それはまるで魚が驚くような

チクタクケイ

そんな不思議な出会い

 12時を過ぎようとしている真夜中。そんな時間に、眩いフラッシュが焚かれた。

 不思議と心地よい雨音によって、うとうとし始めていた私は、自室のベッドの上で寝惚けた頭のまま何事かとフラッシュに動揺していた。しかし、直後にドラムセットを無茶苦茶に叩いたような音が外で鳴る。


 そこで、何だ、雷か……。とすぐに落ち着いた私は、夢の世界へと旅立った。


 ちょっとぐらい驚けば良かったと、今は後悔している。





 次の日。昨晩の荒れ模様を引きずった不安定な天候ではあるが、洗濯をしないと使えるタオルが無いので、仕方なしと洗濯機を稼働させてベランダに洗濯物を干した。しかし、案の定というべきか、数時間後ぽつぽつと不穏な音が聞こえてくる。

 干していた物は流石にもう乾いていたので、適当に室内へと放り込む。やがて全て放り込んだというところで、小雨は本降りと変貌した。そして、それはベランダの下方にある往来で小走りをしていたオシャレなお兄さんこだわりの服に襲い掛かる。

 最悪だと悲鳴を上げるぐらいなら傘を持ち歩けばいいのでは。と思うが、お兄さんの美学には傘を持ち歩くなんてあり得ないのだろう。……多分。

「おい」

「……は?」

 すぐ側で聞こえた声によって、視線を下方から隣へと転換すると、小学生がいた。

 蛍族なお陰で洗濯物に匂いを付けられ、更には夜型人間ゆえに真夜中には少々騒がしいお隣さんによる新たな攻撃手段だろうか。そんな事を、昼過ぎまで寝ていたせいで上手く働かない頭で考えながら、私ははるか下にある小学生の旋毛を眺める。

 お、旋毛三つもある。

「今日はお前を驚かせに来たんだ!」

 日曜日の朝に現れる美少女戦士のアニメを思い出す、キラキラふわふわなワンピースとツインテールで可愛らしくした見た目とは裏腹に、ちょっとばかし粗野な口調の彼女は突然そんな宣言をしてきた。

 そして背負っていたキャラメルブラウン色のランドセルから、……何故かピンク色のゲームボーイを取り出した。しかも、ゲームボーイアドバンス。わざわざ対戦しに来たのだろうか。私はゲームボーイの世代じゃなくて、初期DSの世代だから、所有した事が無いのだが……。

「……どのようなご用件でしょうか?」

 子どもの相手はした事が無い。寧ろ苦手な部類だ。そのせいか無意識のうちに敬語で応答すると、及第点なのか彼女は胸を張って話を始めた。

「お前、昨日驚かなかっただろう。私にはお見通しなんだからな」

「昨日? 昨日何かありましたっけ」

「えっ……。か、雷落ちただろ! しかもでっかいの!」

「あぁ、そんなに大きな落雷じゃありませんでしたよ」

「そんなはず無い! だ、だってレーダーはお前以外ちゃんと反応してるぞ!」

 もう一度ゲームボーイを見せてくる彼女に促され、懐かしさが漂うTFT液晶画面を覗いてみると、何とそこには私の下宿先であるこのマンション周辺の地図が表示されていた。

 ただ、普通の地図とは違って、近隣住民のものと思わしき名前が、居住地にぽつぽつと赤い字でマークされている。私の名前は表示されていないが。

「昨日の落雷、お前だけが驚いてないせいで、テストがぱぁになるかもしれないんだぞ!」

「……ちょっと、待って下さい。落雷で人を驚かす事が、どうしてテストに関わってくるんですか。私の理解の範疇を超えていて……、意味が分かりません」

「そんなの、雷神だからに決まってるだろ!」

「は? 君が雷神?」

 思い浮かんだのは、俵屋宗達による絢爛豪華な金地の屏風に描かれた鬼のような形相をしたヤツ。しかし、自称する彼女の容姿はそれとは正反対だった。

「ちっちゃいし、そんなに怖くない君が?」

「………………………………」

 先程まで騒がしいぐらいだった少女らしからぬ3点リーダの羅列に、『あ、やべ』と地雷を踏みぬいてしまったのを察した私は、咄嗟に彼女を実家のトイプードルを抱きかかえるように自室の中へと回収した。

 同時に、そう遠くない場所で落雷が起こった。『あ、これ、彼女の言ってる事、嘘じゃない』と、本能的に感じ取れてしまった。

 しかし、世間体については正に危機一髪。彼女の口から「ふぇ」の「ふ」が出る前に窓を閉めたので、近所からの体裁は引きこもりがちの大学生で保たれた。しかし、彼女の不法侵入は取り消され、代わりに私が刑法第224条に該当してしまった。

 文句を言いたいところだが、地元の友人からの「人と関わろうとしないから迂闊な発言の判別がついてない」という言葉を思い出したのでぐっと堪え、大泣きする彼女のために乾いたばかりのタオルを生贄にした。いや、もう手遅れだろうが。はぁ、泣きたいのはこっちだ。

「私は二十年程生きてきましたが、これまでの人生で雷神は絵画などの創作物でしか見た事が無かったので、先程のような不適切な発言をしてしまいました。誠に申し訳ありませんでした」

 まるで謝罪会見での偉い人みたいな謝り方になってしまったが、渾身の謝罪は彼女の耳には届いておらず、貴重なタオルをもう一枚消費しかねない様子だ。

 ああもう。だから子どもの相手なんて無理に決まってるんだ。とむしゃくしゃし、お隣さんへのささやかな報復用に常備している、ホープ特有の短めのシガレットに手を伸ばしかけた。

 が、子どもの前だぞとはっと我に返った。駄目だ。このままだと私の手首に手錠が掛けられるルートへと一直線。しかもこの子が泣き続けていると、災害レベルの危機が迫ってくる。

 こうなったら苦肉の策だと冷凍庫から私の大事な糖分補給用のアイス達を取り出した。

「どちらがいいですか」

「え。……そ、そっち、全部食べていいのか?」

「え? …………か、構いませんよ……」

「やった!」

 先程までベソをかいていた様子は何処へやら。彼女はすっかりリンゴ味のチューペットに夢中になっている。それを眺めながら、私は選ばれなかったオレンジチョコアイスを齧る。

「いつも半分に切り分けられるし、しかも出っ張りが大きい方は兄さんに負けてとられるから、丸々一本食べるのが夢だったんだ……!」

 出っ張り大きい方は沢山入ってると思われがちだけど、実は小さい方と量同じやぞ。という事実はアイスと共に飲み込んでおいた。ゲームボーイといいチューペットの争いといい、雷神の御宅は庶民的なご家庭らしい。正直、コンビニで期間限定発売されている大人気のオレンジチョコの5%の値段しかないチューペットでそこまで喜ぶとは、ちょっと複雑だ。

 そして、すっかり機嫌を直したらしい彼女は、嬉々として事情を説明してくれた。

遠い昔、彼女の家は全国で雷を落とす役割を偉い人から授かったのだという事。そして、この町一帯の人々を雷で驚かせたら、一人前の雷神として認められるのだと。

「しかし、私だけは昨晩の雷で驚かなかったのでこのままでは一人前になれないと。……けど、実家と比べたら、あの程度じゃ驚こうにも……」

「一体どんな土地に住んでいたんだお前は……⁉」

 失礼な。普通の北陸地方の町だぞと実家の所在地を教えると、彼女はむっとした顔をする。

「兄さんが担当してる地域じゃないか」

「はぁ、すごいお兄様ですね」

 冬の海の中で寝ている鰤を叩き起こし、そして漁を始める合図となる落雷の事を『鰤起こし』なんて呼ぶ方言があるぐらいには雷が酷いあの地域を担当するとはなぁ。とつい感心してしまったが、チューペット戦争を繰り広げている兄とは相性が悪いらしく。彼女はこれでもかと頬を膨らませた。

「あんなヤツより私の方がすごい!」

 あんなヤツやなヤツやなヤツやなヤツやなヤツ! と一通り愚痴を吐いた彼女は、私をジトっと見てくる。

「私の方がすごいよな。そうだろ」

「それは私を驚かせる事が出来たらですね」

 私の言葉によって、承認が欲しくてたまらない彼女は電光石火の勢いで、お花の刺繍が可愛らしいランドセルに飛びつく。そして、……小さなおもちゃの太鼓を取り出した。……え、おもちゃ?

「……何だ。その顔は」

「あまりの速さに驚きました。流石雷を落とす神様ですね」

 吹き出すのを堪えた事で変な表情になっていたらしい。こちらを訝しげに見てくる彼女に咄嗟に出まかせを言うと、あっさりと信じてくれた。

「ふふん、そうだろう。ま、お前には雷で驚いてもらわないと。半人前の太鼓だからちょっと見劣りするが、見てろよ」

 …へー。半人前の子って、……でんでん太鼓なんだ……。

 ……思いがけぬ物の登場のせいでよじれそうな腹とひん曲がりそうな顔面を必死に抑えていると、彼女が腕を振るった。

 すると、外で落雷が起こった。

「どうだ、すごいだろう」

「いや……、そんなに……」

「なにぃ⁉ ……これならどうだ!」

「いえ……」

「じ、じゃあ……!」

「……申し訳ありません」

「ぐ…………」

 そろそろ雷の音にさえ飽き始め、もうお世辞でも言ってみようか。と考えていた、その時だった。



「これでっ、どうだ‼」




 ぱっと、これまでとは比べ物にならない雷光が輝く。同時に、項の辺りでピリッと嫌な感覚が走った。




 あ、これやばい。と直感したと同時に、天変地異の前触れかと錯覚しそうな轟音が天に鳴り響き、結構な年季が入っているマンションがガタガタと悲鳴を上げた。


 それはまるで、水の中で眠っている魚が驚いて飛び起きてしまいそうな落雷だった。


「ど、どうだ…………?」

「驚き、ました」

「ほっ、本当か?」

「はい」

「ほんとにほんとだな?」

「ほんと、とても驚きました」

「や…………、やったぁ‼」

 突然抱き着いてきた彼女に構う暇さえ無いぐらい、私は放心状態になっており、尚且つ、嫌な予感が胸の辺りに渦巻いていた。










 その嫌な予感は見事に的中してしまった。




『昨日の落雷による影響は本日も続いており、府内のJR、近畿日本鉄道などの主要な鉄道網は依然として運休及び運転見合わせと…………』


 学校に行けない、会社に行けないとニュース番組のインタビューで悲鳴を上げる世の皆さんとは違い、半引きこもりの大学生である私はこめかみを押さえながら現実逃避する事しか出来ない。

 田舎である地元と、日本三大都市との被害の差に眩暈を覚えつつ、私は煙草箱と使い捨てライターを片手にベランダの窓を開けた。

「あっ、煙草は体に悪いって先生が言ってたぞ」

「……何で此処にいるんですか。というか、普通にインターフォン押して下さい」

 今日もフリルで飾られたワンピースとツインテールでバッチリ決まっている彼女は、またもやベランダにいた。一体どうやったら三階のベランダに侵入出来るんだ。

「分かった。今度からはそうする」

 いや来ないで。と答えてしまう前に、彼女は、ランドセルの影に隠しているものを見せてくる。

「じゃーん! どうだ、これで私も一人前だぞ!」

 それは、締太鼓と呼ばれている和太鼓だった。でんでん太鼓からいきなり立派になったな。

「爺様達からすごく褒められたんだぞ! 沢山の人間がこんなにびっくりしているなんて久しぶりだって!どうだ、すごいだろう!」

「……それはすごいですね」

 びっくりというか、パニックになっているというのが正しいと思うが。

「それで、思いついたんだ! お前が昨日みたいにアドバイスしてくれたらもっとすごい雷を落とせるに違いない。……ほ、褒めてくれたらもっともっとすごいの落とせるかも!」

「え、嫌です」



 これ以上世の皆様にご迷惑をかけるわけにはという私の思いとは裏腹に、彼女の突然の大泣きによって市一帯にゲリラ豪雨が降り注ぐのであった。

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