第3話
翌日、リヒトはギーゼラと共に役場に行き、奨学金の申請について調べた。申請自体は書類の提出のみで出来ると聞き、その日の内に手続きをすることにした。
念の為グォルトクリスタ学院についても調べたが、残念ながら奨学金制度は採用されていなかった。それが却ってユース学園との縁を感じさせた。
役場の職員から説明を受けた時、保護者の同意が必要な書類が幾つもあった。それを見たリヒトは一瞬表情を曇らせたが、横にいたギーゼラが迷いなくペンを執ったのに気付き、また泣き出しそうになった。
リヒトの鼻をすする音を聞いたギーゼラは、静かにリヒトの肩を抱いた。
申請は無事に通り、後はユース学園に入学が出来れば、リヒトは第二の夢へ向かっていけるのだ。
それからのリヒトはみるみるうちに元気を取り戻し、店に出ている時でも笑顔を見せるようになった。
いつものようにエールを運んでいると、すっかり常連客となった二人組の男性客がリヒトに声を掛けた。
「リヒトちゃん、最近元気になったね」
「あ―はい、その……おかげさまで」
「やっぱり笑ってる方が可愛いなあ」
「えへへ……ありがとう」
リヒトは照れ隠しに相槌を打つだけだったが、男性客は次々と話を振ってくる。
話が長くなりそうだと思ったのか、ギーゼラは助け舟を出そうとあの時のように料理を持って会話を遮った。熱々のフリカデッレからは食欲をそそる良い匂いがした。
「ほらほら、リヒトはもう母屋に入る時間だよ。この子は受験生なんだ」
ユース学園への受験を決めて以来、リヒトは店の手伝いの時間を減らし、その分を受験勉強に充てることにしていた。
ギーゼラの言葉に男性客は驚いた様子でリヒトの方を見た。
「なんだって?リヒトちゃんどっか受けるのかい?」
「はい。ユース学園を」
「へえ!じゃあ占星術士の卵かあ!」
そう言われると何だか照れ臭い。
すると、もう一人の男性客が更に驚いた。
「ユース学園だって!そりゃ俺の娘も行くところじゃないか!」
そうだ。彼の娘がユース学園に行くという話がそもそものきっかけだったのだ。
娘の名前は、そう―。
「スピカちゃん、ですよね」
「ああ!我が娘ながら気難しい性格なんだが、見掛けたら仲良くしてやってくれな、リヒトちゃん」
「はい、ぜひ」
きっかけをくれたのは彼と彼の娘、スピカだ。スピカにも会って礼を言いたい。
―それにしても、(酒が入っているとはいえ)陽気な性格の彼から気難しい娘が生まれるとは想像もつかない。
まだ話したい気もするが、もう勉強の時間だ。名残惜しいがリヒトは母屋に戻ることにした。
「ごめんなさい、ボク、そろそろ部屋に行って勉強してくるね」
「おう、頑張れよ!」
部屋に戻ると、リヒトは簡素な机に向かった。積まれた参考書は勿論占星術に関する物で、以前リヒトが勉強していた錬金術とは基礎からして全く異なるものだった。中々苦戦はしたものの、2年前に培った勉強のコツと若さが強い武器となりどんどん知識を吸収していった。
ふと、後ろの壁に目線をやる。
ベッドの傍―壁に立てかけられている杖は2年前、錬金術士を志した時に買ってもらった父・アデルの形見だ。
杖を見る度に思い出す。あの日の出来事は一生忘れることはないだろう。
それでも、今は前を向きたいと思った。それが自分に出来る最大の弔いだ。
その為にも今度こそ受験を成功させなければならない。
リヒトは一層気合いを入れて受験勉強に励んだ。
夜は更けて、時刻は既にパブの閉店時間を過ぎている。ギーゼラがリヒトの様子を見に部屋にやってきた。―精を出しすぎたのか、当のリヒトは机に頭を預け、うたた寝をしていた。
「あらあら……」
ギーゼラはベッドから毛布を取り、それをリヒトに掛けてやった。
リヒトの寝顔は、隈が取れ随分穏やかなものになっていた。それを見たギーゼラは愛らしいリヒトの頬をそっと撫でた。
月日は流れ、季節は夏から秋へと移った。ここまで長かったが、ついに勝負の時がやってきた。今朝からそわそわと落ち着かない様子のリヒトを心配してか、ギーゼラはその日、店を休みにしていた。
「リヒト、あんた大丈夫かい?」
「ギ、ギーゼラさん……ボ、ボク……どうしよう……」
「毎日あれだけ頑張っていたじゃないか。神様はちゃんと見てくれてるよ」
「う、うん……」
ギーゼラなりに励ましてはみたものの、やはりリヒトの表情には不安が覗いている。
どうしたものかとギーゼラは暫し思案していたが、やがて思い付いた様に腕を広げた。
「おいで、リヒト」
「え……?」
最初は戸惑っていたが、リヒトはおずおずとその腕の中に体を収めた。するとギーゼラはリヒトの体を優しく抱き締めた。
「ギーゼラさん―ありがとう……」
2年前にここに来た頃はあんなにも小さく、まるで迷子のようだったリヒトが、今は自分の道を見つけ、その足で歩こうとしている。
その成長は嬉しくもあり、また寂しくもある。微かに震え、まだ少し頼りないこの背中を押さなければならないのは、ギーゼラにとっても苦しいところだった。だが、リヒトの保護者としてこれが彼女に最後にしてやれることだった。
あくまで自分は親代わりで、リヒトの本当の親ではない。その事実がなんとも歯痒い。
ギーゼラの体は元々、子供を産むことが出来なかった。そんな体は愛されるはずもないと自らを呪い、今まで一人で生きてきた。
そんな折、絶望の渦中にいるリヒトと出会った。
産んでもいない子供を愛し、育てることが自分に出来るのか、当時は不安で仕方がなかった。その上、リヒトは肉親を失っている。
こんな自分に代わりが務まるとは到底思えなかった。それでもこうしてリヒトを抱き締めているのは、ギーゼラが親になった証であると今は誇りをもって言える。
―どれくらいそうしていただろうか。ふとリヒトが顔を上げた。リヒトの震えはいつの間にか治まっており、その表情から不安は微塵も感じられなかった。
「―もう、大丈夫だね」
「うん」
それは短い会話だった。だが充分だった。
どちらからともなく二人の体は離れ、リヒトはドアへ向かった。
ドアノブに手を掛けて、動きが止まる。
大きく息を吸い込み、振り返った。
―言わなくては。決心が鈍る前に。
「行ってきます!――お母さん!」
その瞳はギーゼラを真っ直ぐに見ていた。
「リ、ヒト―」
本当はずっとそう呼びたかった。だが、勇気が出なかった。血の繋がらない人を母と呼ぶことが本当の母・カミラに対しても失礼だと思ってしまっていたから。
そんなことはないと分かったのは、ここまで自分を守り育ててきてくれた彼女の愛を全身で受け止めたからだ。
ギーゼラは破顔して応える。
「行ってらっしゃい、リヒト!」
この日、二人は本当の母となり、そして娘となった。血の繋がりに負けない絆がそこにはあった。
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