第7話 やってみたいことがある!!

「アリス……今日の授業が始まるまで、まだ時間はあるよね?」


 わたしの言葉にメイドのアリスはうなずき、微笑んだ。


「はい。今日の家庭教師の先生の授業は午後からですから。残りの午前中の時間、どうされますか?」


「うーん、考えてみる……」


「あたしの一押しは、フィル様との親交を深めることですよ!」


 冗談めかしてアリスは言い、そして、ひらひらと手を振って、別の仕事のためにわたしの部屋から去っていった。


 幼いフィルはわたしの陰に隠れていて、わたしのドレスの裾をつまんでいる。


 アリスに言われるまでもなく、もちろん、わたしはフィルと一緒に過ごすつもりだ。

 フィルと仲良くすることがわたしの破滅回避の道だし、フィルと過ごす最初の日なんだから、できるだけ一緒にいたい。

 フィルも心細いだろうし。


 問題はフィルと何をするか、だ。

 さて、どうしようか?


 前回のわたしだったら、こういう隙間時間すら、勉強や行儀作法の練習にあてていたはず。

 けど、今回のわたしはそんなことをする必要はないんだ。


 前回の人生でのわたしは、「いい子」だったと思う。

 自分で言うのも変かもしれないけど。


 でも、公爵家の品行方正な令嬢として、王太子にふさわしい婚約者として、努力することを求められていた。わたしはその期待に応えようと頑張ったのだ。


 その結果が、聖女シアへの嫉妬に狂い、王太子には婚約を破棄され、弟に殺されるという悲惨な最期だったわけだ。


 シアへ嫌がらせをしたのはわたしが悪いと思うけれど、その前に、王太子にあっさりと捨てられたのは納得がいかない。


 わたしは本当に王太子のことが好きだったのに。初恋だったのに。王太子だって、わたしを理想の婚約者と呼んでくれていたのに。

 なのに、王太子はすぐにシアへと乗り換えた。

 

 ちょっと……ひどいんじゃないかと思う。


 まあ、所詮、努力では埋まらない差というのもあるのだ。

 聖女シアは特別な存在で、わたしは違った。どれほど頑張ったって、わたしはあの子みたいにはなれなかった。王太子以外の人間も、みんなシアに惹かれていた。

 それは仕方のないことだ。


 というわけで、今回は、王太子の婚約者として努力するなんてことはしない。

 王太子が婚約を破棄するならどうぞご勝手に。シアとくっつきたいなら、そうすればいい。わたしにとっては死なずに済むならそれで満足だ。


 だから、今回のわたしは「いい子」でいる必要なんてない。前回の記憶も引き継いでいるから、同じことを勉強する必要もないし。


 代わりに、好きなことをしよう。


 五年後に殺されるという破滅の運命を回避する。

 それはもちろん必要なことだけれど、せっかくやり直せるなら、ちょっとは楽しいこともしてみたい!


 わたしは身をかがめ、フィルと目線を合わせる。

 照れているのか、フィルは白い頬を真っ赤にした。大きな黒い瞳は透き通った宝石のようで、綺麗にわたしを見つめている。


 思わず抱きしめたくなるけれど、ぐっと我慢だ。あんまり抱きしめてばかりいると嫌われちゃうかもしれない。


 そのとき、フィルのお腹が鳴った。フィルがますます顔を赤くする。

 もしかして……。


「お腹、空いてる?」


 フィルは恥ずかしそうにこくこくとうなずいた。


 王族なのに、フィルは実家ではほったらかしにされて、いらない子だなんて言われていたらしい。

 そんな環境だと、ちゃんと食事をしていたのかも心配になる。

 フィルって、かなり小柄だし。今朝、この屋敷に来る前も、何も食べてこなかったのかも。


 わたしはひらめいた。やってみたいことがある。

 そして、それはお腹を空かせたフィルのためにもなる。


「フィル……お菓子、食べたくない?」


「……お菓子?」


「そう。砂糖をいっぱい使った、とっても甘いお菓子」


 前回のわたしは、王太子の婚約者として美しくなるため、という理由で、体に悪い菓子をむやみに食べたりするのは禁じられていた。

 わたしはその言いつけをちゃんと守った。わたしの存在意義は、王太子の婚約者であることだったから。


 でも、本当は、12歳のわたしも17歳のわたしも、甘いお菓子が大好きだった。

 今回はそんな言いつけを守る気もないし、自由にお菓子を食べてやろう。


 もちろん極端に太ったりするのは嫌なので節制はするけれど。

 それに、フィルに好かれるためにも、それなりに美少女、という現在の容姿は維持したいところだ。


 フィルは首をかしげ、そして小声で言う。


「クレアお姉ちゃんが食べたいなら……ぼくも食べたいかも」


「なら、決まりね。厨房に忍び込みましょう!」


 フィルが黒い目を丸くして、わたしを見上げる。

 驚いているみたいだ。


 厨房に忍び込んでお菓子をつまみ食いなんて、とても品行方正な公爵令嬢とはいえないけれど。

 でも、品行方正でいるつもりもないし。

 わがまま放題な横暴な貴族の子弟を、前回のわたしは学園でたくさん見てきた。

 

 そういう連中と比べれば、厨房に忍び込むぐらい、大したことじゃない。

 弟のため、そして、自分のため、お菓子を食べるぐらい許されると思う。


 前回のわたしが、わがままを我慢しすぎてきたんだ。シアに嫉妬して嫌がらせをしてしまったのも、我慢でたまった不満が爆発したせいもあると思う。


 この時間なら屋敷の厨房も人はいないはず。公爵家なら、すごいお菓子が揃っているに違いない!


 ところが、厨房の様子は予想とぜんぜん違っていて、そして、そこでわたしはフィルの特技を見ることになった。

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