拓郎の苦悩

 少し煮詰まってしまった牛丼をテーブルの上に置いて、拓郎くんと私は「いただきます」と手を合わせた。


「うまい」

「ちょっと煮詰まって甘くなり過ぎちゃった」

「いや、俺このくらいが好き。ちょっととろみがついて、卵によく合う」

「おお。評論家のような言葉が出るとは」


 ぷっとお互い吹き出して、また牛丼を口に含んだ。


「……俺と美優は家族ぐるみの幼馴染だったんだ」


 どんぶりいっぱいの牛丼を食べ終わり、食後の胡麻団子を作っていると、それまで深刻な顔をしていた拓郎くんが語り始めた。


 美優と美優の姉である朋恵は、父の職場の同僚の子供で、兄の隆一と拓郎とよく会う機会があった。隆一と朋恵は同い年で、美優は拓郎より二つ下。他にも同年代の子供はいたけれど、美優は隆一と拓郎によくくっ付いて遊んだ。隆一は面倒見の良い人で、どこに行くにも足手まといになる美優を庇い、辛抱強く美憂の我儘を聞いてあげていた。そして、そのうち美優が隆一に恋をした。だけど、隆一は美優の4つ上で接触はなく、人当たりもよくモテる男だったからどれだけ美優が恋焦がれても隆一には手が届かなかったんだろう。


「隆一は男子校に通ってたから、美優とは高校も別、大学も美優は中学からのエスカレート式のお嬢様学校に通っていたから、接点も何もなかったんだ。年末年始に会社ぐるみで付き合う以外はね。俺も同じで学生の頃はアメフトに夢中だったから、美優のことなんてこれっぽっちも気にしていなかった」


 そのうち隆一に婚約者ができて、結婚の話が本格的になった時に、美優は「隆一と結婚できないなら死ぬ」と泣き喚き自殺未遂を起こした。美憂の両親は隆一と美憂の関係を知るために家にきて話し合いをしたところ、勿論、美優と隆一には全く接触点が無く、美憂のはた迷惑な片想いだったことが分かったのだが、諦められない美優は隆一の恋人や拓郎を貶めることで隆一を手に入れようと画策した。


「あいつは俺の職場に来て、有る事無い事を吹き込んで俺の信用をなくした。そうすることで何が得になるのか分からないけど、そうすれば隆一が俺のために離婚をして美優と再婚すると思ったらしい」

「無茶苦茶な論理ね…」

「うん。職場の中だけならまだ良かった。職場は実力主義だったし、俺のデザインやアイデアは結構高く評価してもらっていたし、大学からの推薦もあったからね。でもあいつは取引先で、俺が美優を無理矢理抱いて、子供ができたのを無理に堕胎させ、挙句子供ができない体になったからと言って捨てられたと言い触れ回ったんだ」

「……酷い。それ、自分すらもダメにしてるんじゃない」


 人を巻き込んで泥沼に引き摺りこむその根性が逞しいというか、なんというか。


「それで、会社ももう庇いきれないと俺を見切って、俺は退職へと追い込まれた。そんな時、美憂の親父さんが心労で倒れて、それも俺のせいにされたんだ。『隆一がダメならタクが責任を取って私と結婚して』って詰め寄られて、俺は民事訴訟を起こしたんだ」

「つまり裁判?」

「うん。刑事告訴ではないから、警察沙汰にはならないし前科もつかないけど謝罪広告の掲示と慰謝料を請求した」

「そこまでしてもお兄さんが欲しかったのかしら」

「さあな。俺でも兄貴でもどっちでもよかったのかもしれないな。俺たちを貶めることに執着して本来の目的をすっかり失ったんだろう。兄貴もいい迷惑だし、聡子さんもちょっとノイローゼみたいになっちゃって。あ、聡子さんっているのは兄貴の奥さんなんだけど…。聡子さんのことは兄貴がしっかり守っていたから大事には至らなかったのは幸いだったけどね。それで親父が兄貴と聡子さんに二世帯住宅にして一緒に住まないかって提案したんだ」


 なるほど。それで拓郎くんが家を出ることになったのね。


「結局、裁判で美憂たち家族はバラバラになった。姉の朋恵さんはすでに結婚してたからあまり関与しなかったんだけど、美憂のせいでおじさんは会社をクビになって、おばさんは離婚して実家に帰ったと聞いた」

「えっそれじゃ、美優さんは?」

「あいつはいつも誰かと暮らしていたから、その時ももしかしたら男がいたのかもしれない。親父もお袋も隆一も聡子さんも迷惑を被っていたし、俺は人生を台無しにされたけど、こうしてやり直してる。だから刑事訴訟は起こさないけど、金輪際関わるなって念を押したんだ。今度俺の周りを彷徨いたら警察に連絡するって」

「…でも現れたのね」

「信じられないだろ…。どういう神経してんのか理解できない。もう狂ってるのかもな。その上、ゆかりさんにも迷惑かけて本当にすまなかった」

「え、いや、もういいよ。拓郎くんには充分庇ってもらったし…。でも彼女、また来るかもしれないね……靴片っぽ残していったし」


 シンデレラかって。


「そうなったら警察に通報する」


 拓郎くんは、ものすごく嫌な顔をしてはあ、とテーブルに突っ伏した。


「せっかく楽園を手に入れたと思ったのに」

「ふふ。まだ手放していないじゃない」

「俺がここにいたら、また迷惑がかかるし…」

「……私も人のこと言えないから。以前、町内会の掃除があったときのこと覚えてる?」

「……うん。実は気になってた」

「私の元カレ、下半身のだらしのない人でね。あっちこっちで手を出して、結局事件に巻き込まれちゃったみたいなのね。それで、別れた私の元に来て、多分、匿ってくれみたいな感じでドアを開けろって騒ぎ立てたの。あの時は向井さんが警察に連絡をしてくれたのと、夜半の町内見回りのおじさんたちが近くにいてすぐ来てくれたから、ことなきを得たんだけど、それで防犯カメラの設置とか、防犯ガラスに取り替えだとか面倒かけちゃって」

「そうだったのか…」

「まあ、でも彼、その後どうも精神病院に入っちゃったみたいで」


 騙したり騙されたり、本当の話がどれなのかもうさっぱり分からないから、わざわざいう必要もないけど。


「だから、気にすることないわよ。近藤さんに出て行けって言われるまで、居ついちゃっても良いと思う」

「そうかな」

「うん。拓郎くんより、私の方が早いかもしれないよ」


 今回の騒ぎもまたしても私の家の前だったし。誰も出てこなかったけど、きっと聞き耳立ててたんじゃないかと思うのよね。


 本当、私にとって恋愛って醜聞にしかならないんじゃないかしら。


「ねえ、ゆかりさん」

「なあに?」

「俺と付き合ってもらえない?」

「……えっ」


 この状況で、いうかなあ?普通。


「この状況で、って思うんだけど」


 あ、考えてること読んだ。


「この状況だからこそってのもあると思う。もし、この騒ぎが問題でゆかりさんが追い出されたら俺、自分が許せないと思うし。これでゆかりさんとの縁が切れるのも嫌だ」

「いや、まだ追い出されるとは分からないし」

「俺の知らないうちに他の男に掻っ攫われるのも嫌だ」

「ええぇ…?いやないと思うけど」

「俊介がゆかりさんにちょっかい出したでしょ」

「ちょっかいって…。ラグビーの試合見に行こうって言われただけだよ?」

「名刺渡されてるし」


 なんで知ってるの?!


 友人ってそういうの全部筒抜けなの?



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

淡白なので、これ以上求めないでください 里見 知美 @Maocat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ