隣人の食卓
拓郎くんの朝は早い。朝は6時ごろには出かけるらしく、帰りは5時には家に帰るという。何の仕事をしているのかと思ったら、設計事務所で働いていて、よく現場に出向するのだとか。本当は建築家になりたかったのだけど、色々あって今の職場では現場監督について補助的な仕事をしているとか。大抵は土日休みだけれど、土曜日はスポーツを楽しんでいるらしい。学生時代はアメフトを楽しんでいたのだけど、社会に出て続けるのが難しくなったので、ラグビーとサッカーを楽しんでいるとか。サッカーは朝、ラグビーは夜なのだそうだ。引きこもり気味の私は考えられない。
そして拓郎くんはやっぱり私よりも年下で、今26歳。私の歳を聞きたそうにしていたけど、そこはにっこり笑って拒絶した。年上だということはわかっていると思うけど。
朝早かったこともあって、ドライブは快適。道も混んでいなかった。眺めのいいパーキングスペースで遠くに見える海を眺めていると、拓郎くんがお弁当を作ってきたんだと言っておにぎりの入った重箱を出してきた。
「重箱でおにぎり!」
「いや、だってラップで包んだだけとか色気ないし、どうしようって母親に相談したら重箱に詰めて行けって」
「すごい。これ、ピクニックにするべきだったねえ」
実はサンドイッチを私も持ってきたのだけど、せっかくなので拓郎くんのお弁当をいただこうと思って、言わずにいた。
重箱の一段目におにぎりが詰め込んであって、二段目にはタコのウインナーと卵焼き、ポテトサラダが入っていた。運動会のお弁当のようだ。
「可愛いタコさんウインナー!頑張ったんだね」
「可愛い発言いただきました!よかったら食べて」
「いただきます。おにぎりがすごい大きい」
「まあ、男の手だからね。小さく作ろうとしたら丸くなっちゃうし」
「あはは。まるおにぎりも可愛いと思うけど」
パクリと一口食べて、思わず固まった。
「どう?」
思わずぎゅっと目を瞑った私に、あれ?と思った拓郎くんが自分でも一つ掴んで食べて、吐き出した。
「しょっぺ!」
塩が口の中でジャリ、と音を立てた。うん。塩、どれだけ入れたの。
「ごめん!吐き出して!これは体に良くない!」
「う、うん。ごめん…せっかく作ってくれたのに」
「いや、俺の方こそちゃんと味見をするべきだった。お茶飲む?」
「うん、いただきます」
お茶で口を濯ぐように飲み込むと、ふうと一息つく。
「せっかくいいところ見せようと思ったのになあ。おにぎりなんて簡単だと思ったんだけど…」
「いや、作ろうって意気込みが嬉しいから。ウインナーは美味しいよ?」
私が口に入れる前に、拓郎くんは卵やきを味見して吐き出し、ポテトサラダはかろうじて食べられる味だといった。ウインナーはパックに入ったものを焼いただけなので問題なくいただけるとして、私に譲ってくれた。
「これじゃ、どこかで食べた方がいっかな。この時間だとどこも満員っぽいから、街に戻るか」
「えっと、実は私もサンドイッチ作ってきたんだ」
「えっ本当に?」
「せっかくだから、拓郎くんのをいただこうと思ったんだけど…食べる?」
「食べる!すげえ。まさかゆかりさんも作ってくれるとは思わなかった」
「ええ?誘ってくれたんだもの、これくらいは考えるよ」
「いや、だって。今日は俺が誘ったデートのつもりだったから気合入れてたんだ」
「えっ」
「えっ?」
私は思わず拓郎くんの顔をマジマジと見てしまった。視線を泳がせてたじろぐ拓郎くんは仕切りに鼻を掻いてえっと、その、と吃っている。
「えっと、その。デート、のつもりだったんだけど。ゆかりさんはそのつもりじゃなかった?」
「えっ、いや。あの。だって、え?そ、そうなの?」
今度は私が狼狽える番だった。
「だって、私アラサーだし、年上だし。拓郎くんは、えっと…か、かっこいいし、絶対彼女とかいるとか思ってたし」
「彼女がいたら週末にドライブなんて誘わないよ」
「え、でもほら、最初は遊園地の予定だったし」
「あ〜、うん。それはきっかけを作りたかったし…俺、めっちゃ勘違いしてた。恥ずかしい」
「勘違い?」
「いや、女の子が手作りの料理を披露するのって、その、気がある証拠だとか勝手に思ってて、脈ありだとばかり…」
それを言ったら、あちこち(アパートの住人に限るけど)に作り与えてる私、
「ああ……そっか。そう、だよね。ごめん、私そういうの疎くて…」
「いや、俺も自惚れてて…」
お互いに俯いて気まずくなってしまった。そうか、手作りってやっぱり特別な人にあげるのが普通なんだよね。すっかり恋愛から遠ざかっていたから。これが枯れ女たる所以なんだわ。
「それじゃあ…。ちょっとここまでのことは忘れて」
「えっ」
私は顔をあげる。忘れてって…、無かった事にって事、よね?私が真顔になって拓郎くんを見ると、これに対しても彼は慌てて言い直した。
「いや、忘れてっていうか。改めてっていうか。ああ、クソ…」
拓郎くんが直立不動になって向き直ったのを見て、私も思わず姿勢を正してしまった。
「ゆかりさん。俺、図々しくて自惚れ屋だけど、これからはただの隣人としてじゃなくて、男として見てもらえないでしょうか」
「えっ」
いや、さっきから私「えっ」しか言ってない、と気がついて知らずと顔が赤くなる。
「と、友達からでも良いんで…お願いします」
ガバッと頭を下げて、握手を求めるように手を差し出してくる拓郎くんに心臓が飛び跳ねた。オロオロしてドキドキして、どうしようかと思ったけれど、後から嬉しさが込み上げてきて感情が抑えきれなくなった。やだ、嬉しい。可愛い。お、落ち着け、私。
「こ、こちらこそ。えっと…よろしく、お願いします?」
ぱあっと笑顔を振りまいて、拓郎くんが私の手をぎゅっと握りしめた。
「やった!ありがとう!」
よっしゃあ、とばかりに握り拳を作って喜ぶ拓郎くんを、私は少し戸惑いながら見ていた。
それから私たちは、カツサンドを食べて野菜スティックとウインナーも食べ終わり、遊園地へと向かった。私は何気に緊張していたんだけど、ランチの後で何事もなかったかのように会話をする拓郎くんに、次第に緊張もほぐれていった。
アスレチックは子供向けのものが多くて、背の高い拓郎くんが子供達に混じると、ヤンチャな男の子たちが拓郎くんと競い合ったり、よじ登ろうとしたりとハプニングにも見舞われたものの、ゴーカートに乗ると他の子供たちと同じようにはしゃぎまくって、私はぽかんと子供たちのお母さん方と見学する羽目になってしまった。
それに気がついた拓郎くんが平謝りで、綿飴を買ってくれたり、メリーゴーラウンドに一緒に乗ってくれたりした。お化け屋敷で一際大きな叫び声をあげて、人を呼び寄せていたのが印象的で、私も久しぶりに大声を張り上げて遊園地を楽しんだ。声に出して笑ったのは久しぶりな気がする。
遊園地を出ると、一人で楽しんでしまったお詫びにと言って、おしゃれなレストランに連れて行ってくれたのにはものすごく恐縮してしまったけど、これも予定のうちに入っていたようだった。レストランはステーキの店で、拓郎くんはやっぱり豪快に平らげていた。
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