であの女を狙いに行くから蒼は蒼で動いて。それが一番あの女を殺しやすそう』


 三人の思惑が絡まり合って、想像以上に場がカオスだ。

 よし、とりあえずサズ子が良からぬ事を考えているようだし、ディアを信じて今度からはちゃんと身体を狙うようにしよう。

 ……まあ、それでも念のため致命傷にならなさそうな所を狙っておくけど。


「……手加減していると、何かの間違いで本当にやられちゃいそうだから、本気で行くよ。破壊魔法【物質破壊ブレイク】」


 ディアがそう呟くと、その手にドロっとした靄みたいなモノが現れる。

 ハッキリ言おう。あれは、絶対にヤバい。

 まず名前からして危なさそうだし、何ならあの物体の周りだけ空間が歪んで見える。


「蒼、ちゃんと槍で防ぐんだよ! 危ないから!」

「分かった! 危ないから、ちゃんとサズ子で受けるよ!」

『えっ⁉』


 ディアは野球選手も目を見張るような美しいフォームで振りかぶると、手に持っていた靄を思いきりこちらに投げる。


「くたばれぇぇええええええええっ!」

『きゃぁぁああああああああああっ!』

「あぶねぇぇえええええええええっ⁉」


 僕がノリに合わせて、野球のバットみたいにサズ子を持ってフルスイングしたら、サズ子が靄を避けるみたいに急に槍の柄を曲げた。

 身体の重心がズレた僕は思わずよろけてしまい、足に靄が当たりそうになる。

 僕が慌てて靄を跨いで躱すと、靄が落ちた氷の地面は一瞬で溶けるというより崩れると言った風に、消えて無くなった。


「あ、危ないだろ、サズ子⁉ 曲がれるんなら曲がれるって、事前に言っとけよ!」

『曲がる事を予想すらしてなかったって事は、今本気であの絶対触るな危険極まりないぞ! みたいな注意書きが書かれそうな謎の物体Xに、私を当てようとしてたって事だよね⁉ 最低最低最低最低ッ‼』

「さ、サズ子の槍なら無効化出来ると思ってたんだよ!」

「なら、柄じゃなくてちゃんと刃に当てようとしてよ⁉ 今思いきり柄の中心を捕らえてたよ⁉ あのままだと、私の槍はバッチリぽっきり綺麗に二つに折れてたよ⁉」


 チィッ! 惜しい!


「よし、分かった。今度はちゃんと狙う! だから、もう一度だ!」

「了解!」

『やめろぉぉおおおおおおおおおおっ⁉』


 サズ子は一瞬で身体の支配権を僕から奪い取ると、足元に槍を突き立てる。


『スキル【千変万化】! 氷の大地よ! 猛る大蛇へと姿を変え、あの頭のおかしなネクロフィリア女を喰いちぎれッ‼︎』


 すると、氷の大地からは間欠線かのような勢いで氷が噴き出し、見上げるほどの大蛇へと形を変えると、そのままディアに突っ込んでいった。


「誰がネクロフィリアだ⁉ 【物質破壊】纏い!」


 しかし、ディアは咄嗟に発動しかけていた靄を拳に纏わせて大蛇に触れると、触れた場所から大蛇は先程の地面と同じように形を崩す。


『そんな強力な魔法を連発出来るわけがない! このまま押し潰してやるっ‼︎』

「私の魔力を舐めるなっ‼︎」


 サズ子はそのまま氷の大地を使い切る勢いで大蛇を突進させ続けるが、負けずとディアも更に手のひらに靄を纏い大蛇を崩し続けている。

 崩された氷は、まるで吹雪のようにディアの周りを吹き荒れ、やがて、サズ子の周囲の氷だけがポッカリと無くなると、もうこれ以上操れる氷が無くなったのか氷の大蛇は完全に消滅した。


「はぁはぁ……あれ? 蒼は——っ⁉」

「終わりだ、ディア!」


 僕はサズ子が稼いでくれた時間を使い、視界が塞がれたディアに近づくと、サズ子の攻撃が終わるタイミングで足をかけ、ディアの体勢を崩すと思い切り地面へと叩きつけた。

 元々サズ子のせいで氷が脆くなっていた事もあり、氷の大地はディアを中心に蜘蛛の巣のようにひび割れると、そのまま周囲に重い音を立ててバラバラに砕け、人がギリギリ乗れる程度の細かい氷地となる。


「かは……っ」


 ディアは驚いた顔を歪めると、肺の空気が全部抜けた後のような苦しげな声を出す。

 ディアのステータスを考慮して、手加減無しで思いきり投げたのだが……もしかしたら、僕の力は体術とか関係なく相当強くなっているのかも知れない。

 骨とか折れてないといいけど……。


「……強くなったね、蒼。初めて一本取られちゃった」

「……お姉ちゃんのおかげだよ」

「うん。本当に強くなった……でも、まだまだだね」


 目の前で倒れていたディアが空気に溶けるように消えると、後ろから誰かに肩を叩かれる。


「呪縛魔法【束縛バインド】」

「へ?」


 咄嗟に後ろを振り向こうとしたが、全身金縛りにあったように動けない。


「隠蔽魔法には、こういう使い方もあるんだよ♪」

「え、あれ? 何これ。どうなったの⁉」

「お姉ちゃんが解説してあげよう。蒼に投げられている時に隠蔽魔法【身代わりダミー】を発動して実体のあるダミーを生成。そのまま入れ替わって背後に回ったってわけ」

「忍者かよ⁉」

「何それ?」

「いやまあ、僕の世界の人気者で……というか、全然一本取れてないじゃん!」

「うーん。まあ、この魔法がなければ、あのまま結構ヤバめのダメージを負ってたし、私的には一本でも良いんだけど……でも、そうだね。蒼がそう思うなら、やっぱり一人で天海を目指すのはまだ早いんじゃないかな? このまま私のところでもうちょっと鍛えてからでも遅くないと、お姉ちゃんは思います。何なら、そのまま一緒に天海に行ってもいいしね」


 ディアはそう言って、おどけるように……だけど、幾分か本気のトーンでそう言う。


「……悪いけど、それは出来ないよ」

「何で? やっぱり、私はもう信用出来ない?」

「そうじゃな……いや、まあそういう一面も確かにあるけど」

「いや、隠そうとするなら最後まで隠してよ⁉ 何かその飲み込もうとして、飲み込みきれなかった感じが一番傷つくよ⁉」

「……だって、しょうがないじゃないか。ディアは僕に嘘をついてたし、ディアが本気を出せば、こうやって簡単に拘束されちゃうくらい、僕は弱いんだから」

「蒼は強いよ。正直、腕力だけなら立派なゴリラ並みだよ」

「この世界にもゴリラがいるっていう、衝撃の事実は置いておいて……本当に、僕は強くなんかないんだ。ディアにも話したよね? 僕には兄貴がいるって」

「うん。確か、蒼がこの世界に来たのも、元々お兄さんの喧嘩に巻き込まれたのが原因だっけ?」

「……違うんだよ、ディア。僕は結局、兄貴に守って貰ってただけなんだ。今までディアに助けて貰った時と同じように……でも、サズ子に言われて気付いたんだ。このままじゃあ、僕はいつまで経っても弱いままだし、兄貴やディアの隣に並ぶことが出来ない」

「……どういう事?」

「僕は、兄貴やディアと……対等になりたいんだ。何からも逃げずに戦ってきた二人と、本音でぶつかり合えるくらいの強さが欲しい。だけど、それはディアに守られながら得た強さじゃ、たぶん意味がないんだ……だから、僕は自分自身の力で天海を目指すよ。そしたら、ようやくディアに追いつける気がするから」

「……それが、蒼の心?」

「うん」

「…………全く、蒼は本当にしょうがないね」


 その瞬間、石像のように動かなかった僕の身体が動くようになった。


「ディア?」


 僕が驚いて後ろを振り向くと、ディアは正面からぎゅっと僕を抱きしめる。


「行ってらっしゃい、蒼。早く帰ってきてね」

「……ありがとう、お姉ちゃん」

「あ、良かったぁ。また、そう呼んでくれるんだね」


 その時、ディアは心の底から安心したように笑う。

 ……さっきからちょくちょく姉を強調して言ってたし、実は結構寂しかったのかも知れない。

 何だか色々あったが、ようやくディアと本当に分かり合えた気がした。


 その時——


『お二人とも、遺憾ながら良い雰囲気のところ大変申し訳ないんだけど』

「遺憾なのか、申し訳ないのかどっちだよ」

『良い雰囲気なのが死ぬほど気に食わない』

「相変わらず、お前は最悪だな……」

『……残念ながら、今最悪なのは私より現実の方』

「え?」


 その時、右腕が震えた。僕じゃないので恐らくサズ子が震えているのだと思うのだが、一体何があったと言うのだろう?


『……下を見て欲しい』


 言われた通りサズ子の下を見ると、サズ子の周りにはもうすっかり氷が無くなって海が見えている。

 何だろう。このままじゃあ、海に沈んでしまうとでも言いたいのだろうか?

 だとしたら、喜ぶべき事だが……残念ながら、今もガッツリと僕の腕にはサズ子の古布が巻き付いている。


 ……まあ、例えそうじゃなくとも、流石にもうサズ子にも情みたいなものが湧いているので、このまま海に捨てる気なんてないのだが。


「あ、蒼? 気のせいかな……何か、海が黒くない?」


 すると、青褪めた顔でディアまでもが何かに怯え始めた。

 うーん。と言っても、僕には特別海が黒くは見えない。光の当たり加減とか海の深さで、色などいくらでも変わるものではないのだろうか?


「黒海に入りかけている……いや、これは……っ⁉」


 突然、足元が傾いた。

 別に、元々今いる場所はディアの魔法によって作られ、僕とサズ子で破壊してしまった南極よりも小さな氷で作られた氷地なので、少し高い波が来たら簡単に揺らいでしまうような心許ない存在なのだが……今は特に傾くほどの高い波もないし、むしろ辺りの海は凪のように穏やかだ。それこそ……まるで、嵐の前の静けさのように。


 では、何故僕達の足元が傾いているのかと言うと……。


『ねえ、気のせいかも知れないけど、私を見る蒼の視線が高く感じる』

「……気のせいじゃないね」

『で、でも、流石に私の真下の海が盛り上がっている気がするのは、気のせいだよね?』

「……それも、気のせいじゃないね」

『……』

「……」


 サズ子は、そのままどんどん天高くまで海面と共に上がり続け、僕とディアのいる氷地は何かに押し出されるように流されていく。

 ……そうして、少しその場所から離れた事で、ようやく分かった。


 ——海は、確かに黒い。


 この世界にある普通の海が、南国の海のような綺麗なエメラルドグリーンだとしたら、今いる海はまるで東京湾のようなマリンブラックだ。

 しかし、それは決してこのあたりの海が汚れている訳ではない。


 原因は、恐らく見渡す限りの全てを覆うほどの……鹿僕達の真下にいるからだ。


『LAFUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUッ‼』


 サズ子に似た、頭に響く咆哮をあげて姿を現したのは——


「——……蒼い兎?」


 飛び出してきたソレは、美しい蒼い毛並みとディアと同じような深紅の瞳をした兎だった。

 そいつは飛び出してきた勢いのまま激しい水飛沫と波をたてながら、天高くまで跳躍する。


「海龍っ! 何でこんな所まで⁉」

「え、アレが海龍なのか?」

「そうだよ! コイツが、このルルシチア海の黒海の名前の由来ともなった伝説の怪物、海龍ベルゼ!」


 そのカッコよすぎる名前と龍という単語で誤解していたが、どうやらこの世界では兎の事を龍というらしい。

 ……何だか、この世界に来て一番ギャップを感じた瞬間だった。


『そんな事どうでもいいから助けてぇぇええええええええええええええええッ‼』

「ぎぃやぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ⁉」


 すると、海龍と共に高く高くまで打ち上げられていたサズ子が急に右腕に巻き付いている古布を操り、僕を一緒に空中へと引き上げた!

 今日一日、ずっと痛めつけられていた僕の右腕は、いい加減もう限界だ。

 あと、普通に飛行機の窓から外を見下ろした時くらい、海が遠くなっていくのが怖くて仕方ない。


「ば、馬鹿野郎⁉ 僕はお前と違って生身なんだぞ⁉ こんな高さから落ちたら死ぬんだぞ⁉」

『わ、私だって、このままだと海龍に引っかかって海の底に連れてかれる! そしたら、今度こそ地上には戻れないかも知れないんだから!』


 そう言われて、右腕に巻きついている古布の先を辿っていくと、確かにサズ子の古布は海龍の耳辺りに絡まって動けなくなっている。


「だからって、何故僕まで巻き込んだ⁉」

『一人で死ぬのは嫌ぁっ‼︎」

「お前は、本当に最悪だぁぁああああああああああああああああっ‼︎」


 やばいやばいやばいやばいっ!

 これは、本当に洒落になってない。

 このままでは、僕はこの海龍が海面に落ちた瞬間、その衝撃でぐちゃぐちゃになってしまうだろう。


『わ、私の所まで蒼を引き上げるから、絡まっているこの布を槍から解いて!』

「や、槍からか? 海龍からじゃなくて?」

『そう! そしたら、絶対に私が蒼を助ける!』

「やかましい⁉ お前よくそんなに堂々とかっこいい台詞が言えたな⁉ 今、僕はお前に殺されかけてんだよ‼︎」

『う、うるさーい! そんな事を言ってると、本当に二人とも死ぬよ⁉』

「あーもーっ! 分かった! 布は僕が何とかするから、絶対に助けろよ⁉」

『ありがとう、蒼! 大好き! 二度と離れない!』


 その言葉を聞いた途端、本当に一生サズ子に付きまとわれそうな気がして、僕のやる気はゴリゴリと削がれる。

 コイツ、本当に助かる気あるのだろうか?

 そんな事を思っているうちにも、グングンと海龍は高度を上げ続ける。

 僕は痛いほどの寒さと吹き付ける風に苦労しながら、何とかサズ子のところまで辿り着いた。

 しかし、今はどうにか右腕に巻きついている古布に掴まっている状態だが、ここは足場も無ければ、激しい風圧のせいでまともに目を開ける事すら困難な場所だ。

 これでは、とても槍から古布を解くなんて繊細な作業は出来ないぞ⁉︎

 せめて、一瞬でもいいからコイツの動きが止まってくれれば……っ!


 その時、僕は咄嗟にすぐ近くで風に煽られ暴れていた槍を掴むと、思いきり海龍の背に突き刺した。


『GYAOH⁉』


 すると、神々しいまでに輝いていた海龍の毛並みから弾けるように光が失われ、海龍は驚いたように身を震わせる。

 魔法やスキルを強制解除させるサズ子の槍なら、何か起こるのでは無いかと思い、直感的に海龍に突き刺してしまったが、予想通り効いているようだ。

 今のうちに、早く布を解かなければ!

 しかし、最悪な事に槍の根元で結んである古布は想像以上に固く結ばれており、それを解いたとしてもその更に下からいくつもいくつも新たな結び目が現れてくる。

 クソ……! 早くしなければ、またいつ海龍が暴れ出すか分からないというのに!

 僕は、必死に一つずつ結び目を解いていく。


 ゾワァ……ッ!


 ——その瞬間、全身の毛が逆立つような異様な雰囲気を感じた。

 反射的に下を見下ろすと、ディアがいた場所からドス黒いオーラのような靄が立ち上っている。


「反逆神の魔法書、原典へ接続。人類よ。我は神を憎む者。我は神へと反逆する者。我は神を恐れる者の道を妨げ、福音を誹謗し、破壊を訴える。我が名は、破壊の支配者なり。権能発動【破壊権限】」


 ディアから立ち上っていたオーラがどんどん凝縮されていき、やがて完全な闇になると、ディアがいつも腰にぶら下げている古めかしい装飾がなされたフリントロック式の古式銃クイーン・アン・ピストルへと吸い込まれていく。

 そして、ディアは血のように紅い深紅の瞳を輝かせながら、その銃口を真っ直ぐこちらへ向ける。


「ルルシチア海の王如きが、私の蒼に触れるな! くたばれ、害獣! 【死を齎した明星サタナキエル】」


 ディアが引き金を引いた瞬間、銃口から黒い光としか言いようのないような形容しがたい何かが飛び出し、瞬く間に海龍の脊髄を貫く。

 撃ち抜かれた海龍は力が抜けたように脱力すると、そのまま海面に向かってゆっくり落下し始めた。


 ……あ、あれが、ディアの本気なのか⁉︎


『今だよ、蒼ッ!』

「そんなの、見たら分かる!」


 僕は決して解かれぬよう、特別固く結ばれている最後の結び目を力尽くで解いた。


『契約完了、宿主の生命力と引き換えに封印を限定解除する。又、スキル【千変万化】を宿主の××と引き換えに昇華。スキル【神体変化サズウェル】を獲得』


 その瞬間、僕は全身の力を何かに吸われるような感覚に襲われ、意識が急速に遠くなっていく。


『スキル【神体変化サズウェル】発動。災厄よ、目を覚ませ。その瞳は汚泥にまみれた聖者を見抜き、その刃は天の花嫁を食い散らす。始まりの聖女に毒を盛った怪物は、誰にも見つからぬよう黒衣を纏い、運命の輪廻に隠れた。我、狡智と暴食の化身なり』


 目が眩むような光と共に、身体が何かザラザラしたものに押し出される。

 霞む目を必死に見開いてみると、目の前にはあれほど巨大だった海龍を、頭しか見えなくなるくらいまで締め上げた黒銀の大蛇がいた。


 大蛇は一度海龍の首筋に噛み付くと、そのまま頭から海龍を飲み込んでいく。


『LAFUUUU……ッ‼』


 海龍は必死にもがくが、大蛇に噛まれた時に何かを注入されたのか、すぐに抵抗する力を無くし、あっという間に黒銀の大蛇に丸呑みにされてしまった。

 後に残ったのは、生々しく膨らんだ腹を揺らしながら浮遊する大蛇と、その背に乗る気絶しかけた僕だけだ。


「お前……サズ子か?」

『うん。もう大丈夫だよ、蒼』

「いや、めちゃくちゃ身体が怠いんだが……」

『ごめんね。少し生命力貰っちゃった。でも、休めばちゃんと回復するから安心して』

「……お前、僕から持っていたものはそれだけじゃないだろ?」

『……』


 そう。僕は、確かに聞いた……いや、厳密にはよく聞き取れなかったが、絶対に生命力以外にも何か大事なモノを持っていかれたという感覚が、僕にはある。


「おい、サズ子……お前一体、僕から何を——」


 その時、サズ子がその巨体に見合わぬ速さで横に移動する。すると、先程まで僕達がいた地点を黒い光が通過した。


「蒼―っ! 大丈夫ーっ⁉」

「お、お姉ちゃん……」

『……蒼、ここは危ない。このまま天海まで行っちゃおう』


 サズ子はそう言うと泳ぐように空を渡り、僕達の真上にあるもう一つの海、第二海層へと向かう。


「お前まさか、このまま上の海層に行くつもりか……?」

『うん。空だろうが、陸だろうが、海だろうが、関係なく移動出来る私なら、真上にある海層を直接渡っていけば、すぐに天海まで行けるはず』


 ……確かに、この方法なら天海まで一直線で行けそうだ。つまり、サズ子は宿主さえいれば、いつでも天海に辿り着けたという事か?


「ま、まさか、あの悪器……? だ、駄目だよ、蒼⁉ 黒海を経由せずに上の海層に行くのだけは、絶対に駄目‼」


 地上でディアが何かを叫んでいるようだが、遠くて何も聞こえない。


「ま、待て、サズ子……ディアが何か叫んでる。一度、ディアの所まで戻ろう」

『やだ。どうせ、負け犬の遠吠え。それにこの状態は長くは持たないから、さっさと上の海層に渡って何処かで休みたい。だから、蒼は悪いけど出来るだけ長く息を止めながら私に掴まっててね。すぐに海層を抜けるから』


 ……駄目だ、全く聞く耳を持つ様子がない。

 サズ子は無理矢理にでも、このまま上の海層に行くつもりのようだ。

 ディアがあれだけ叫んでいるし、何か重要な事を伝えようとしている気がするのだが……すでに飛び降りるには高度が高すぎるし、サズ子に生命力を吸われたせいで、掴まっているだけでも今の僕にはかなりキツい。

 ……覚悟を決めるしかないだろう。


『行くよ』


 そう言って、サズ子は海層に突入した。

 海に入った瞬間、物凄い勢いで海を移動しているのが分かる。

 恐らく、宣言通り僕が息を止めていられる間に、素早く海を抜けるつもりなのだろう。


『……あれ?』


 しかし、すぐにサズ子の戸惑ったような声が聞こえてきた。


『ここは……黒海?』


 僕は閉じていた目をうっすらと開けると、確かに大量の墨を海にぶちまけたかのような暗闇が、目の前に広がっていた。


『おかしい。さっきまで普通の海だった。それに、この私が黒海に入った事にすら気付かないなんて……』


 その瞬間、まるで誰かが海の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜたかのような衝撃が僕達を襲う。


『な、なに……? 急に海が荒れて……ここは不味い! 早く抜け出さないと!』


 サズ子は本能的に危険を感じ取ったのか、先程よりも速度を上げて前へ進む。

 とにかくどの方向に向かってもいいから、黒海を抜けるつもりなのだろう。

 僕は振り落とされないように、必死にサズ子にしがみ付く。


 ……不意に、まるで飛行機に乗っている時に、ふとその高さに気が付いてしまったかのような言い様の無い胸騒ぎに襲われた。


 僕は絶対に見ない方が良いと理解しつつも、未知の恐怖に勝てず、うっすらと目を開けて後ろを確認して……すぐに後悔する事となる。


 サズ子は必死に泳いでいて気が付いてないようだが、僕はハッキリとソレと目が合った。

 いや、その言い方は正しくない。


 具体的には、目しか見えないのだ。

 ——何故なら、ソレはあの海龍を丸呑みにしたサズ子でさえ、まるで糸くずにしか見えないほどのだったのだから。


 ソレはじっと暗闇に潜みながらも、確実に僕達を見続けている。

 ……こんなのが、黒海にいるなんて聞いてないぞ。

 すると、不意にソレが瞬きをした。

 その瞬間、先程僕達を襲ったのと同じ衝撃波が再び巻き起こる。


 ……ははっ、なるほど。さっきの衝撃波は、コイツが目を覚ました余波か。


『aaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA——ッ‼︎』


 その時、ほとんど超音波のような高音が水を伝って耳に届くと同時に、先程の比じゃないくらいの衝撃が襲い掛かってくる。

 僕は為す術もなくサズ子から吹き飛ばされ、何も見えない空間にただ一人取り残されてしまった。

 容赦なく死というものを意識させられるが、僕の中にあるのは死の恐怖というよりも、兄貴や向こうの世界にいる友達、そしてこの世界で出来た新しい家族であるディアに、もう二度と会えないんだという悲しみの方が大きい。


 そうして、僕の意識は文字通り海に沈むように……ゆっくりと消えていった。



 ****************



 ~とある港~


「お、おい、海! もう止めろ! このままじゃあ、本当に全員死んじまうよ!」

「ふざけんなぁっ‼ コイツらは、俺の弟を海に捨てやがったんだぞ‼ 全員ぶっ殺してやる‼」

「それじゃあ、何の解決にもならねえだろ!」


 日本の何処かにある、とある港。

 そこには夥しいほどの血で拳を染めながら、猛り狂う一人の男がいた。

 男の周囲には、目が腫れあがり、鼻が潰れ、歯が無くなり、身体中の骨の折れた男達が屍のように倒れている。

 未だに死者が出ていないのが、不思議なくらいの惨状だ。


「弟さんは……残念だったな」

「まだ死んじゃいねえッ! 蒼は必ず生きてる‼」

「で、でも……、お前の弟が行方不明になって、もう一週間は経ってるぜ?」

「うるせえっ! クソ……何で、何で蒼がぁ……っ!」

「海……」


 男の仲間は、その姿を痛ましそうに見ると何とか慰める事は出来ないと考える。


「も、もしかしたら、どっかの船に拾われてるんじゃねえか? それで帰り方が分かんなくなっちまったとかさ」

「……なら、迎え行く」

「え?」

「弟が帰れなくて困ってるんなら、そこが何処であろうと迎えに行くのが兄貴の役目だ!」

「だ、だけど、場所が分からねえじゃねえか」

「そんなの関係ねえ……やるか、やらないかだ」


 男はそう言うと、目の前の海に向かう。


「お、おい! どうすんだよ!」

「海の中を辿る。ここで流されたなら、泳げば蒼が何処に行ったか分かるはずだ」

「ば、馬鹿! それじゃあ、お前が死ぬぞ⁉ お前が死んだら、例え、弟さんが生きてたって会えねえじゃねえか!」

「俺は、絶対に死なねえ。蒼も必ず生きて連れ戻す!」


 そう言うと、男は何の躊躇いもなく海へと飛び込んだ。

 残された男の仲間は、ただ茫然と男が消えた海を眺め続けるのだった。



 ****************



 ~とある異海~


「行っちゃった……」


 どうしよう……まさか、あの悪器が海の底にだなんて、思いもしなかった。

 こんな事になるなら、蒼にもっと海の事を教えておけば良かったと思うが、そもそもこんなに早く蒼がこの船を出ようとするなんて想定外も良い所だ。


「……あーっ、もう! 蒼はもっとゆっくり育ててあげるつもりだったのにーっ! それもこれも、全部あの悪器のせいだ!」


 異世界人の蒼と悪器が接触したらどうなるのか、興味本位で槍を預けた事を激しく後悔する。

 あのサズ子とか蒼に呼ばれていたクソ蛇……もしも、蒼に何かあったら、海の底だろうと何だろうと必ず見つけ出して、その存在ごと消してやるからな。


「……蒼、絶対に死なないでね。すぐに迎えに行くから」


 私は船に飛び乗る。

 すると、そこにはブラックハーツの仲間達が待っていた。


「……行くのか、ディア?」

「うん。蒼を迎えに行かなきゃいけないからね。お頭、蒼が何処にいるのか分かる?」

「さてね。私のスキルはそこまで都合の良いものじゃないからね」

「そっか……じゃあ、やっぱり、まずは海賊島へ行こう。手下を集めなきゃ」


 私は蒼が飛んで行った空を見上げると、大きく息を吸う。


「出航―っ!」



 ****************



 ~とある海~


「お、おい、親父。どうする……?」

「ば、馬鹿! 早く引き揚げろ!」

 波の音に紛れて、遠くでそんな声がした。

 少し気になったが、しかし、ぬるいお湯にでも浸かっているかのような心地の良い温もりが僕から動く気力を奪う。


 もう少し、このままだらだらしていたい……そう思っていたのも束の間、急に何かに思いきり引き上げられる。

 僕は思わず顔を顰めてしまう。折角、気持ち良かったというのに……。


「大丈夫か?」


 その言葉を聞いた瞬間、不意にとても懐かしい気持ちになった。

 僕はそこで、ようやく重い目蓋をゆっくりと開ける——

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