第2話

 呆然としながらリヒトは再び部屋を出ようとドアを開けた。

 視界に飛び込んできたのは、赤。

 感じるのは、喉を焼く熱と、鼻腔に突き刺さる

 このまま死ぬのだと思った。しかしそれに恐怖を感じたのはほんの一瞬だった。リヒトは最早逃げることもせず、その場に座り込んだ。

 少しづつ煙が身体を蝕んでいくのが分かる。座っていることが出来なくなり、床に倒れ込んだ。呼吸もどんどん浅くなる。リヒトはとうとう目を閉じた。

 外から人の声がする。

 ―もう、何も考えられなかった。


 それからのことは良く覚えていない。煙を吸って朧気になった意識の中、近隣の住民と火消しにより一人助け出された。

 聞いた話だが、あの時見つけられなかった父親の遺体も、自宅の焼け跡から発見されたらしい。

 葬式らしい葬式をあげることも無く、両親とアニーは墓に入ったようだ。

 身寄りなど無く、頼る宛も無かったリヒトは、隣町でパブを経営している女性に引き取られ、死ぬとも生きるともなく暮らしている。

 座学試験後に納める筈だった寄付金は強盗に奪われ、父の保険金は火事により被害を受けた近隣住民への慰謝料として支払われた。おかげで遺産と呼べる物は何も残っていなかった。寄付金どころか、学費もまともに払える状況ではなかった。

 当然、錬金術師への道も絶たれてしまった。

 全て燃えてしまい、手元に残ったのはナナカマドの杖だけだった。あの日リヒトが選んだ杖だけが、皮肉にも燃え切らずに残ったのだった。

 こうして少女リヒトは、当時齢13にして夢を失い、天涯孤独の身となった。


 それから二年経った今もリヒトはパブで働いている。幸いパブのママは気のいい人柄で、こき使われることも無く、いつもリヒトを気遣ってくれていた。その上、小遣い程度ではあるが給金も支払ってくれる。

 今やナナカマドの杖はたきぎ程度の役割しか果たさないが、父親唯一の形見だと思うとどうにも捨てられず、今も手元に残している。

「リヒト、エール二つ用意しとくれ」

「はい」

「……」

 あれ以来リヒトは、元の明朗快活な性格から一転し、心を閉ざすようになった。陽の光を一杯に溜めて輝いていたレモンイエローの瞳も、今や見る影もなくくすんでいた。

 あの日のトラウマから満足に眠ることも出来なくなり、目の下には深い隈が出来ている。まるでまだあの日の夢を見ているようだった。

 いつの間にか体に染み付いた動作でエールを注ぎ、客席に運ぶ。

 注文したのは、初老の男性二人組だった。

「お待たせしました」

「おお、リヒトちゃんありがとうよ」

「リヒトちゃん、腹減ってないか?こっち来ておっちゃんと一緒に飯食うか?」

 テーブルにはママが作った料理が並んでいる。

「……いえ……大丈夫です」

「そうかぁ……」

 料理はどれも美味しそうではあるが、自分はあくまで従業員であり、客と同じ席に着く訳にはいかない。それ以上に食欲が沸かなかったのもあるが。

 一礼し、裏に戻ろうと踵を返した時、二人の会話が耳に入った。

「そういやお前さん、リヒトちゃんと同じくらいの娘さんが居ただろう?」

「ああ、いるよ。スピカってんだけど、今年で15になるんだ」

「娘さんもアレだろ?占星術師ってのを輩出してる学校に行くんだろ?」

 『占星術師』という単語が聞こえ、ついリヒトは足を止めた。近くのテーブルを掃除するフリをして、二人の会話に聞き耳を立てる。

 占星術師とは、錬金術師に並んで人気の職業で、出世すれば吏員りいんとしての道も有り得るという話から、安定した職業というイメージが強い。

「ああ、ユース学園っていうんだ」

「へえ、ユース学園って言やぁ名門じゃないか」

 ユース学園は、グォルトクリスタ学院と比べれば歴史は浅いものの、その分建物自体も新しく、最先端の知識を得られることで、この国の若者が近年こぞって受験しているらしい。

 今年の倍率もかなり高い様だ。

「そうさ。うちのスピカは優秀なんだよ」

「あそこも学費が高いって聞いてるぜ。良く頑張ったじゃねぇか」

「おうよ、娘に苦労は掛けたくねぇからなぁ」

 娘の為に沢山働いて汗を流したのだろう。もう親のいないリヒトには、そこまで思ってくれる父親の存在が少し羨ましかった。

 もう居ない家族のことを思っていると、ママが新しい料理の乗った皿を持って二人の会話に割って入った。

「おやあんた、今年出来た新しい制度のこと知らないのかい?」

「新しい制度?」

「“奨学金制度”だよ。この国初の試みだって街で随分騒いでるだろ」

 奨学金制度―聞き慣れない言葉だった。もっと詳しく聞きたかったが、別の客からの注文でそれは阻まれた。

「リヒトちゃん、エールおかわり!」

「あっ……はい!」

「おや、なんだか急に元気になったね」

 ―占星術師。リヒトの胸に、小さな火が灯った瞬間だった。


 店じまいの途中、リヒトはママことギーゼラに訪ねた。

「あの、ギーゼラさん」

「なんだい?」

「さっき言ってた、奨学金制度について……聞いてもいいですか?」

 ギーゼラが洗ったグラスをリヒトが拭く。

「いいよ。奨学金制度っていうのは簡単に言うと―学校に通いたくてもお金が無い人に国が援助をしてやる制度さ」

「それって誰でも貰えるんですか?」

「ああ、30歳以下の人間なら誰でも貰えるよ。まあ、国に申請書類を出して、審査が通ればの話だがね」

 審査と聞いて、リヒトの手が止まる。

 家族のことも調べられるのだろうか。

「審査、か……何を審査するんだろう」

「あたしもそこまで詳しくは知らないけど、申請者の家計だとか、素行を見るって聞いたよ」

「そうなんですね」

「まあ、詳しくは役場に行けば分かるだろうけど。―興味があるのかい?」

「あっ……いや、その……」

「リヒト。あたしはこの二年、あんたを育ててきたんだ」

 リヒトは俯いた。

 ―そうだ。ボクはここで養って貰った恩を返さないといけないんだ。今更、そんな……。

 もう一度夢を見たい、などと言える立場ではないのだ、と自分に言い聞かせる。そうする程に胸が痛くなり、泣きそうだった。

「隠さなくていい。リヒト、あんたは―」

 ギーゼラは真っ直ぐにリヒトの目を見て言った。

「占星術師を目指したいんだろう?」

 ここに来てから俯いてばかりで、ギーゼラの顔をしっかりと見たのは初めてだった。

 リヒトを育ててきた彼女の眼差しはまさしく子を持つ親のそれだった。

「―っ、はい……!」

 リヒトが頷くと、ギーゼラはリヒトを力一杯抱きしめた。

「あたしは今すごく嬉しいよ。あんたは今、自分の力で前を向こうとしてる」

「ギーゼラ、さん……」

 気付けばリヒトの頬を涙が伝っていた。泣いたのは何時ぶりだろう。あの日、家族を失った時ですら涙を流す余裕が無かった。

 今までの分を埋めるように、リヒトは声が枯れるまで泣き続けた。

「あんたならきっと審査だって通るさ」

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