第4話 わたしを必要とする存在
驚いたことに、両親は、フィルをわたしに任せた。「屋敷の案内をしてあげるように。歳の近い者同士のほうが良いと思うから」と言っていたが、あの両親のことだから、面倒なだけに違いない。
両親は多忙だし、どちらも子どもに関心のない人たちだった。
けど、前回の人生では、こんなイベントは起こらなかった。前回、初対面の時のわたしとフィルは、一言も会話をかわしていない。
なのに、今回はわたしはいきなり、フィルと一緒に行動することになっている。
フィルは使用人の大人たちには怯えた様子だったから、わたしが選ばれたのだとは思うけれど。
びくびくとした様子で、フィルはわたしの後をついてくる。
前回、12歳のわたしは、フィルのこういう怯えた態度に苛ついた。こんな臆病そうな子が、わたしの代わりに当主になるなんてずるい、と思っていたから。
けど、今回、中身17歳のわたしは違う。
フィルはまだ10歳だし、7歳も年下の男の子に、対抗心を持ったりしない。
フィルの愛らしい容姿とあいまって、おどおどした態度すら、可愛らしいものに見えてくる。
「あ、あの……クレア様」
「なあに?」
「その……案内なんてさせてしまって……ごめんなさい」
「いいの。だって、わたしはあなたのお姉さんなんだもの」
とりあえず、自分がフィルの姉であるということを強調してみる。
前回は、フィルに「あんたを姉だと思ったことなんて一度もなかった」と言われて殺されてしまった。
ま、フィルとの仲は険悪なものだったから、当然だ。
けど、今回のわたしは違う!
フィルの姉らしく振る舞い、ついでにフィルに恩を売る。
フィルがわたしに家族愛らしいものを感じてくれれば、わたしを殺すなんて考えたりしないはず。
まあ、両親はわたしに無関心だし、他に兄弟もいないし、家族愛なんてよくわからないんだけれど……。
それに、この子、可愛いし。優しくしてあげようという気にもなる。17歳のわたしを殺したフィルは苦手だが、今のフィルはただの愛らしい少年だった。
女の子みたいな見た目で、肌も真っ白。わたしより(体の)年齢が一つ下だとしても、かなり小柄だ。
「遠慮しないで、わたしを頼ってね?」
わたしがそう言うと、フィルはこくこくとうなずいた。
そして、おとなしくわたしの後をついてくる。
なんで、フィルは大人たちでなく、わざわざわたしを選んだんだろう?
少なくとも、この段階では、フィルのわたしへの好感度は悪くない。
あとは、五年後の未来でも、フィルがわたしを殺したいほど憎いなんて思わないでくれればありがたい。
聖女シアのことを好きになってもいいし、公爵家の財産だって譲るから……頼むから、わたしを殺さないでね?
内心でつぶやくが、わたしの心の思いなんて、フィルの知ったことではないだろう。
フィルが突然くしゃみをして、ぶるりと震えた。
「もしかして……寒いの?」
「えっと……うん」
わたしは肩をすくめ、そしてストールを手渡した。
気休め程度だが、寒さもマシになると思う。
「使って……いいの?」
「もちろん」
「でも……クレア様も寒いんじゃ……」
「わたしは平気よ」
微笑んで見せる。
寒いのは割とへっちゃらだし、ちゃんとドレスの中に防寒具も着込んでいる。
メイドのアリスの心遣いのおかげだ。
フィルが寒くないようにするのも、彼のメイドなり、従者なりの仕事のはずだ。
なのに、王家の人間たちはフィルを送り届けると、すぐに帰ってしまった。
王族なのに、フィルは手ぶらで、従者の一人も連れずにこの屋敷にやってきたということだ。
前回の幼いわたしは気づかなかったけど、かなり変だ。
わたしは立ち止まり、振り返ってそのことを尋ねてみた。
すると、フィルは目を伏せて、うつむいた。
なんだか、とても寂しそうだ。
……なんか、聞いたらまずいことだったかも。
こんなことでフィルの好感度を下げたくない。フィルに嫌われると、わたしは破滅へと一歩近づく。
「も、もちろん、言いたくないなら言わなくていいの」
わたしは慌てて付け加えたが、フィルは首を横に振った。
「……あのね、ぼくは……いらない子だったから」
「いらない子?」
「お父様も、お母様もぼくなんて生まれてこなければよかったって言うんだ。メイドのみんなも、ぼくのことを『いらない子』だって……」
さすがに、わたしは驚いた。
そりゃあ、わたしの両親だって、わたしのことなんて、どうでもいいとは思ってるに違いはない。
けど、さすがに生まれてこなければよかった、なんて言われたことはない。
メイドや使用人たちは、少なくとも表面上は、わたしのことをちやほやとしてくれている。
だけど、フィルは違ったらしい。
まるで捨てられるみたいに……この屋敷にやってきたわけだ。だから使用人も連れていない。
前回のわたしは、何もフィルのことをわかっていなかった。ただ、突然やってきて、わたしから未来の当主の立場を奪った男の子、という程度しか知らなかった。
わたしはフィルの目をじっと見つめた。
フィルは顔を赤くして、わたしを黒い瞳で見つめ返す。
わたしはそっとフィルの頬に触れてみた。
赤く染まった頬は、柔らかくて、すべすべだった。
「あなたはいらない子なんかじゃない」
「本当?」
「ええ。この屋敷では、あなたは次の公爵様なんだもの。みんながあなたのことを必要としているわ」
わたしはゆっくりそう言った。未来では、聖女シアもあなたのことを必要としている、と心のなかで付け加える。
きっと今回もフィルは幸せになれる。みんなあなたのことを必要としている。
前回のわたしは……誰にも必要とされないまま死んだ。
王太子の理想の婚約者となるように頑張った。両親から、王太子から、友人たちから、国民から、認められたかった。褒められたかった。
さすがは公爵のお嬢様で、王太子の婚約者だって言ってほしかった。
でも……わたしは王太子との婚約も破棄されて、両親には見捨てられ、弟には殺されて。友達はシア以外、誰も助けてくれなかったどころか、わたしを蔑んだような目で見つめた。
聖女シアはみんなから必要とされていた。
わたしは……違った。すべてを失って、はじめてわかった。
わたしは愚かだった。
王太子の婚約者も、品行方正な公爵令嬢も、わたしには荷が重い。
すべてを捨ててもいいから、今回のわたしは生き延びることを優先する。
それでも、誰か一人ぐらいには、わたしのことを必要だと言ってほしい。
やり直したわたしは、誰かから必要とされることができるんだろうか?
黙っているわたしに、フィルは心配そうな顔をした。
「クレア様も……ぼくのこと、必要?」
わたしはくすっと笑った。
「もちろん! だって、あなたはわたしの弟になるんだから。わたし、あなたみたいな弟がほしかったの」
そう言って、わたしは笑いかけ、フィルの髪をくしゃくしゃと撫でた。
そうすると、フィルは恥ずかしそうに、微笑んだ。
フィルの笑った顔はあどけなくて、とても可愛らしかった。
やっぱり、天使だ。
思わず抱きしめたくなるけれど、我慢する。
本当は、フィルと会う前は「弟なんてほしくない!」と思っていた。なにせ、前回のフィルはわたしを殺した人間だ。
けれど、今のフィルみたいな可愛い弟だったら、大歓迎だ。
フィルがわたしを見上げ、そして恥ずかしそうに耳たぶまで顔を真赤にした。
「ぼくも……クレア様みたいなお姉ちゃんが……いたらいいなって思ってた」
わたしはきょとんとし、そして、次の瞬間にはフィルを抱きしめていた。
「フィルがそう言ってくれて、すっごく嬉しい!」
「く……クレア様!?」
うろたえるフィルがちょっと可哀そうだけれど、でも、我慢なんてできなかった。
わたしにハグされたフィルは、目をくるくると回している。
今のフィルはわたしのことを必要としてくれている。
孤独な少年だったフィルの最初の味方が、わたしだ。
きっといつか、フィルはわたしのことを必要としなくなる。聖女シアもいるし、フィルのことを必要としてくれる人は、他にもきっとたくさんいるから。
だけど、いまはまだ、わたしはフィルのお姉さんでいられるから。
フィルはおずおずと、両手をわたしの体にまわして、そして抱きしめ返してくれた。
小さな体はとても暖かくて。
わたしが笑いかけると、フィルも恥ずかしそうにしながら、でも、誰もが幸せになるような素敵な笑顔を浮かべてくれた。
前回のわたしはやっぱり愚かだと思う。
こんな可愛い弟が、そばにいることに気づかなかったなんて。
【あとがき】
クレアとフィルの姉弟生活のスタートです。
ちょっぴりでもいいな、クレアとフィルが可愛いな、と思っていただけましたら、
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