第8話

 なんとか朝食の時間に間に合い、二人揃ってテーブルに着くことが出来た。

 焼きたてのブロート(パン)の匂いが鼻腔をくすぐる。

「もう、間に合わないかと思ったよ」

「ごめんって……」

「おはよう、二人とも」

 リヒトの隣から声を掛けてきたのはフォスだった。余裕を持って来られたのだろう。彼は涼し気な表情だった。

「フォス、おはよう」

「おはよ。よく眠れた?」

「おかげさまで。スピカ程じゃないけどね」

「うーるーさーいー」

 朝から賑やかなリヒト達の前に給仕の女性が皿を並べていく。ヴルストと目玉焼きが盛り付けられたプレートと対面し、リヒトは目を輝かせた。

「わあ……!」

「リヒト、卵好きなの?」

 フォスの言う通り、リヒトは卵―もっと言えば卵料理が大好物だった。この一瞬で言い当てられ、リヒトはたじろいだ。

「な、何で分かるの?」

「なんとなく、かな。そんなに好きなら僕のをあげるよ」

 そう言ってフォスは自分の皿から目玉焼きを取り分けようとする。

「だ、だめだよ。ごはんはちゃんと食べないと!」

「遠慮しなくていいのに」

 そんなやり取りをしていると、食事の前のが始まった。

「遥か天上より光をお与えくださる星々よ」

 祝詞を口にしているのは上級生だろう。リヒト達とはスカーフの色が違った。

「―私達を見守り育むその慈悲深き輝きに感謝致します」

 この言葉が聞こえると、生徒達は一斉に胸の前で手を組み、目を閉じた。鳥の囀りすらはっきりと聞こえるほど静かだった。

 リヒト達もそれに倣う。―占星術士は星を信仰する文化があり、朝の祈りもその一つだ。

「では、本日も感謝を忘れずにいただきましょう」

 その一言で生徒達は一斉に朝食に手を伸ばす。祈りの時間はあれ程厳かな雰囲気に包まれていたというのに、そのような気配はもう微塵もない。

 リヒトも待ちわびたように銀食器シルバーを手にした。目玉焼きの黄身を割って、とろりとした食感を味わう。至福だった。

「美味しいぃ……」

「すっごい幸せそうな顔してるわね」

「うん。僕、朝ごはんでこんな顔できる人初めて見たよ」


 朝食を食べ終え、リヒト達は教室のある校舎棟へ向かった。胸に抱えた教科書はずっしりと重い。

「初めての授業ってどんな事するんだろうね」

「基本的な事は試験勉強である程度身に付けてきたし、やっぱり実技じゃないかな」

「そういえば、杖ちゃんと持ってきた?」

「僕は持ってきてるよ、ほら」

 占星術士は杖を依代として術を使う為、各自が自身に合った杖を用意する。

 スピカの杖は金色の花の形をした装飾が施されていて、可憐な彼女のイメージと合っていた。

 フォスの杖は見た目はシンプルだが真っ直ぐで、先端には燭台のような窪みが付いていた。

「うん、ボクも」

「リヒトの杖、なんか黒っぽいわね」

 リヒトの杖は両先端に平根のやじりが付いているだけのシンプルな杖だが、一度火事に遭い煤がついてしまっている。

 何気ない一言だったが、リヒトは胸が苦しくなった。取り繕う為に開いた唇がどうしようもなく震える。

「あ――うん、そうなんだ。元はこんな色じゃなかったんだけど……」

「そうなんだ。それナナカマドかい?」

「……そう、だよ」

 スピカにも、勿論フォスにだって悪気はない。だからこそ、両親のことを黙っている自分に罪悪感すら感じたのだ。ならばいっそ今ここで打ち明けてしまおうか。―いや、まだしばらくは何も知らないまま友達でいたい。

 リヒトの葛藤を汲み取ったように、予鈴が響いた。

「あ、まずい。急ごう二人とも」

「走ろう!」

 幸い教室はもうすぐそこだ。遅れる事はないだろう。

「なんかあたし達、三人揃うと走ってばっかりね!」

「はは、言えてる」

 校舎に入り、すれ違う教員達に咎められないよう早足で歩く。

 リヒト達の授業は突き当たりの教室だ。中へ入り、それぞれ傍らに杖を置く。

「昨日も少しだけ見学に来たけど、やっぱり教室も広いね」

「本当ね。学校だけで一つの街みたい」

 教員用出入り口が開いたのに気付き、教科書を並べた。表紙には『占星術Ⅰ』と書かれている。

「みんなおはよう、いい朝だね」

 入って来たのはアンライトだ。昨日と同じように銀色の長髪を無造作に束ねている。

「では早速授業を始めます」

 リヒト達に背を向け、黒板に白墨チョークを走らせた。

「私が担当するのは主に『星霊学せいれいがく』です。まあ簡単に言うと、について学ぶ学問かな」

「星の、声……」

「今朝、食堂でやったように、私達占星術師は星光信仰の文化があるよね」

 生徒達がまばらに頷く。

「私達占星術師は星の声を聞き、それを基に先の事を占っている事も知っているね?星々の声を頼りに我々は発展してきたんだ―あ、この先は『星詠ほしよみ』の授業で詳しく教わってください」

 アンライトは黒板を文字で埋めながら更に続ける。

「星はそれぞれ声が違っていて、しかも一つのひとつの声も小さいんだ。けど、その中でも星座を構成している星々は特別で、それらで一つの意思を持っているんだ。これを我々は星霊と呼んでいる」

 彼は饒舌に語るが、リヒトはそれを追いかけるので精一杯だった。

 板書も間に合わない。

「要は星霊は星座の数だけいるって事ね」

 ―なるほど。

 スピカの要約が分かりやすいと思ったリヒトは、自分のノートにそれをそのまま書き記した。

「星にはエーテルという力が宿っているんだ。さっき言った星詠と、この力を使って行使する術を合わせて占星術と呼びます」

 教壇に立つアンライトはとても楽しそうで、この仕事が天職だと全身で訴えているように見えた。

 今も白墨の削れる音が止まない。

「―と、これが星霊学の概要です。この教科では主に、星霊の解説とエーテルの使い方を教えます」

 そう言って、アンライトは漸く白墨を置いた。視界いっぱいに映る黒板はほとんど真っ白になっている。

「―とはいえ、説明だけじゃ退屈だよね。移動しようか」

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