初でえと?
それからの私は、仕事も順調で月に一度は締め切り前の地獄の校正週間があるけれど、精力的にこなしていった。近藤さんからの家賃の値上がりの話も今のところは無い。念のために、周辺の賃貸情報も少し調べてみたけれど、一階というマイナス条件を差し引いても、やっぱりこの部屋の間取りと環境を上回る物件は見つけられなかった。なので、たとえ家賃が6万円になってもここを出るということはありえない、と思う。
何度か偶然にも帰りの時間が拓郎くんと重なって、スーパーで買い物をして念願のカレーライスを一緒に作ったり(もちろん福神漬けもたっぷりつけて)、きりたんぽと胡麻豆腐の作り方を伝授したりした。
拓郎くんは話し上手、聞き上手で、なんでもトライしたがるし、料理の腕も着実に上がっていった。先日は餃子に挑戦して、ひだのないラビオリみたいな餃子を二人で食べて笑った。体が大きいこともあって彼の食事は豪快だ。食べ物を吸い込むように食べるのに、お箸の使い方が綺麗で行儀が良い。箸を置いてから手を合わせて「ごちそうさまでした」と言うところも好感が持てた。後片付けも一緒にしてくれるし、ついでにゴミまで出してくれる。
今時こんな男の子がいるとは驚きだ。
「そう言えば、今日肉屋のおばちゃんに遊園地の入園券2枚もらったんだけど、ゆかりさん一緒に行かない?」
「遊園地?」
「そう、今にもつぶれそうな小さい遊園地の復興イベントだって」
「ああ、あそこかな?もともと工場跡地だったところに、アスレチックランドを作ったらしいんだけど、管理が大変で売り上げが出ないらしくて。それで取り壊して、店舗付きのマンションを建てる企画が上がったのだけど街の人が反対してるっていう物件」
「遊園地じゃないんだ?」
「遊園地として機能していないというか。一応アトラクションとしてコーヒーカップとかメリーゴーラウンドはあるんだけど、今時小学生でも怖がらないような乗り物しかないらしいの。でもアスレチックランドは割と好評で、チューブ滑り台とトランポリンが人気なの。ただ入園料が今時五百円で、しかもアスレチックランドは無料だから採算取れないんだって」
「アスレチックランドか!俺そういうの好きだな」
「拓郎くんのような大きい体だと木のほうが折れちゃうかもね」
「そんなわけないだろ!」
「あはは。あとね、ゴーカートもあるんだって。ほんとに小さいサーキットだけど行ってみる?」
「行きたい」
拓郎くんは子供のように喜んで、日曜日に一緒に行く約束をした。かくいう私もちょっと楽しみにしている。家が隣同士だと待ち合わせ場所もへったくれもないけど、朝は「気まぐれ貴族」で待ち合わせて、朝食を一緒に食べてからいこうということになった。
◇◇◇
日曜日が待ち遠しくて、前日はなかなか寝付けず久々に鹿子に連絡をした。鹿子は今カナダに住んでいるから電話ではなく、ビデオチャットで会話をしている。何があったのか、誠司くんの事件で鹿子はキッパリ仕事をやめて、ご両親のいるカナダへ移住した。13時間の時差だから私の夜は彼女の朝だ。
「おはよう!あ、日本は夜か。ゆかりから連絡くれるなんて久しぶり〜!」
「鹿子いつも忙しいからこっちも気を使うんだよ。鹿子の少ない睡眠時間削りたくないし」
「うんうん。こっちは朝遅い開始だから大丈夫。と言ってもそろそろ出勤の時間だからあまり長く話せないけど。それで、遊園地だって?お隣の何君だっけ?」
「拓郎君。最近料理も一緒によく作るんだけど、豪快だよ。これぞ男の調理だあ、みたいな」
「だいたい世界的有名なシェフは男の人が多いっていうし、頑張って調教すれば一生楽できる!」
「調教って」
そんなつもりはないけれど、よく考えると大型犬のような気もしてくるから笑える。
「食は大事よ。共働きでもどちらも料理ができるんなら分担できるしさぁ。マスコミの男は自炊なんてしないから全然期待できないよ」
「時間ないもんね」
「でもカナディアンの男って大抵みんな料理するのよ。ホットポットとか日常的に作ってるし、野菜ごろごろのカレーとか作るし、日本食も人気でね。器用に手巻き寿司とかも作るの」
「へえ〜。お寿司なんて食べるんだ」
「サーモンとかアボカド入れて、いくらもたっぷり」
「それ手巻きより、チラシの方がいいんじゃないの?」
「言えてる!でもこれが寿司だって思い込んでるから」
結局、鹿子と話せたのはほんの20分足らずだったけど、やっぱり食の話になって終わってしまった。でも鹿子と話すと気が抜ける。プラスのエネルギーを分けてもらえるようで大好きだ。私にとって太陽のような存在が鹿子なのだ。
日曜日は、動きやすいようにスクエアネックのタンクトップとラフなデニムパンツの取り合わせ。それにモスグリーンのシアードレスシャツを羽織る。髪は邪魔にならないようにハーフアップにして小さなお団子にした。おでかけのコーデをするのも久しぶりだと気がつく。そう言えばあまり可愛い色合いの服も持っていない。鹿子がいないと服すら買っていなかったんだと今更ながら気がついた。下着もそろそろ新しいものを購入すべきか。
遊園地の中のキオスクは混むと聞いたので、手掴みで食べれるカツサンドと野菜スティックにホマスディップをお弁当に作って持ってて行くことにした。
ウキウキと「気まぐれ貴族」に行くと、拓郎君はすでに店にいて窓際の席でコーヒーを飲んでいた。家で一緒にご飯を作る時は大抵Tシャツにジャージかスウェットパンツの拓郎君が、Vネックのボーダーシャツとネイビーのショーツに、リネンジャケットを合わせていた。捲り上げた袖から見える逞しい腕がやけに色っぽい。足を組んで座る姿が様になっていて、今更ながらイケメンなのだと気がついた。
どうしよう。
私の格好はあまりアスレチックな感じがしない。浮かれたデート服に見えてしまうだろうか。いつも通りの格好にしておけば良かった。いや、いつも通りの服って、私いつも何着てたっけ?
店の前で固まってしまった私を見つけたのは拓郎君の方だった。
ひらひらと手を振って、おいでと促す姿に、私はそれこそ尻尾を振る犬のように、いそいそと中に入っていく。
「お、おはよう。早いね」
「うん、興奮して眠れなかった。ゆかりさんすっげ可愛い。すごく似合ってるよ」
「え、あ、ありがと…。えっと拓郎君もかっこいい」
「本当?良かった。ダサダサとか言われたらどうしようかと思った」
それは私の方です。
「でね、調べたら遊園地なのに開園が11時から見たいで。だから遊園地は午後にして、ちょっとドライブ行かない?」
「えっ、車運転するの?」
「うん、車も一応持ってるし」
「そうなんだ。わあ。すごい」
「すごいって。免許ぐらいみんな持ってるでしょ。ゆかりさん、海と山どっちが好き?」
「免許はID代わりに持ってるけど、運転する機会もないし、ペーパーだから。えっと、どっちでもいいけど…山の方が好きかな」
「わかった。じゃあスカイライン走ろうか」
ドライブデートなんて初めてだ。いや、デートじゃないけど。私は興奮を隠せず、トーストとサラダのセットを頼んだ。
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