第2話

 しかしそんなプールでも、レッスンを受けてなかったらこれほど熱意や興味を持って通い続けることはできなかっただろう。そのレッスンが間もなく始まる。コンディショニングのⅡだ。インストラクターの桂子の高い声がもうすぐ響くだろう。「コンディショニングのⅡ、始めますぅ」と。   

 桂子は基礎Ⅰからずっと伸介のインストラクターだった。伸介は水泳を基礎から教えてくれた人として桂子に恩義を感じている。しかし彼は桂子を先生としてだけ見ているわけではない。水着という裸に近い姿で接する男と女として互いに異性として意識し合うのは当然だろう。

 基礎コースの頃、桂子はその時々のポイントとなる形を実際にやってみせたが、受講者たちはそれを水中から見たり、上から見たりする。水中から見る時、伸介の目はポイントとなる形や動きから外れて、桂子の姿態を眺めてしまうことがあった。時には勃起しそうになって困ったこともあった。桂子もそんな男達の視線は意識していたはずだ。 桂子は熱心なインストラクターだった。時間一杯、力を尽くして教えてくれる感じがあった。ポイントの指導も明確でよく理解できた。インストラクターたちの長の立場にいる男の指導員よりはるかにめりはりの効いた指導振りだった。

 桂子のレッスン開始を告げる声が響き、伸介はレッスンの行われるレーンに近づいていった。

 コンディショニングのレッスンは体力作りとスピードアップを目的とするもので、長時間泳ぎ続けることがその内容の中心だった。ウォーミングアップで二百メートル泳いだ後、十分ほど、ダッシュや板キック、サイドキックなど、その時々のメニューがあり、その後ロングという三十分間泳ぎ続けるメインがくる。二十五メートルを四十秒、あるいは五十メートルを一分十秒などというインターバルが決められ、その時間内にその距離を泳いでしまわなければならない。それを三十分間繰り返すのだ。楽なレッスンではなかった。コンディショニングのⅡではⅠよりインターバルが短くなっている。それだけ泳ぎのうまい者が集まっていた。

 伸介は半年ほど前から五十メートルを一分で泳ぐことがそれほど苦しくはなくなってきた。継続は馬鹿にならないものだ。彼は桂子の指示に沿って自分でも工夫してきたが、その成果が出始めたと思っている。以前は五十メートルを一分のインターバルで三十分間泳ぐと死ぬような思いがあったが、今では五十メートルを五十七、八秒で泳ぎ、少し時間を余すようになっている。

 桂子は水着姿だが、コンディショニングⅡのレッスンではプールに入らない。プールサイドで時計を見ながら声を掛ける。ソーレ! ソーレ! 反復のスタート毎に桂子の気合いの入った声が掛かる。伸介の泳ぐレーンは端だから、プールサイドを歩く桂子の姿が泳ぎながら視界に入る。桂子はスタートから五メートルの所、つまり、壁を蹴って潜水し、浮上して最初の一掻きをする位置に立って泳ぎを見ていることが多い。伸介が顔を斜めに上げて呼吸をする時、桂子の下半身を下から見上げることになる。水着の下半身だ。初めはどうということもなかったが、繰り返していると、桂子の局部を下から覗いているような意識を伸介は抱くようになつた。伸介は近眼のうえゴーグルも着けていてはっきり見えることはなく、またそんな余裕もないのだが、意識すると顔が上げにくくなり、呼吸を省いてしまうこともあった。そんなことを気にしてどうする、目に入るものならゆっくり見てやれ、という気持で伸介が顔を上げだすと、桂子は移動していて姿がないということも彼がしばしば経験したことだった。伸介は桂子が自分のそんな気持を察して、わざとその位置に見せつけるように立っているのではないかと思うこともあった。時として彼の目には彼女がプールサイドぎりぎりまで進み、脚を開き気味にして、下腹部を突き出しているように見えることがあったから。 とにかくこの桂子の存在が、伸介が水泳をこれまで持続できた大きな要素であることは確かだった。


 

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