桂子・トラウマ

坂本梧朗

第1話


    


 駅は改築工事が漸く完成し、八本の線路の上に巨大な駅ビルがどっかりと腰をおろしていた。工事が行われていた三年間、工事の進捗に応じてしばしば、しかも不意に変更される通路やトイレの位置に利用者は悩まされたものだ。トイレは簡易トイレとなって数が減らされ、仮設の通路は幅が狭く、迷路のように屈曲していた。出勤のラッシュ時には、列車から吐き出された利用者の流れは狭い通路で堰き止められ、他人と体をくっつけ合ってのノロノロ行進を強いられた。

 完成してみると、腹の中にモノレールを呑み込んだ駅ビルは確かに重量感もあり、現代的で、見栄えはよくなったが、ホームに立つと、上に黒々と被さっているそれは重苦しかった。階段やエスカレーターを二つ以上経ないとホームあるいは出入口に達しない入り組んだ構造は、老人や身障者、あるいは急いでいる人には負担になると思われた。 ホームに立った伸介はいつもの肩掛け鞄と違って、今日は黒い旅行バッグを右手に持っている。バッグの中にはバスタオルと着替えの下着、それに水着とゴーグルと水泳キャップが入っている。今日は仕事を終えた後、フィットネスクラブに行って泳ぐ日なのだ。伸介にとってそれは健康維持のために必要なことであり、また気分転換、ストレス解消に効果のある楽しみでもあった。しかしそれも現在では果たさなければならない一つのノルマと感じられることもあった。特に出勤時には、今日自分を待っているあれこれの仕事の末尾に、それが駄目押しのようにくっついているように感じられるのだ。彼の出勤時の気分は世の多くのサラリーマンと同じように決して明るいものではなかった。働いているのは当然ながら生活のためであり、仕事の内容に彼の心を奮い立たせるものを求めることは難しかった。彼の頭には今日為さなければならないいくつかの仕事が浮かんでいるが、彼を待っているのはそれだけではなかった。どんな不慮の苦難が控えているか分からなかった。それを思う快いとは言えない緊張も朝の気分の一つの要素だった。そして実際、伸介は何度もそうしたものに遭遇し、乗り越えてきたような気がするのだ。

 伸介はいつものように俯いて、ホームの階段を上っていった。


 プールの傍らに設けてあるストレッチ場でウォーミングアップのストレッチを十分にしてから伸介はプールに入る。プールに入ると先ず水中ウォーキング。二十五メートルのプールを四、五回往復する。歩幅を大きくしたり、両足を揃えて小刻みに跳んで前に進んだり、蟹のように横歩きをしたり、後ろ向きに進んだり、いろいろ動き方を変化させる。それが終われば次はバタ足だ。ビート板を持って上半身を浮かせ、下肢を動かす。できるだけ大腿部から動かそうとする。最初はうまく進まないが焦らない。体が水に慣れるのを待つつもりで脚をゆっくりと動かす。伸介は一週間に一、二度しか来ないから、長くて六、七日、短くて二、三日のブランクがある。進まない。しかし脚に力は入れない。あまりの進まなさに途中で立ってしまうこともある。体が横に流れる。体が水に慣れてくるまでの我慢だ。そう思って伸介は大腿部から脚を大きくゆっくり動かし続ける。しだいに体が水に馴染んでくるのがわかる。二十五メートルを終えて戻りは往きとはかなり違っている。体が水の中で安定してくる。スピードも少しだが加わってくる。伸介はバタ足(板キックとも言う)を二往復ほど行う。以上は「歩行及び初心者」というプレートの置かれたレーンで行うメニューだ。

 伸介は「初級」と表示されたレーンに移る。ここから泳ぎ始めるのだ。ゆっくり泳ぐ。力を入れない。とにかく体が慣れなければならない。腕を大きく上に上げて水に入れる。水に入れるときは指先から差し込むしぐさを極端にする。半ばふざけてしている。まだ泳いでいるつもりはない。体の慣らしであり、遊び半分でいいのだ。力はどこにも入れていない。脚もほとんど動かしていない。それで二十五メートルを泳ぎ、戻ってくる。レーンの端で一服すると、妙な孤独感が伸介を包む。〈俺はなぜこんなことをしているのだろう〉、言葉にすればそんな思いなのかも知れない。しかしそれも数十秒のことだ。伸介はまた泳ぎ始める。さっきと同じだ。ゆっくり、ゆっくり。隣のレーンを泳ぐ人が彼を追い抜いていく。当然であり、構う事はない。徐々だ。徐々に俺は速くなっていくだろう。伸介はそう考えている。こうして初級のレーンでの泳ぎが五往復ほど続く。 隣には「上級」のレーンがあるが、いきなりそこには入らない。伸介は段階にこだわる。彼はそのまた隣の「中・上級」のレーンに移動する。ここは「初級」よりも少し泳ぎに自信のある人が泳いでいる。伸介のスピードも次第に上がってくる。彼は手首に防水の腕時計をしている。その表示をストップウォッチに切り換えて、一往復のタイムを計り始める。一分七、八秒。まだ遅い。伸介は一往復一分のペースで泳ぎ続けることができるのだ。まだまだだ。伸介は腕時計の表示を元に戻して時刻を確認する。レッスン開始までまだ十五分ほどある。十分調整できるだろう。

 伸介がこのフィットネスクラブに入ってもう八年になる。水泳はその五年ほど前から始めていたが、伸介はここで始めて基礎から泳ぎを習った。基礎Ⅰ・基礎Ⅱ・基礎Ⅲのコースを半年ほどかけて順次終了したのだ。それから泳法Ⅰ・泳法Ⅱ、そしてコンディショニングのⅠ、そしてⅡとレッスンを受けてきた。そして現在はそのコンディショニングⅡがもう五年目になっている。

 伸介が水泳を続けている最も大きな理由は糖尿病対策だ。彼の父親は糖尿病が原因で亡くなった。伸介はその体質を受け継いでおり、彼自身、既に境界型と診断されていた。 伸介の父親は入浴中に心臓の発作を起こして、救急車で病院に運ばれたが、手当ての甲斐なく亡くなった。死因は心不全だった。三十年近く糖尿病を患っており。二年前から人工透析を受けていた。父親が意識不明で病院に担ぎこまれた頃、伸介は職場の同僚と酒を飲んでいた。今日は遅くなると家に電話を入れた時、異変を知らされた。酒場から病院に駆け付けると、父親は急患用の処置室のベッドに半裸の状態で寝かされており、医師が心臓の位置に手を置き、体重をかけて押していた。側には母親がいた。父母と同居している姉夫婦とその子供も来ていたはずだが、伸介には記憶がない。父親の目は閉じられており、その顔に酸素吸入器が付けられていたかどうか、伸介の記憶は定かでない。オシロスコープの緑の線が医師の動きに従って波形を描いた。波形が規則的に繰り返されると父親の心臓が再び動き始めたのではないかという期待が生まれた。父親は以前にも一度病院に担ぎこまれたことがあり、その時は回復したのだ。伸介は父親がこのまま逝ってしまうとは思えなかった。しかしそれははかない望みだった。医師が動きを止めると線はフラットに戻った。露出している父親の性器が寒々しく、痛々しかった。結局父親はそのまま不帰の人となった。こんなに傷んだ心臓は見たことがないと後で医師は母親に話したという。

 父親が透析を受けていた民間病院の院長は、このまま二、三年もつかも知れないし、今日明日にも命にかかわるような事態が起きるかも知れない、そんな事態がいつ起ってもおかしくない状態と家族に説明していた。しかし伸介は何となく父親はまだ五、六年は生きるだろうと思っていた。その迂闊さを一撃され、彼は衝撃を受けていた。医師の言葉が改めて身にしみる思いだった。

 父親の闘病生活とその結末を見てきたので、伸介には糖尿病の怖さがよく分かっていた。父親の二の舞はしたくないという思いが彼には強く残された。そのためには運動が必要だった。それが伸介が今まで水泳を続けてきたやはり最も大きな理由だった。

 確かに水泳というスポーツも伸介の性に合っていた。泳ぐことには快感がある。それは解放感だ。重力からも半ば解放され、水という透明で柔らかな媒質のなかで体を自由に動かす快さ。それは時に野放図な自己解放が欲しくなる伸介の心性に合うのだ。この社会に働き生きる者として彼もストレスを抱えている。ストレスで硬化してしまっている頭の働きや体を柔らかく解きほぐしたい。そんな欲求を彼は水の中で何度自覚したことか。

 こうしてプールは伸介にとって肉体的にも精神的にも健康の泉なのだ。

 

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