第8話 お菓子を作ろう!

 前回の人生でも、わたしは屋敷の厨房には入ったことがなかった。

 屋敷の一階にある厨房は、それなりの広さがあるみたいだけれど、そこは使用人たちのスペースだ。


 貴族の娘が来る場所じゃない。


 一応、わたしは公爵令嬢で、前回の人生では公爵令嬢らしく振る舞っていたから、当然、厨房に入ったこともないわけだ。


 厨房に忍び込む目的はわたしとフィルでお菓子をつまみ食いすること。だけど、厨房そのものもどんな雰囲気なのか興味があった。


 というわけで、ちょっとわくわくしながら、わたしはフィルを連れて厨房に入る。


「すごい……」


 わたしはつぶやいた。

 厨房の壁一面には、赤銅色の鍋や鋼鉄のスキレットといった調理器具が所狭しと吊り下げられていた。

 知識としては知っていても、実際の調理器具を見たことはほとんどない。

 それに、存在感のある石製のかまどもある。


 さすが公爵家のお屋敷の厨房だけあって、かなり規模が大きい。


 ちょうどこの時間、料理人たちは休憩で出払っている。

 お菓子をつまみ食いするなら、今がチャンス!


 ……と思ったのだけれど、

 

「何もない……」


 厨房には何もお菓子がなかった。考えてみればお菓子は高級品だし、わたしの父も母も甘いものがすごく好きというわけじゃない。

 置いてなくても当然かもしれない。


 いちおう肉とか野菜とか、食材らしきものは置いてある。

 砂糖は瓶詰めで置いてあるけど、さすがにそれを直接なめたりはしたくない。


 あとは……食べ残しのパンみたいなのが置かれている。たぶん、今朝の朝食の残りだ。

 せっかく厨房に来たのに……。


 今回の人生では、前回みたいな品行方正な公爵令嬢でいる必要もないし、好き勝手やろうと思っていたのに。

 甘いものを我慢する必要もないから、たらふく食べようと思ったのに!

 それにお腹を空かせているフィルに、なにか食べさせてあげたかった。

 まあ、使用人に頼めばよいのかもしれないけど、わたし自身がフィルにあげるということが重要なのだ。


 フィルはといえば、きょろきょろとして、それから、じっと黒い瞳でわたしを見つめた。


「フィル、期待させちゃったのに、ごめんね?」


「ううん。……クレアお姉ちゃんは、甘いお菓子が食べたいの?」


 わたしはこくこくとうなずいた。そのためにここに来たのだ。

 フィルは自信なさそうに目を伏せ、それから恥ずかしがるように顔を赤くした。


「えっと……あの……ぼくが作ってあげる」


「え? 作るって、でも、どうやって?」


 ここにお菓子を作れるようなものがあるんだろうか?

 食材はあるけど、肉とか野菜とかがほとんどだし。

 

 それに……フィルはもともと王族だ。わたしと同じで、料理なんてできないと思うんだけど。


「……材料はあると思う」

 

 そう言うと、フィルは小さな鍋を壁から取ろうとし……背が届かなかった。

 必死で背を伸ばして鍋を取ろうとしているフィルが可愛かった。背後から抱きしめようかと思ったけど、やめておく。

 びっくりさせたらいけないし。


 代わりに、フィルの取ろうとしていた鍋を取って渡してあげた。

 フィルはうつむき加減に、「ありがとう」とつぶやいた。


 いったい、どうするつもりなんだろう?

 フィルは真っ黒な瓶をとると、中身を豪快に鍋へと注いだ。

 緑色の透明な液体が、赤銅の鍋に広がる。


「きれい……」


 わたしが思わずつぶやくと、フィルが気恥ずかしそうに微笑んだ。

 

「オリーブの油だよ」


 料理に使われているのは知っていたけど、実際の油の液体を見るのは初めてかもしれない。


 それから、フィルは火打ち石で火床に火を起こすと、鍋を火にかけた。


 次に、フィルは食べ残しのパンをいくつかとると、かじりかけの部分をナイフで取って、きれいに薄く切っていく。


 そして、パンの切れをたくさん、鍋のなかの油に放り込んだ。


 じゅっ、とすごい音を鍋が上げる。


「だ、大丈夫……?」


 わたしがびっくりして尋ねると、フィルはこくりとうなずいた。


「うん。……すぐにできるから」


 やがてフィルは鉄製の串を使って、器用にパンの切れを取り出して、紙を敷いた皿に並べていく。

 そして、そのうえに真っ白な砂糖を大量にかけた。

  

 フィルはちょこんと、その皿をわたしに差し出した。


「えっと、美味しいと思ってくれるかどうかわからないけど……どうぞ」


 パンは明るい茶色に揚げられていて、その上に白砂糖がまぶされている。

 わたしはフォークをつかって、それをおそるおそる口へと運び……。


「おいしい……」


「本当!?」


 フィルがぱっと顔を輝かせる。わたしは、首を大きく縦に振った。

 油のしみたパンはじゅっとした独特の食感で、白砂糖の甘さを引き立てている。

 オリーブの油をつかっているからか、香りもとても良いし、いくつでも食べれそうだ。


「すごく……おいしい」


 わたしはもう一度、フィルに言った。そうすると、フィルははにかんだように、でもとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「ピカトステっていう揚げ菓子なんだ。……そんなに複雑なお菓子ではないけど……」


「でも、とってもおいしかったわ」


 どうして、王族出身のフィルが、簡単なものとはいえ、料理ができるんだろう?

 料理は使用人の仕事で、わたしたち貴族は手出しをしない。

 それが貴族の高貴さの証拠だって言われていた時代の名残だ。

 

 前回の人生では、わたしはフィルのことを……何も知らなかった。

 フィルは王家では「いらない子」って呼ばれていたらしい。

 きっと、フィルはとても複雑な事情を抱えているんだと思う。


 でも、一つだけたしかなことは、今回のフィルが、わたしのためにお菓子を作ってくれたということだった。

 わたしはくすっと笑った。


「全部、食べれちゃいそうだけど……フィルも食べて。お腹、空いてるんでしょう?」


「クレアお姉ちゃんが食べたいなら、全部、食べてもいいよ?」


 わたしは首を横に振った。そして、フィルの黒い髪を優しく撫でる。


「フィルのためにも、ここに来たんだもの。それにフィルが作ったものなんだから、いっぱい食べてくれないと」


「でも……」


「ほら、『あーん』して食べさせてあげようか?」


 フィルは顔を真赤にしてふるふると首を横に振った。そして、「は、恥ずかしいから自分で食べる……」と消え入りそうな声で言った。

 ……残念。でも、フィルともっと仲良くなれば、いつか「あーん」してあげる機会もできるはず!


 それより、わたしが今言うべきことは……。

 わたしは身をかがめ、フィルの黒い髪を優しく撫でた。


「ありがとう、フィル。フィルがわたしのためにお菓子を作ってくれて、すっごく嬉しかったの」


「えっと、あの……クレアお姉ちゃんが喜んでくれると……ぼくも……すごく嬉しいな」


 フィルは照れたように、雪のように白い頬を相変わらず真っ赤にしていた。けど、その顔は幸せそうで、宝石みたいな黒い瞳がわたしに向けられていた。


 フィルの事情を、わたしは踏み込んで尋ねない。

 これから、フィルのことを知る時間はたくさんあるから、焦る必要なんてないと思う。


 だって、フィルはわたしの弟なんだから。

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