第15話

 初めての天体観測から一週間後、宿題の答え合わせの日だ。

 また寝起きの悪いスピカを連れて、リヒトは食堂へ向かう。最中、あの夜の事を思い出した。


 残りの課題を終え、望遠鏡を覗くのに疲れた三人は、観測室を出て再び広大なそらを見上げていた。

「こうやって見るとやっぱり星って遠いね」

 手を伸ばすが、勿論届く筈もない。

「あんなに遠くから力強い光を放っているんだ……ボクも、あんな風に輝けるのかな」

「一等星になりたいってこと?」

 フォスが訊ねる。

「うん。ボクは在学中に一等星になるよ」

「在学中に?三等星まで上がれば卒業後の職には困らないって聞いたけど……」

 リヒトは肯定したが、ユース学園の(浅い)歴史上、在学中に一等星まで上り詰めた卒業生はいない。

 それどころか、一等星の占星術士自体片手で数えられるくらいしか存在しない。成し遂げたのなら、リヒトは伝説になるだろう。

「ユース学園は六年制でしょ。ボク達が卒業する頃にはきっとライバルが沢山いると思うんだよね」

 占星術士は今人気の職業だ。

 卒業後、占星術士の肩書きで仕事を得るとしても、三等星では恐らく周りに埋もれてしまうだろう。故に、三等星で満足する訳にはいかない。

「……リヒトの言う通りだ。僕はね、将来は星霊の研究者になりたいんだ」

「星霊の?」

 リヒトが繰り返した。フォスが頷く。

「そう。星の成り立ちを知りたい。そのために、僕も一等星を目指す」

「一等星になれば―あたしも認めさせる事が出来るかしら」

 スピカは厳しい表情でそらを睨みつけていた。

 一体誰を認めさせるつもりなのだろうか。リヒトが口を開く前に、フォスがスピカを宥める。

「スピカ……きみの気持ちは知っているけど、それは自分ためじゃないだろう」

「ううん、これは自分のためよ!一等星まで上がればあいつも文句ない筈よ、それでその後はあたしの勝手―」

 苛立ちを露わに、スピカはフォスの肩に掴みかかる。詳しい事情は分からないが、剣呑な雰囲気にリヒトは慌てて二人の間に割って入った。

「スピカ、落ち着いて!」

「……リヒト」

 はっとしてスピカが手を離す。

「スピカ、この間といい占星術士の話になると様子が変だよ。何か事情があるの?」

「―あたしは、元々占星術士になりたくてここに来た訳じゃないの」

「そ、うなの……?」

 リヒトやフォスと違い、スピカだけは夢や目標の為に一等星を目指していなかった。

 その言葉でショックを受けた様子のリヒトを見て、スピカが自嘲気味に笑う。

「ごめんね。……でも、一等星になりたいのは本当。どうしても認めさせたい相手がいるから」

「…………分かった。三人一緒に!一等星を目指そう!」

―本当は、聞きたい事も沢山あった。

 理由も本音も、叶うならば聞かせて欲しかった。けれど、二人とも辛そうな顔をしていた。今は全て飲み込んで、同じ方向を向くしかなかった。

「……一緒に。うん、一緒に頑張ろう!」

「そうね。―これからもよろしくね」

 リヒトの一言をきっかけに、ぎこちないながらも三人の空気は元に戻っていった。

「今夜はもう遅いし、寮に戻ろうか」

「うん……ちょっと冷えてきたし」

「じゃあ、これ羽織っていきなよ」

 スピカが腕を摩っているのに気付き、フォスが上着を一枚脱いで彼女の肩に掛けた。

「あ……これ……もしかして、このために?」

「まあね。スピカ、昔から寒がりの癖に薄着で出歩くんだから」

 彼がわざわざ厚着をしていたのは、他でもないスピカのためだったようだ。

「あ、ありがと……」

 目線を逸らしていたが、色白な細い指先はしっかりと上着を掴んでいた。

「良かったね、スピカ」

「リヒトは平気かい?」

 リヒトを気遣い、フォスが声を掛ける。

「ボクは全然大丈夫。暑いの苦手なんだ」

「そっか。なら良いけど……風邪引かないでね?」

「あはは、気を付ける」

 三人は観測室に訪れた時と同じように、他愛もない話をしながら、寮へ帰っていった。


 あれ以来、互いの夢や目標について話題にする事は無かった。―どちらかといえば、敢えて避けている。

 リヒトが両親の事を二人に伏せているように、スピカもまた、を抱えているのだろう。

 フォスの口ぶりからして、彼は何か知っている様子だった。

―いつか、ボクも二人に自分の話をする事が出来たら……。

 いつか、自分にも話して貰えるだろうか。―と、未だ夢うつつのスピカを見て思う。

「スピカー、ねえそろそろ起きてくれない?重いんだけど」

「うんー……」

 リヒトの肩に頭を凭れて、覚束無い足取りで歩くスピカに覚醒の兆しは無い。

 思わずため息が漏れた。

「はあ……」

「リヒト、おはよう。スピカはまだ夢の中?」

「フォス!ちょっと助けてくれない?」

 本気で助けを求めているリヒトに対して、フォスは笑いを噛み殺している。

「ここまでだと僕でもちょっと手に負えないかな……」

 そう言って立ち去ろうとするフォスを必死で引き止める。

「ちょっ、見捨てないでよー!」

「分かったわかった。スピカ、リヒトが困ってるからいい加減起きようか」

 堪えきれず吹き出した後、フォスがスピカの頬を思い切り抓った。

「いッ……ひゃい!?いひゃいいひゃい!!」

 意外にも容赦のない一撃に、リヒトは思わず顔を引きつらせた。

「おはよう、スピカ」

「お、おはよう……って、何すんのよ!」

 赤くなった頬を擦りながら、涙目でスピカが訴える。手段はともかく、スピカの目は覚めたらしい。

「いつも最後はこれで起こしていただろ?」

「優しそうな顔してやることえげつないね……」

 その日は暫くスピカの機嫌が悪かったが、リヒトが昼食のデザートに付いていたケーキを譲るとすっかり上機嫌になった。

 午後の星詠みの授業で各々課題を提出すると、担当教員のカティエはそれを長い爪で弾くように数えた。

「……三十、三十一、三十二。ちゃんとみんな提出したわね」

 にこやかにそう言った後、彼女は猫のような瞳をすう、と細めて続けた。

「―ま、中にはズルをした子もいるみたいだけど」

「ズル……?」

「誰かの答えを写したり、適当に書いてきた子はちゃんと減点するわよ。私

―まただ。

 カティエもアンライトも、『私達』と言う時、必ず自身の傍らに視線を向ける。

 まるでそこに誰かがいるかのように。

「……リヒト?」

「ん?―ああ、何でもないよ」

「課題の答え合わせをするから、今夜また観測室に集まってね。集めた課題はその時に返すわ」

 カティエは紙を束ねて脇に寄せると、ぱん、と手を叩いた。

「さて、来月は座学の試験があるからちゃんと勉強しておくようにね」

 座学、と聞いてリヒトの表情が強ばった。カティエの授業だけでも精一杯だというのに、科目は星詠み以外にも星霊学、地歴、数学、語学と合わせて五教科ある。

「落第点を取った子は休日に補習よ」

 スピカとフォスはそれを聞いても涼しい顔をしている。この二人は落第点の心配は無いのだろう。

 危ないのは自分だけか、と一層落胆した。

「教科書を開いて。昨日の続きから始めるわよ」

「リヒト、教科書の向き逆」

「えっ?あっ……ほ、本当だ……」

 フォスに突っ込まれ、慌てて教科書の向きを正す。そうしている間にもカティエは授業を進めていた。

 リヒトは奨学金制度を利用してユース学園へ入学した。継続して支援を受けるには成績を維持する必要がある。

 母であるギーゼラに負担は掛けられない。リヒトは明らかに動揺していた。

「……勉強……しなきゃ」

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