警察からの報告

 歓迎会から数週間たって、拓郎くんもアパートに馴染んできて、二階の向井さん夫妻とも顔見知りになった。先日も向井さんから小茄子をもらって漬物を作りたいのだけど教えて欲しい、と尋ねてきた。大きな弟ができたような気分で、ちょっとくすぐったい。


 町内会の美化週間の週末、拓郎くんもどぶさらいと落ち葉掻きに参加してくれて、力強い若者が増えて良かったとみんなに喜ばれて照れている拓郎くんが可愛いかった。


 昭和ハイツの住人は下の階が一号室から拓郎くん、私、鈴木さん、そして四号室の芝さん。彼はいるのかいないのかよくわからない住民だ。時々掃除に来る人がいるので、たまに帰ってきているのだろう。


 上の階には五号室が空き部屋、六号室が向井さんご夫妻、七号室は水商売のお姉さん(?)でこちらもいるのかいないのかよくわからない。そして八号室は近藤さんというこのハイツの管理人さんだ。


「いやあ、ゆかりちゃんみたいな若い娘さんがいるから、安城さんみたいな若い男の人がいると安心だよ。この前みたいなこともあるからねえ」


 お疲れ会でアパートの前でおにぎりとお茶が用意されて、みんなで労っていた時、近藤さんがいらん事を口走った。私は体を硬くする。あまり口外して欲しい事件ではなかったし、拓郎くんにはなんとなく知られたくなかった。


「この前?」


 おにぎりを口に入れようとして拓郎くんが首を傾げた。


「ああ、あれはびっくりしたよねえ。ゆかりちゃんも付き合う人は考えないと」

「す、すみません、ご迷惑おかけしまして」

「あれからあの人、どうなったか聞いた?」

「いえ、わからなくて。でもあの、もう多分大丈夫だと思います」

「何があったんですか?」


 ああ、もう。近藤さん恨みますよ。


「ゆがりぢゃんの昔の男殴り込みに来で、ドア蹴り飛ばしたで。そんで警察沙汰になって、しょっ引がれでいったべね」

「鈴木さん、それ言い過ぎです!蹴り飛ばしてないですよ。開けてくれって騒いだだけで。警察が来る前に逃げたでしょ」

「そだっけな?」


 思わずぽろりとおにぎりを落としてしまった拓郎くんが真顔になっていた。


「そんな事が…」


 いやいや、そんな大袈裟ではなかったんです。ああ、話がどんどん大きくなる!


「まあ、痴情の縺れだよね?」

「いえ、あの。もつれてはなかったんですけど。別れた後だったし…」


 近藤さんにとっては、犯罪防止としてアパートに設置した防犯カメラとドアの交換で出費が多かったので、愚痴りたいのだろうけど、それをここでいうのは間違ってると思う!私は冷や汗をかきながら、私の方に問題はなかったアピールをした。


「痴情の縺れ…別れた後だったんですか」

「ええもう、キッパリと!」


 もうその話はやめましょうと、笑顔を貼り付けたそのタイミングでパトロールカーが目の前に止まった。


「お疲れ様です、美味しそうなおにぎりですね!」

「おや、お巡りさん。巡回ご苦労様です。全部梅にぎりですけど、よろしかったらどうぞ、どうぞ」

「ありがとうございます。ええと、水面ゆかりさん。前回の事件についてなんですけど、例の男性が逮捕されまして、その報告に参りました」

「ああ!今その話ししてたところですわ!」


 近藤さんが野次馬根性丸出しで警察官に向かって声をあげた。なんてタイミング。


「えっ。あ、はい。えっと、ちょっと前に新聞で見ました。わざわざありがとうございます」

「あら、もう捕まってだの?仕事はえぐてえね」


 警察官の二人はにっこり鈴木さんに笑顔を見せた後、私に向き直り手帳を広げた。まだ言いたい事があるらしい。


「ええと、あの男、時任誠司ですね。実は他にも傷害事件を犯していたんですが、どうも虚言癖があり精神薄弱として病院に入りました。水面さんとは、顔見知りだったとのことで金をせびる為に向かったと供述していました。確認までですが、お金の被害はなかったですよね?」

「お金?いえ、そういったことはありませんでした」


 え?おかしいな。彼は一流企業に勤めていてお金に困っていたなんて聞いてないけど。結婚して出費が嵩んだとか?いやでも、婿養子に入ったっていってたよね?それで騙されたとか、いってたんじゃ。


「あの、時任さくらさんと結婚されたと聞いていたんですけど、どうなったんでしょう」

「それは我々からは申し上げられません。すみませんね」

「そ、そうですか…。それで、あの、彼は病院って…どのくらい病院に?」

「それも私たちでは分かりかねます。ただ医師の許可が出るまでは、出ることは叶わないので少なくとも1年は出てこないと思いますが、水面さんに関しては被害も脅迫未遂だけでしたので、これ以上の措置はできないですよね。心配でしたらお引っ越しを考えるか、弁護士を立てる事をお勧めしますが」

「弁護士、ですか…」


 訴えるってこと?でも、そこまでする必要もない気がするし、なんとなく腑に落ちないのだけど、警察はただ報告に来ただけだしこれ以上は話してもくれないのだろうと思った。


「大丈夫、だと思います。わざわざありがとうございました」

「いえ。それでは我々はこれで」


 警察官たちが去っていくと、向井さんが近藤さんに文句を言い始めた。


「ゆかりちゃんはこのハイツのマスコットなんだから大事にしないとダメだよ、近藤さん。今時こんな古いアパートに若い子なんて入ってこないんだから、防犯カメラくらい当たり前の時代でしょ?」

「えっいや、別にそんなつもりでは」

「んだ、んだ!ゆがりぢゃんがいなぐなったら、誰がぎりだんぽ作るで思ってらの?コンちゃんもきりだんぽ好ぎだべ、な?」

「えっ?ええ、まあ。きりたんぽ…好きですけど」


 ここで鈴木さんが近藤さんに賄賂を渡していた事が発覚。しかも作者は私。近藤さんもこれには気が付いたらしく視線を逸らした。


「ま、まあ。今後のためにも確かに防犯は必要でしたしね…。防犯カメラくらいはつけないと、入居者もこないし…。でも来年は家賃値上がり、覚悟しておいてくださいよ」


 ええっ!それは!


 そこにいた全員がブーイングをして近藤さんは尻尾を巻いて逃げてしまった。家賃の値上がり、しない事を祈る。でも考えてみたら、近藤さんは管理人さんであって大家さんではないから家賃の上げ下げの権利はないはずだ。五万五千円までなら考えてもいいけど、それ以上になると引越しもありかも。うーん。この地域、このアパート、どれをとっても手放せない気がするんだけどな。


 そんな事を話す私たちをよそに、拓郎くんがおにぎりを見つめて何かを考えていることに私は気がつかなかった。






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