第4話

 桂子に関心を寄せる複数の男たちが存在するなかで、伸介は桂子が気があるのは自分ではないかと密かに思っていた。別に確証があるわけではなく、いくつかのいわば状況証拠を伸介の自惚れがふくらませた結果と言うべきものだった。例えば彼に接する時の桂子の表情やものの言い方にある種の緊張を伸介は感じるのだが、彼はそれを桂子が自分に特別な意識を抱いているからと考えた。しかし桂子に接する時には伸介の方にも緊張があり、桂子の緊張はその反射と言えるものだった。伸介の緊張は桂子に悪い印象を与えたくない、認められたい、馬鹿にされたくないなどという彼の自意識から生じるものだった。彼のこの種の緊張は彼がそのような意識を抱く相手には誰にでも発現するもので、桂子に限らなかった。

 伸介は一度飲み会をすっぽかしたことがある。その飲み会があることは十日ほど前に桂子から知らされ、その時伸介は参加すると軽い気持で答えていた。ところがその後、幹事になっている会員が伸介に声をかけてこないのだ。コンディショニングⅡのレッスンを受けている会員の中にも気の合う者のグループがあり、伸介は幹事の男のグループとはあまり話をしていなかった。幹事が声をかけてこないのは、その飲み会がそのグループを中心としたものだからかも知れないと伸介は思った。それで、誘われないなら参加は遠慮しようと考えた。飲み会当日、伸介はプールに行ったが、誰からも声はかからなかった。それで彼は参加しなかった。その次にプールに行くと、会った桂子はすぐ、「柏木さん、どうしてこなかったの」と伸介に訊いてきた。参加人数に入れていたという。桂子にそう言われて伸介は嬉しかったが、「幹事から声がかからなかったもので」と答えると、「訊いてくれたらよかったのに。柏木さん、分かっていると思ってた。そんな、仲間外れになんかしませんよ」と桂子は真顔になって言った。伸介は変に気を廻した自分を桂子に済まなく感じた。そんなことがあったためか、その後飲み会の日時や場所などはすべて桂子から伸介は知らされ、その日が近づくと桂子は伸介に参加の確認を取るようになった。他の参加者とあまり交流のない会員への気遣いと判断される桂子のそんな行為も、伸介は飲み会での自分との接触を求める桂子の気持の表れと受けとるのだった。

 インストラクターも勤務時間終了後、プライベートに泳ぐことがある。そんな時、伸介がプールに来ていると、桂子は声をかけて一緒に泳いでくれる。桂子が声をかけるのは伸介だけでなく、そんな時は大体四、五人が列になって泳ぐことになるのだが、伸介にとってはそんなことも桂子が自分に特別な気持を持っている一つの徴証のように思われるのだった。

 そんな桂子の気持に応えてやらなければと伸介は時折り思うことがある。こちらから飲食に誘わなければ悪いのではないかと思うのだった。だが一度も行動に移したことはない。自惚れは強い癖に、一方でそれをいい気になってと笑うところが伸介にはあったし、また桂子との関係を深めることに躊躇もあった。俸給生活者である伸介は毎日の仕事で十分疲れていた。フィットネスクラブはスポーツの汗でストレスを解消し、健康の維持に役立ってくれればそれでよかった。それ以上のことを求める気は彼にはなかった。桂子を個人的に飲食に誘うことはその域を外れることであり、不倫、浮気などという言葉で表される関係に足を踏み出すことになるようだった。伸介にそんな煩わしいものを背負う気持はなかった。

 しかし桂子の好意(それは伸介に気があるということだけではなく、インストラクターとして熱心に教えてくれたなどのことも含む)に報いなければならないという気持は伸介の中で消えなかった。で、その機会は、と考えると、やはり飲み会だった。飲み会で桂子と語り合う機会を見つけて、彼女への自分の好意と感謝、さらに言えば自分の魅力をも十分に伝えたいと伸介は思うのだった。


 

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