北3・祝福と伝令

「夢を……見なかったのでございますか?『あの日』に?」


 驚きを隠せないミケルチョフは握ったドアノブから手を放し、黒月に問いかける。


 「ああ、そうなんだ。だから『非祝福者ノンブレスド』というより、そもそもその前の段階っていうか……そんな感じ。」


 黒月は飲み終えた紅茶のティーカップを机の上に置き、参謀長用の椅子のひじ掛けに腰をかける。


 「し、しかし、そのようなことはあり得るのでしょうか……『その日』に眠らなかった場合、次の睡眠時には必ず夢を見るという論文は見かけたことがありますが、そもそも夢を見ないというのは……。」


 「さすがの記憶力だね、ミケ爺。でも真実なんだ。そして、『あの日』から僕は一度も夢というものを見ていない。だから、『非祝福者ノンブレスド』なわけさ。」


 ミケルチョフは信じられないといった顔つきで、黒月の闇夜のように黒い瞳を見つめている。黒月は机に置いたティーカップに視線を落とし、祝福者ブレスドについてと自身の『あの日』の記憶に意識を飛ばしていた。





 この世界の人類は、12歳の誕生日を迎えた日の夜、必ずとある夢を見る。その夢とは、「神との契約」である。提示されたいくつかの条件のなかから、自身の得たい契約を結ぶのだ。契約と言っても、デメリットよりもメリットの方が明らかに大きいが為に「祝福」と呼ばれている。そして、そのような祝福を受けた者を「祝福者ブレスド」と呼び、さらに、何の祝福を受けたかで「○○の祝福者ブレスド」と呼び分けている。


 最も契約できる確率が少ないのは「空の祝福」で、その確率は約3%ほどしかない。彼らは重力に反して空中を自由に飛び回ることができる。それだけと言えばそれだけなのだが、難しく考えなくともシンプルに役立つ力だ。その特徴から、この祝福を受けた者は将来軍に優待徴兵され、飛行隊として活躍するのが常である。よって、この契約が可能であれば、皆この契約を選ぶ。


 次点で契約できる人数が少ないのは「五感の祝福」で、これは約5%の確率だ。彼らは「かく祝福者ブレスド」と呼ばれ、五感が非常に発達している。飛行隊の襲来を何キロ先も見通せる目(何かを透視できたりするわけではない。ただ視力が良いだけである。)で目測したり、遥か彼方の行軍の足音を聞き取ってその接近を知るなど、戦争においては優秀な感知役となる。


 それに続くのは「知の祝福」で、その確率は約10%。この祝福を受けた者は脳の情報処理速度、並行処理可能情報量、記憶力が異常に上昇する。一度見たものは何年も忘れない、本を3冊同時に読みながら論文の執筆なども可能になる、などの特性がある。その特質から学問や研究者の道に進む者が多いが、軍の参謀にも多く存在する。


 20%の確率で受けられるのが「命の祝福」だ。「めい祝福者ブレスド」は非常に高い生命力を有し、常人の致死量の2倍程度の毒を取り込んでも死なないし、水、食料のない状況でも3週間は元気に動き回ることができる。無論、常人であれば即死級のケガであってもその後治療を受けられれば死は免れる(失った部位を再生したりなどはできない。ただ、生命力が異常に高いため、生体本来の自己治癒レベルの再生は素早く行われる。)ため、兵としては非常に優秀な人材である。その他、職務に危険がつきまとう警官や消防士に多い。


 40%と比較的高確率で受けられるのが「精神の祝福」で、「せい祝福者ブレスド」たる彼らは高い精神力を持っている。具体的に言えば想像力、忍耐力、集中力に長けていて、自身の意思で「ゾーン」に入ることが可能な者もいる。精神の強い彼らは自身の努力次第ではあらゆる方面での活躍が可能だが、一方で他の「祝福者ブレスド」が最も得意とする分野ではトップには立てないのが悩みどころである。


 最も高い確率で受けることができるのが「力の祝福」で、半分、つまりは50%の確率で受けることができる。彼らは肉体的な優越を誇っている。筋力、体力に長けていて、軍人やスポーツ選手、その他消防士や大工など肉体系職業に適している。とは言ってもその具合はまちまちで、大人4,5人を片腕で持ち上げられる者や何キロも全力走を続けられる者から、ただ「体格がいい」という表現に留まる者までいる。


 ここまで見てきたそれぞれの「祝福」の確率は、その祝福者ブレスドが全人口の何%かというものではなく、その祝福を受けられる確率は何%かという話なので、複数の祝福を神から提示され、その中から好みのものを選び取ることができる者もいる。


 一方で、ひとつの祝福も提示されず、何の祝福も受けられない者も、もちろん存在する。「非祝福者ノンブレスド」とはそのような者たちのことを指し、計算上「非祝福者ノンブレスド」となる確率は約20%といったところだ。彼らは「祝福者ブレスド」と比べてそれぞれの能力が劣るため、高い、または安定した社会的地位を築くのは難しい。収入や地位からすれば、良くて下層階級の上辺となるくらいである。


 黒月自身の話に戻ると、彼はそのような「祝福」が行われるはずの12歳になった日の夜、夢をなぜか見なかった。それどころか、それ以来今日に至るまで、6年もの間一度も夢というものを見ていないのである。


 なので、彼は正確には「非祝福者ノンブレスド」というよりは「イェット祝福者ブレスド」と言うべき存在なのだ(無論、そんな単語は存在しない。彼が特異なだけである)。



 


 黒月を長い長いマインド・ワンダリングから引き戻したのはこの参謀室課室のドアを叩く音だった。


 「失礼しま……。」


 そう声が聞こえると同時にドアが開く。しかし、ドアの前には依然黒月を見つめるミケルチョフがいるので、うち開きのドアはミケルチョフの足に直撃する。


 「あいでっ!」


 ミケルチョフが変な声を出しながらドアの前から後ずさる。ドアを開けきり、参謀課室に入って来たのはアレクセイだ。視界に入ったミケルチョフの様子を見て、アレクセイは状況を察する。


 「こ、これはミケルチョフ三段、も、申し訳ありません!」


 アレクセイが珍しく取り乱している。ミケルチョフは、足の小指に食らった攻撃の衝撃を噛みしめている。


 「い、いや、へ、平気だが……気を付けてくれるとありがたいな……。」


 「はっ!申し訳ありませんっ!」


 アレクセイが少しばかり頭を下げる。黒月は、そんなふたりのやりとりをただ見ている。一応、立場的には参謀次長のアレクセイの方が上だが、ミケルチョフの方がはるかに年長者なのでその関係は少しばかり複雑なようだ。


 「で、何か用ですかな?珍しく焦っておられる様子ですが?」


 ミケルチョフがアレクセイに聞く。


 「はっ、参謀長に伝言がありまして、大至急との呼び出しで、その……総司令官がお呼びです。」

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