第14話
スピカと別々に入浴を終え、再び自室で会った時は既にいつもの彼女だった。
「ちょっと、あんたまた顔そのまんまで出てきたでしょ!」
「へ?うん―」
リヒトが頷いたのを確認するや否やスピカがずんずん近づいてくる。
「この後夜風に当たるんだからしっかり保湿しなさい!」
スピカの両手にぱちんと頬を挟まれた。その手には彼女御用達の化粧水。ひたひたと馴染ませる手つきは優しかった。
「ご、ごえんなはい……」
「本当は肌との相性もあるけど、今夜はこれで我慢して。……本当に今まで何にもケアしてこなかったの?」
そう言いながら、今度はまた別のクリームのようなものを塗り込んでくる。ふわりと蜂蜜のような香りがした。
「興味無いの?」
「うん」
「冬場とか乾燥して辛くない?」
怒られるかもしれない、と少し覚悟していたが、スピカは目尻を下げ心配そうにリヒトの顔を覗き込むばかりだった。
「ちょっとだけぱりぱりして痛かった……かも?」
「ほらあ……あたしので良かったら貸したげるから、これからは冬だけじゃなくて、毎日するのよ」
そう言ってリヒトの頬を解放すると、スピカは先程の化粧水やらクリームやらが仕舞われた箱を、リヒトに見える位置に置いた。
毎日、と聞いて億劫に思ったのが顔に出たのか、スピカは念を押して言った。
「毎日だからね?最低限、この化粧水とクリームだけでいいから」
「は、はい。……あ、肌がもちもちする」
自分の頬に触れると、明らかに触り心地が違っていた。こんなに違うのなら続けてみてもいいかもしれない。
「でしょ?」
「うん、ありがとう。―スピカってお姉ちゃんみたいだね」
「あれ?リヒト、
そう言ってベッドに腰掛けるスピカ。
リヒトは机に座る。授業のノートをまとめる為だ。
「ううん、ボクは一人っ子だよ。なんて言うか、お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかなって」
「リヒト……」
スピカの方を振り返り、リヒトは甘えるように笑んでみせた。
「ボク、知っての通りこういう事には疎いからさ、色々教えてよ」
「ふふ、教える事は多そうね」
スピカも柔らかな笑みを返す。
「じゃあ、ちょっとノート借りるね」
「どうぞ」
本当は先に部屋に戻ってノートを写すつもりだったが、つい占星術の練習に夢中になってしまった。
スピカのノートは要点をしっかり押さえつつも簡単なメモのような記載もあり、全体的見やすくまとめられていた。自分のノートはやはり雰囲気からして違う。
その中から今回の課題になった星座の記載を見つける。
「あった。えっと……
大体は授業の間にまとめたつもりだったが、見ればスピカのノートと比べると不足も少々あった。それを補足しつつ、さらさらと写し、スピカにノートを返す。
「よし、と。スピカ、ノートありがとう。終わったよ」
「言ってくれればまたいつでも貸すわよ」
夕食を済ませ、リヒトとスピカは先に寮を出た。満腹になったリヒトは若干眠たげに瞼を擦っていた。
「フォスはまだかしら」
辺りを見回すが、フォスの姿はない。中へ戻って探しに行こうとリヒトが振り返ると薄緑の髪を風に遊ばせた彼が立っていた。
「うわっ、びっくりした」
「お待たせ、二人とも」
その顔は涼やかだが、首から下のシルエットがいつもより膨らんでいる。
「遅いわよ―……って何だか厚着ね」
「ああ、これ?もう秋口だし、夜は冷えると思ってさ」
そう言ってフォスは前を開けて見せた。数えること三枚。うち一枚はインナーだから引いても二枚だ。いくら夜は冷える時期とはいえ、やや着込み過ぎには思えた。
「観測室は屋内だし平気でしょ」
「まあね。さあ、そろそろ行こうよ」
「そうだね」
フォスに急かされ二人は歩き出した。
目的の観測室は校舎にある。他より少し高い場所に建てられた寮から眺めると、校舎棟に続く石畳がぼんやりと光っているのに気付いた。
「―あ、ここにも夜光石が使われているんだ」
「夜光石そのものというよりは夜光石を溶かした塗料を塗ってあるんだね」
「これなら夜でも迷わずに歩けるね」
三人は足元に出来た天の川に道案内をされながら、楽しげに校舎棟へ向かった。
点々と灯された蝋燭を頼りに観測室の前に辿り着くと、中から微かに話し声が聞こえてくる。扉の横に置かれている管理簿には案の定いくつもの名前か並んでいる。
「もうみんな来てるみたいだね。僕らも入ろうか」
そう言ってフォスがペンを手に取った。
管理簿の最後の名前は『アキラ』と書かれている。一つ下の行に自分の名前と等級を書き、ペンをリヒトに渡してきた。
「はい、リヒト」
「ありがとう。スピカの名前も書いちゃうね」
「あら、ありがとう」
扉を開けると、碧い光が溢れ出てきた。観測室の中心に集められた夜光石の輝きだ。
観測室に灯りは無く、夜光石が溜め込んだ光だけが部屋を照らしている。何組もの生徒達が望遠鏡と占星図を交互に見ている。
「どこかまだ空いてる望遠鏡はあるかな……」
ぐるりと見回すと、部屋の中心から放射状に並ぶ望遠鏡のうち、一台だけ空いている場所があった。
「あった。二人とも、こっちこっち」
「急に元気になったわね」
夜の闇と夜光石に満たされたこの部屋は紺碧に染まっており、その迫力にリヒトの目はすっかり覚めていた。
一足先に望遠鏡の前に立ったリヒトだが、肝心の使い方が分からなかった。
「ど、どうやって使うか分かんない……!」
「やれやれ、ちょっと貸して」
フォスがリヒトの代わりに望遠鏡の前に立った。一度覗き込み、手元のレバーを何度か回す。
「……もう少しかな……」
そう呟いて再びレバーを回しまた覗き込むと、フォスは満足そうに頷いた。
「覗いてご覧」
フォスに促され、リヒトは望遠鏡に顔を近付けた。レモンイエローの瞳が
「わ―」
遠い夢のような距離にいるはずの星が今はくっきりと見える。時折瞬く様子がまるで呼吸をしているようだった。それに、星は夜空にあっても温かい光を注いでくれている。
この時、リヒトは星も生きているのだと思った。
「リヒト、あたしにも見せて!」
リヒトを押し退ける勢いで望遠鏡に手を伸ばすスピカ。勢い余って望遠鏡の向きがぐんっと上向きになった。
「おっと」
それをフォスが元の位置に戻す。
「ありがとう、フォス」
「ここ掴んだらいいよ」
スピカの手を取っ手に誘導してやると、スピカは上下左右に望遠鏡を動かした。
「す、ごい……これが
「普段は高すぎて見えない星も何だか少し見えるような気もするね」
「……というか、何でフォスは望遠鏡の使い方知ってるの?」
今更ながら湧いてきた疑問を投げ掛けると、フォスは照れ臭そうに答えた。
「実は図書館で下調べしてきたんだ」
「さすが勉強熱心なだけあるわね」
「おかげで助かったよ」
いつの間にかスピカも望遠鏡から顔を離してこちらを向いていた。
「本当ね。ありがと、フォス」
「う、うん……!」
やはり今日の授業で上手く占星術を使えなかった事を気にして、どこかで挽回したかったのだろう。
男子のプライドというものはリヒトには分からないが、これを口にする事は憚られた。フォス自身も、これ以上詮索はされたくないだろう。
「じゃあ、ささっと課題片付けちゃおうか。天体観測はその後で、ね」
ばさばさと占星図を床に敷き、リヒトは本来の目的である星座予測を始めることにした。スピカに場所を代わってもらい、一つ目の課題である
恐らくそれだろうという星の並びは見つかったが、何だか目が霞んだように映る。
「んー……ねえ、フォス」
「なんだい?」
「ちょっと望遠鏡が見辛いんだけど、これ回したらいいの?」
リヒトが片手でレバーを指すと、フォスがこちらへ寄ってきた。
「そう。ピントが合わないのかな?手前に回してみて」
「分かった」
フォスの言葉に従ってレバーをくるくると回すと、ぼやけて二重に見えていた
「―あ、見えた。ありがとう」
今見た星の並びを占星図に書き写し、教わった通りに数式に当てはめて一週間の移動距離―つまり角度を求める。
その角度に従ってもう一度星座を占星図に描く。最後に、星同士を線で結べば完成だ。
「計算だと最初より高い位置に移動している」
「どうして星は動くのかしらね」
スピカの呟きにフォスが返す。
「僕らが今立ってるここも星の一つだって聞いた事があるよ」
「じゃあもしかしてボク達も動いてるのかな?」
「誰も
考えれば考える程不思議な事ばかりだ。
だが、夜は待ってくれない。こうしている間にも月は太陽の手を引いて朝を連れてこようとしている。
「とにかく、まだ課題終わっていないし、他の星座も片しちゃおう」
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