北6・人の缶詰が開く時
それからさらに丸1日以上の時間が経った。明日の午後には、中央からの援軍が到着する。いや、時計の針はもうその当日を迎えたことを示している。作戦の方針によっては部隊の再編制もあるので、できることなら援軍が到着するまでには、作戦の立案を終わらせなくてはならない。
そして黒月ら一行は、完全に缶詰となっていた。人間版のシュールストレミングの完成だ。青年から中年、おじいさんも配合されたとってもシュールな……なんて言っている場合ではない。参謀課のメンバーは皆、完全に血糖値下がりまくり、深夜テンション入りまくりの、もはや
いくら「知の祝福者」といえども、今回ばかりは状況の悪さや時間のなさ、そして何より前例のなさによって、ミケルチョフたちもお手上げ状態だ。黒月は半分寝ている目と頭をなんとか駆動させ、思考を巡らしていた。紅茶に入れている明らかに入れすぎな砂糖が脳の唯一のエネルギー源だ。
「うーん。突破方法……。左翼から……。うーん。」
半分うなされているような、半分寝言のようなぼやきが聞こえる。そう、黒月自身の声だ。実のところこの1日は、この包囲作戦における、敵陣地の背後をとる方法の思案に暮れていた。
「うーん。眠すぎ。ちょっと休憩室行くか……。」
黒月はそう言って、席から立ち上がろうとする。ふと視線を地図に移すと、灰皿からこぼれた吸い殻が地図の端を焦がし、小さな穴を開けていた。なんだよ……危ないな。火事にでもなったらどうするんだ。これだから煙草は嫌いなんだ……。
そんなことを思った刹那、脳内の眠気が抜けていく感覚を覚える。急に目の前の光景がはっきりとした輪郭を結び、体中の神経が足の裏から脳天に向かって一気に振動する。それまで黒月の発想をせき止めていた、大きな大きなダムのたったひとつのパーツが零れ落ち、水、いやこの場合は発想が一気に放出される。
「そうか……!そうか!開けられるぞ風穴!勝ちの……勝ちのロジックが立ったぞ!」
「うおっ!」
「ふごっ!」
部屋に響く黒月の声に、眠りかけていた……いや、ほぼ寝ていた他のメンバーが飛び起きる。椅子からずり落ちそうなメンバーもいる。流石にアレクセイとミケ爺は寝ていなかったようだが、それでも多少の眠気はもっていたようで、ビクッと背を伸ばす。アレクセイは寝起きのような顔で、突如糾弾した黒月に問いかける。
「さ、参謀長!?風穴?ですか?勝ちのロジックって……前回も似たようなこと言ってましたが……。」
「いやだからさ、風穴が開くんだよ!いや開けるんだ。」
「風穴?ああ、左翼の話ですか。いや、それにしても山脈が厳しく正面突破は困難、制空圏を取ろうにも左翼にはそこまで飛行部隊を割けず……という話では?」
「ああ、でも開くよ風穴は。空じゃない。『力の祝福者』の力を借りるんだ。」
黒月は、丸2日の熟考の末に至った勝ちのロジックを、参謀課のメンバーに伝えた。それはまた今回黒月が受け取った電報と張り合えるくらいに突飛な案だったが、メンバーは皆なぜかそのロジックが完全に「勝利」に至ることが出来ると納得できた。
「で、では皆さん賛成ということでよろしいですかな?」
ミケルチョフが、賛同の確認を取る。細部の少々の修正はあったが、ほぼ黒月の原案のまま皆が腑に落ちきる作戦が出来上がった。メンバーは皆、(眠気のせいか)目をつむったまま無言で頷く。アレクセイだけは真面目にその両の目を見開いて大きく頷いた。いや、ホントにアレクセイは馬鹿真面目だな、と黒月は思う。
「おっし、じゃあ早くこれを書類にまとめよう。朝には総司令官に作戦書を提出して、一応の許可をもらわなきゃならんからな。皆眠気MAXだろうから、休んでいてくれ。あとは僕がやっておこう。」
黒月がメンバーを労う。人間、終わりが見えるとさすがに少しは気力が回復するもので、黒月は真っ赤に充血した目を無理やりに見開いて、作業に取り掛かり始める。完全に冷え切ってもはやアイスティーと化した紅茶の残りをグっと飲み干し、仕事を始めた。
サンドリア山脈の東の麓から太陽が頭を出し、北方総司令部の建物を明るい黄色が染める。地面の上を撫でる、夜に冷やされた冷たくも爽やかな風が吹き込む早朝、どうにか作戦書を書き上げた黒月は、今にもひっついてしまいそうなまぶたをどうにかこじ開け、総司令官に作戦書を提出しに来ていた。
「短時間での大規模作戦の立案、ご苦労だった。まあ、内容は前回に引き続きトンデモ物だが、まあそれはいいだろう。君には実績もあることだしな。」
楊は椅子に座ったまま、読み終えた作戦書をポンっと机の上に投げ置く。作戦書から黒月に視線を戻すと、足元フラッフラ、眼球真っ赤、目の下は真っ黒の黒月の労をねぎらった。まあ、作戦がどんだけトンデモ物だったとしても、この帝国軍における参謀課はそれぞれの指令系統とは独立した組織なので、総司令官が参謀の提出した作戦を個人的に拒否することはできないのだが。
「あ、ありがとうございます!では、作戦は認可ということで、再編成と指示は作戦書通りにお願い致します。」
無論、司令官に作戦の拒否権が無いだけで、形式上その認可は必要なのだ。認可が下りない場合は、その司令官が指揮する組織が重役会議を開き、審議となる。
「ああ、その辺は私が滞りなく進めよう。情報操作も、まあこの規模のものであれば今からでも可能だろう。何せ奴らにとっては重要も重要な情報だからな。」
そして……君もだいぶお疲れなようだから、まあ作戦実行中にはもちろん立ち会ってもらうが、それまでにその睡眠不足を解消してきてくれ。予定通り、作戦開始は4日後、ジーグン暦1027年11月6日、早朝6時だ。」
「了解です。お気遣いありがとうこざいます。それでは失礼いたします。」
黒月は総司令官室を出、足早に……行きたいところではあるが、フラッフラの足取りでズルズルと休憩室に向かう。そうしてようやく休憩室のベッドまでたどり着くと、倒れこむように、というよりマジでベッドに倒れこみ、眠りについた。
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