第2話 異海漂流

 ザァ……。

 何処からか、心地の良い波の音が聞こえる。

 強い潮の匂いに鼻先をくすぐられ、ゆっくり目を開けると、青過ぎる空が僕を見下ろしていた。


 ……どうやら、僕はまだ生きているようだ。

 流石に、あの不良達にも殺人を犯す度胸まではなかったらしい。

 僕は全身の痛みを堪えながら、上体を起こす。


「大丈夫?」


 すると、目の前に全身をずぶ濡れにした褐色の美少女がいた。

 彼女はしゃがみながら、宝石のように美しいルビーの瞳で僕を観察するように見つめる。


「おーい。もしかして、言葉分かんない?」

「……あっ、いえ、すみません。分かります」

「良かったーっ! 折角助けたのに、喋れないんじゃ困っちゃうとこだったよ」


 少女ははじけるような笑みを浮かべると、濡れた前髪をかきあげる。

 その姿に、僕は思わず見惚れてしまう。

 こんなに綺麗な人、今まで見たことない。


「それにしても、君よく生きてたね。流石に、私も海の上で昼寝をしている人なんて初めて見たよ」

「海……?」

「うん、そう。今朝起きて海を見てたら、君がぷかぷかと海に浮かんでいるのを見つけてさ。慌てて飛び込んで、さっきようやく船の上に引き揚げたってわけ」


 そう言われて身体を触ると、確かに全身が濡れているような気がする。

 ていうか、ここ船の上なの?

 あれ? じゃあ、もしかして、アイツらあの後、本当に僕を海に捨てたのか?

 いや、マジでシャレにならんって。アイツら、頭イカれすぎだぞ。

 運良く助かったから良いものの、自分でも生きているのが不思議なくらいだ。


「そ、そうだったんですか。すみません、助かりました」

「ふふん、存分に感謝してくれたまえ。それで、何で流されてたの?」

「ちょっと喧嘩しちゃって……」

「……へえ、ただの喧嘩にしては穏やかじゃないね」

「そうですね。どうも、僕の兄が結構恨みを買っていたらしく……」

「なるほどね。それで、君は何処から来たのかな?」

「えっ、日本ですけど……」


 僕はその言葉に不安になる。

 僕を助けてくれた彼女は、全く違和感のない流暢な日本語を話しているし、流石に海外まで流されていたら助かってないだろうという思い込みから、ここは日本の近くだと思っていたのだが、実は違うのだろうか?

 ていうか、この船って冷静に何処に向かってるんだ? このまま海外まで連れて行かれたら、帰る手段がないのだが……。


「ニホン? 聞いたことない場所だね」


 しかし、彼女から出てきた言葉は僕の想像なんか遥かに超えていた。悪い意味で。


「ちょっ、流石に冗談ですよね⁉︎ ここって日本の近くじゃないんですか? ていうか、さっきから僕たち日本語で会話しているじゃないですか!」

「……うーん、ちょっとごめんね? 【ステータス】」


 彼女がそう呟くと、僕の目の前に半透明の板みたいなものが現れる。


 名前 天条蒼 所属 無所属

 筋力 1.00 体力 1.00 魔力 1.00

 スキル「???の支配者」


「うわっ、君のステータス弱過ぎ⁉」


 それを見た途端、彼女はドン引きしたように叫ぶ。


「ていうか、君無所属じゃん! ニホンなんて国も地名も聞いたことないし、もしかしなくとも適当言ってるね⁉」

「う、嘘じゃないですよ! ていうか、その板なんですか⁉︎」

「えー……、ステータスまで知らないことなんてある? 君の故郷、どんだけ田舎なのさ。未開拓地とか?」

「い、いや、確かに僕の住んでいた場所は田舎でしたけど……国は開拓されきってますよ」

「ナニソレ、全く訳が分からないよ!」


 全く訳が分からないのはこちらの台詞なのだが、彼女はもう僕の事をほったらかして、何やら一人で考え込んでいるようだった。


「記憶喪失……? それにしては受け答えがはっきりしてるし……でも、話してる内容は意味不明なんだよねー……漂流してるうちに、恐怖で頭がおかしくなったとか? そういえば、結構怪我もしてるし……」

「僕はまともだ!」

「うーん、まあ、最悪雑用くらいには使えるか」


 彼女は何か不穏な事を言いながら、僕に手を伸ばしてくる。


「立てる?」

「……ありがとうございます」


 僕は警戒しながら立ち上がる。今の時代にそんな非人道的なことはないと思うが、奴隷とかにされたらどうしよう。今すぐにでも逃げ出したいが、しかし、本当にここが船の上であるなら、僕に逃げ場なんて何処にもないはずだ。

 彼女は僕の思考を肯定するように、逃げるなんて少しも考えていない顔で僕の目を真っ直ぐ見つめてきた。


「これから船長を呼ぶけど、その後は君次第だから」


 彼女はそう言って脅すように顔を近付けてくるが、正直顔が整い過ぎていて怖いよりもドキドキが勝ってしまう。

 しかし、今から船の責任者の人に会わせてくれるようだが、日本語は通じるのだろうか? 一応、英語なら日常会話くらいは喋れるので、最悪それで何とかなると信じるしかないか。


「スーーーー……ッ、おかしらぁーーっ‼ ちょっと来てぇぇええええっ‼」


 彼女は胸一杯に息を吸い込んだかと思うと、いきなり船全体に響き渡るような大声で叫んだ。


「ちょ、うるさっ⁉ え、呼ぶってそんな言葉通りの意味なことある⁉」

「そうだよ? それ以外に何があるのさ」

「いや、スマホで連絡するとかさ……人のこと田舎者扱いしといて、そっちの方がよっぽど原始的じゃないか」

「何言ってるか全然分からないんだけど……あ、来たみたいだよ」


 彼女がそう言うと同時に、船の奥からドスドスと足音が聞こえてくる。


「ぶち殺されてぇのか、このクソガキィッ⁉ 親をそんな雑に呼ぶんじゃねえ‼」


 バンッと壊れそうな勢いで扉が開くと、そこから現れたのは身長二メートルを超えるクマみたいな巨体の女性だった。

 簡単にいうと、化け物だ。


「ごめんごめん。それより、コイツ見てよ!」

「あん? 誰だコイツ」

「海で寝てた! 面白そうだから仲間にしよ!」

「んな理由で私を起こすんじゃないっ!」


 お頭とやらに思い切り拳で殴られた彼女は、バコンッ!っと、おおよそ人の頭から響かないような音を立てて倒れていった。

 ああ、なんだ。僕は海じゃなくてここで死ぬのか。


「おい、お前は何者だ。そんで海で寝てたってどういうことだ?」

「は、はい、初めまして、僕は天条蒼です。昨日喧嘩に負けて海に捨てられたっぽいんですけど、気がついたらそこで泣きながら頭を抱えて転げ回っている人に助けて貰ってました」

「けっ、何だい。要はただの遭難者じゃないか。お前、ダスト出身かい?」

「ダスト? いや、僕は日本出身ですけど……」

「ニホン?」

「あっ、お頭。その子無所属だよ」

「はぁ? 全く訳が分からないねえ……」


 いや、それは完全に僕のセリフだ。何でこの人たちは日本語を知っているくせに、日本と聞くと首を傾げるのだろう。


「だよね! しかも、この子ステータスも知らないし、ステータスの数値もオール1なんだよ! 面白くない⁉」

「ただのゴミじゃないかい。そりゃあ、喧嘩に負けるのも当然だね。ていうか、赤ん坊と数値変わらないとか、一体どんな人生送ってきたらそんなステータスになるんだい?」

「分かんない! でもねでもね。不思議なスキルがあるんだよ。【ステータス】」


 すると、再び僕の目の前に半透明の板のようなものが現れる。

 彼女は、そこに書いてある「???の支配者」というスキルを指差す。


「ほら、これ見て! 見たこともないスキルがあるよ」

「おいおい、支配者ってこりゃレアスキル中のレアスキルじゃないかい」

「面白いでしょ! だからさ、この子を私たちの仲間にしようよ!」

「まあ雑用くらいなら構わないが、お前随分とこのガキにご執心じゃないか。惚れたか?」

「そんなんじゃないよ⁉」

「どうだかね。おい、蒼」

「は、はい」


 突然呼び捨てにされ、驚きながらも何とか返事をすると、お頭と呼ばれた女性は凶悪な顔で口角を上げる。


「お前、そんなに私の子分になりたいのかい?」

「いいえ、全く」

「おいコラ、このクソガキィッ‼︎ 私を呼ぶなら、せめて話をつけときな!」

「わーっ! 待って待って! 殴らないで!」


 彼女は頭を抱えながら慌てて僕の後ろに隠れると、囁くように僕に聞いてくる。


「き、キミさ―、ちょっとは空気を読んでよ。私までお頭に殺されちゃうじゃん」

「あの、僕が死ぬことは既定路線みたいに言うのやめてくれません?」

「だって、私たちの仲間にならないんでしょ? だったら、今すぐ船を降りてもらわないと」

「分かりました。この船がどこに行くか教えてもらえません? 出来れば、日本の何処かで降ろして欲しいんですけど」

「いやいや、なに甘いこと言ってんの? このまま海に捨てるに決まってんじゃん」

「……はぁ⁉︎」


 ここに至ってようやく事の重大さを理解した僕は、それを察した彼女に冷たい目で見られるのも構わず、必死になって命乞いを始める。


「すみません、お頭! 僕が間違っていました! 雑用でも何でもするんで子分にしてください!」

「わーお、百点満点の手のひら返しだね」

「本当にこんな奴を仲間にして大丈夫かい?」

「面白いから良いんじゃない?」

「ありがとうございます!」


 断られる前に僕がお礼を言って頭を下げると、それ見た彼女はケタケタと赤子のように笑い、お頭は呆れたような顔をする。

 ふぅ……、どうにか命拾いした。本当はこのまま有耶無耶にして話を切り上げたいところだが、しかし、その前にどうしても確認しなければいけないことがある。


「あの、すみません。ところでここは何処で、貴女達は何者なんですか? ……って、ちょっ⁉︎」

「……」

「わ、わーっ、わーっ! 待ってよ、お頭! 私まで海に捨てようとしないでよー!」


 無言で首を鷲掴みにされ、まるで小石でも拾うかのように持ち上げられた僕と、空いた片方の手が自分にまで伸びてきている事を確認した彼女は、慌てた様子で叫ぶ。


「ここは、ルルシチア海にあるベルゼ黒海のど真ん中! 一番近くにある島は、海賊島ダスト!」

「は、はい?」


「そして、私達はブラックハーツ海賊団! この人が船長のゾア・ハーツ! 私は副船長のディア・シー! よろしくねっ!」


 ……はい?

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