第19話

 久しぶりの実技授業が良い息抜きになったのか、その後の授業はいつもより集中して受けることができた。

 あれから数日経ったある日、リヒトはその日に受けた授業の復習をする為に教室に残っていた。

 着々と試験の日は近づいているが、スピカやフォスに頼りきりではこの先困るのは自分だ、と今日は一人で勉強しようと思ったのだ。図書館や併設されている自習室も静かな場所ではあるが、どうしても紙擦れの音や人の気配が気になってしまう。

 無人の教室での勉強は大いに捗った。

 大概の生徒は先の図書館や自習室に行く為、放課後の教室に残る生徒はほとんど居ない。中々の穴場を見つけたことにリヒトは内心喜んだ。

―これからは復習を習慣にしよう。

 自分なりにまとめられた自分のノートを見て、リヒトは満足げに頷いた。その時、教室のドアがゆっくりと開いた。

「……あれ、リヒトくん?まだいたのかい」

「アンライト先生、こんにちは。今日の授業の復習をしていました。ボク、図書館でやるより集中出来るみたいで……」

 アンライトは放課後の見回りで、校内に不審者などがいないか確認していたらしい。

 すぐに見回りの続きへ戻るかと思ったが、彼はそのままリヒトの席の前までやってきた。長身の彼は屈んでリヒトに目線を近づけた。

「それは良かった。でも、もう誰も居ないと思ったからびっくりしましたよ。復習と言っていましたが今日の授業でどこか分からなかった所はありましたか?」

「驚かせてしまってすみません。今日はばっちりです」

「そうですか?また何かあればいつでも言ってください」

 屈んでいたアンライトの肩から束ねられた長髪がはらりと落ちてきた。髪留めにしていた紐がほどけたらしい。

 陽が落ちる今の時間帯では彼の銀髪も鈍色に見える。

「おっと―失礼、髪留めが緩んでいたようだね」

 アンライトは髪をかきあげてリヒトに詫びた後、髪を結び直した。

 彼の顔をまじまじと見たのはこれが初めてだったが、よく見ると彼はかなりの美形だった。教職に就いて多少の疲労はあるのか、目元に疲れが見えるが、それでもアンライトは美丈夫と呼べる容姿だ。

「……ん?どうかしたかい」

「あっいえ、先生って格好良いなと思って」

「うーん、そうかな……私、実は普段は結構だらしないんですよ」

「本当ですか?そうは見えませんけど……」

 リヒトはアンライトの容姿について述べたつもりだったが、どうやら教師としての姿勢を褒められたと思ったらしい。

 とはいえ、彼は雰囲気こそどこかくたびれているが、身なりはいつも整っている(様に見える)し、授業以外の時間でもいつも親身になって教えてくれる。

 学校で見ている姿からは想像出来ない。

 リヒトが疑わしそうにアンライトを見ると、彼はふるふると首を振った。

 照れくさそうに目を逸らして言う。

「いやー、仕事は生徒の為になりますからきちんとこなしますが、自分の事となると適当になってしまって……って、自分の生徒にこんなことを話してはダメですね」

 そこまで言った後、彼は再び教師の顔をしてリヒトに向き直った。

「だから、私が格好良く見えるのは、リヒトくん達が私を格好良くさせてくれているからですよ」

 生徒が慕ってくれるからこそ自分は教師でいられる。生徒は教師の鏡なのだ、と彼は言葉を結んだ。アンライトは本当にこの仕事が好きなのだろう。

「―先生は、どうして星霊学の先生になろうと思ったんですか?」

「私もね、昔……格好いい先生に出会ったんだよ。あの人を今もずっと尊敬している」

 アンライトはそれ以上口にしなかった。

 なんだかはぐらかされたような気がするが、少しだけアンライトと親しくなれたことが嬉しかった。

「長話に付き合わせてしまってすみません。さあ、今日はそろそろ寮に帰りましょう」

「―いけない!アンライト先生、失礼します!」

「はい、お疲れ様。気を付けて。……さあおいで、―見回りの続きをしようか」

 紫色のエーテルがアンライトの周りに集まっていく。とても大きな何かだったが、それを見た者はいない。


 寮に帰ってからもリヒトは机に向かっていた。

「リヒト、随分頑張っているみたいだけど平気?」

「大丈夫だよ。もうすぐ座学試験だし、最後まで気を抜かずに勉強しておかないとね」

「気合入ってるわね。そういえば今日は勉強会の約束はしていなかったけど、どこ行ってたの?」

「今日は一人で勉強してた。いい場所見つけたんだ」

「えー、どこどこ?」

「内緒」

「けちー。でもなんか勉強してる時のリヒトって切羽詰まった様な顔してるわよ?」

「あー、えっと……」

 リヒトは言葉に詰まった。

 奨学金のことは特段恥ずかしい話でもないのだが、スピカの父親のことを思うと正直に話すのは躊躇われた。

 スピカの父親はリヒトの実家であるパブの常連で、彼女を入学させる為に身を粉にして働いていたことを知っているからだ。

 だが、ただでさえお互い秘密を抱えているのに、ここで更に秘密を増やしては、いずれ関係もぎくしゃくしてしまうだろう。リヒトは勇気を出して奨学金のことを話した。

「―あのね、ボクは奨学金制度を利用してこの学園で勉強しているんだ」

「奨学金?」

「うん。最近始まった制度なんだけど、勉強したくても金銭的に余裕がない人が勉強出来るように、国がお金を貸してくれるんだ」

「ふうん、その奨学金の貰える条件が成績維持ってことね。―で、あたしの父親はそれを知らずにあくせく働いていたって訳ね」

 聡いスピカはすぐに事情を察したようだ。

「でも、奨学金は卒業したら少しづつ返していかないといけないから、スピカのお父さんが頑張ってくれた分、その心配はいらないでしょ?」

 スピカの父親を知っているせいか、何とか肩を持ってやらねばとリヒトはすぐさまフォローを入れた。

「まあ……そうだけど。って、リヒトそれ借金みたいなものってこと?」

「返済が必要って意味ではそうだね。でも一等星になったらそんなのすぐ返しちゃうよ!」

 リヒトは気丈に答えたが、それを聞いたスピカの眼差しは真剣そのものだった。

「だったら尚更手伝うわよ!」

「最近は二人に勉強見てもらってるし、自分でも復習とかしてるから大丈夫だって」

 これ以上スピカとフォスの時間を貰うのは二人に申し訳ないと思いリヒトは辞退しようとしたが、スピカは聞かなかった。

 それからの放課後は補習の日々だった。

 試験に向けて来る日も来る日も試験範囲の復習をした。試験まで一週間を切った頃にはフォスが用意した小試験も、正解数の方が多くなっていた。


 そうして、とうとう座学試験の日がやってきた。

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