第5話

 年末恒例のスイムマラソンが近づいていた。スイムマラソンは一年間の泳ぎ納めと意味づけられている。その後、打ち上げと忘年会を兼ねた飲み会がある。伸介はその飲み会を桂子に自分の気持を伝える機会にしようと考えていた。その結果、桂子とホテルに行くようなことになっても、それはそれで仕方がないと、彼はくすぐったい思いを反芻もしていた。                  

 一次会が終り、二次会に場所が移った。出席者は十名余りで、さすがにスイムマラソンの余熱のせいか、一次会から数はそんなに減っていなかった。伸介は珍しく積極的に動いて桂子の近くに座った。隣に座りたかったのだが、桂子の隣にはいつの間にか男が座っており、伸介はその男の隣に座ることになった。

 既に酒が入っている参加者の話は弾んだ。桂子はコンディショニングⅡのインストラクターとしてやはり座の一つの中心となり、話しかけられる言葉に持ち前の気合いの入った声で応じていた。伸介の心算(つもり )ではそろそろ桂子と一対一の語らいに入りたい頃合だったが、彼女の方にはそんな雰囲気はなかった。伸介は頭を後ろに退き、背後からそれとなく桂子の様子を眺めた。そして奇妙な事に気づいた。桂子と隣の男が手を固く握り合っているのだ。これは何だ、と伸介は我が目を疑った。驚きで目を逸らしたが、確かめてやろうともう一度視線を向けた。二人の尻の間に隠れるように置かれているが、確かに桂子と男の指は固く絡み合っているのだった。伸介はまた目を逸らした。これはつまり、桂子はこの男が好き、ということだと伸介は頭の中で呟いた。伸介はその後も何度か二人の握り合った手を見、桂子の横顔に視線を注いだ。桂子は伸介に見られていることはもう知っているはずだった。しかし何の遠慮もなかった。むしろ酔いとともに情熱は益々燃え上がるようだった。桂子は男の耳許に唇を寄せ、しきりに何か囁き、更には男の頬に唇をつけ、嘗めるように動かした。それは喘ぐような彼女の抑えきれぬ欲求を表していた。桂子は男の口づけと抱擁を明らかに求めていたが、男は桂子のそんな発情状態を楽しむかのように彼女のなすがままに任せて動かなかった。伸介は桂子がわざと自分に見せつけているのではないかと思った。気がありそうでなさそうな曖昧な態度を取り続ける自分への当て付けではないのか。伸介は今夜その態度にある程度の決着をつけるつもりだったが、わずかに間に合わず、桂子はもう我慢ができなくなったのではないかという思いだった。あるいは彼女は不倫という結果になる他はない伸介との関係を一思いに断ち切ってしまおうとしているのかとも思った。伸介の面前でこうした行為をすることで、自分と伸介の双方の気持に終止符を打とうとしているのかとも思われたのだ。伸介の自惚れを前提とするこのような思いはしかし付け足しに過ぎなかった。彼は眼前の情景に衝撃を受けていた。桂子の違う面を見せられている思いもあった。彼女の気性の激しさがこういう面にも出ているとも思われたが、大変なあばずれだなとも思っていた。とにかく彼の今夜の計画は全く狂ってしまった。伸介は滑稽なピエロになった自分を意識していた。

 隣の男がトイレに立った時、「なかなかお熱いようですね」と伸介は皮肉をこめて桂子に言った。桂子は照れる様子もなく、「エヘヘ」と笑った。かなり酔っているようだった。「彼は独身? 」と伸介は桂子が一番気にしているはずのことを訊いた。いつかの飲み会の時、桂子は交際相手として既婚者は対象外と強い調子で言ったことがあったのだ。「それなのよ。柏木さん、それ訊いてくれない? 」と桂子はためらいもなく言った。冗談じゃないと伸介は思った。「それはあなたが訊かなくちゃ」と彼は突っ撥ねるように答えていた。

 その夜、桂子は乱れ過ぎ、あまり酔態を晒してはという他のプールスタッフのはからいで、途中で帰ってしまった。伸介も気が抜けてしまって、散会の前に席を立った。


   

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