欲求不満?
「機嫌いいよね、ゆかり。それで?その拓郎くんとやらと今どう言う関係?」
月に一度、鹿子から時間のある時にビデオコールが入る。その時に拓郎くんのことが話題になった。
「どう言うって…えっと。友人?」
「まったまたぁ〜!『拓郎くんがね、拓郎くんとね』ってこここ数ヶ月何回その名前出したと思ってんの?」
「えっ、そんなに名前出してた?」
「出してた、出してた!なんかいい感じなんじゃないの?」
例のデートから、私と拓郎くんの関係はそれほど変わっていない。けれど、隣人からは確実に昇格して、友人と恋人の間くらいの関係、だと思う。日曜日はほとんど一緒に過ごしているし、週に何度か一緒に私の部屋で食事をし、時々食材の買い物にも一緒に行く。最初のうちはドキマギしていたのだけど、私の心臓は思っていたよりも図太いらしく、すっかり主婦のようになってしまったような気がしないでもない。それでも付き合おうとはどちらからも言っていないし、好きとかそう言った言葉も交わしてはいないから、うん…よくわからない関係だ。居心地がいいから、それでもいいのかなと、考えたりもする。
「それはもう、付き合ってると言ってもいいんじゃないの?」
「いや、でも。特別付き合ってとかも言われてないし」
「あんたはもう、ほんとのんびりしてるんだから。でもね、体の関係は流されて持ったりしちゃダメよ?」
「わかってるよ。誠司くんでそれはもう懲り懲りだし」
「そういえば、彼まだ病院なのかしら?」
「さあ…。多分そうなんじゃないかな。うちのアパート、大家さんが張り切って防犯設備整えてくれて、防犯カメラにセキュリティシステムも導入して、窓も防犯ガラスになったの」
「へえ、今までが開けっ広げだったから、それはよかったわよね」
「うん。でもやっぱり家賃は値上がりしそう」
「今でも結構安いでしょ?そんなに急に何マンも上がらないだろうし」
「うん、多分2千円くらい値上がりする。でもそれくらいならって引っ越す人はいないんじゃないかな。長期契約の人ばかりだしね」
キャイキャイ言いながら、鹿子はそろそろ行かなきゃと言って電話を切った。カナダでも言語に不自由のない鹿子はジャーナリストの仕事を見つけてあちこち走り回っているから、私からは中々電話も出来ない。鹿子と話すのは大抵真夜中近いのだ。
電話を切って、お風呂に入ろうとしたところで、外から女の子の甲高い声が聞こえてきた。泣いているのか、ヒステリックに叫んでいる。
なんだろうと思い、思わずキッチンの窓の隙間から外を見ると、泣き喚く女の子がすぐ外にいた。
「タク!ごめんってば!もうしない!ちょっと困らせたかっただけなの!もうしないから許して!」
タク。拓郎くん、のことか。
「美優、近所迷惑だから、帰れ。何時だと思ってるんだ」
「やだ!タクが許してくれる迄ここにいる!お願い、タク!」
「美優!帰ってくれ。ここには二度とくるな」
「やだよう〜、タク…。お願い許して。もう浮気も嫉妬もしないからぁ」
浮気。
……え?彼女さん、いた?
まあ、拓郎くんはかっこいいし。26歳にもなってずっとフリーだったとは、もちろん考えていないけど。話を聞く感じでは、彼女が浮気をしてそれが原因で別れた、のかな?
ボディコンのブランドっぽい服を着てすごい高さのヒールを履いているけど、似合っている。なんていうか、住む世界の違う感じの女の子。芸能界のアイドルって生で見るとあんな感じなのかな、というような可愛らしさだ。アッシュブロンドで、クルクルふわふわの巻毛が庇護欲をそそるのかな。男の人ってあんな感じの女の子好きよね。私みたいなアフロ天パじゃなくて。
私はその場を離れてお風呂に入った。お風呂は通路側にあるせいで、まだ女の子が泣きながら許しを乞うているのが聞こえてきて、音を立てるのも聞き耳を立ててるようで居心地が悪く、早々に出てしまった。ぼんやりドライヤーで髪を乾かしながら、鏡に映る自分の姿を見る。
校正の仕事は目を酷使するため、眼鏡を使う。昔はコンタクトを入れたりもしたけど、仕事の時は瞬きの回数が減るのか、眼鏡じゃないとドライアイになって真っ赤に充血するから、という理由で、面倒くさくなってずっとメガネになってしまった。ぱっちり二重でもないし、まつ毛も長くないし、眉だって書き足さないといけない薄さだ。髪の多さがちょっとくらいまつ毛や眉にきてくれてもいいのに。
「そろそろ視力検査もしないと…」
自分の姿がぼやけて、よく見えない。髪型も天然パーマが入っているせいで纏まりがなく、そのくせ黒々として髪質も硬い。下手に短くすると爆発してそれこそアフロになるため、肩甲骨に届くほどの中途半端な長さにして重さで天パを抑えている始末だ。濡れてる時は真っ直ぐに伸びていい感じなのに、乾くとまるで眼鏡をかけたアフロこけし。
「次の休み、ヘアサロンも行こうかな…」
デートの日のために新しい服を買おうと思っていたのに、それもおざなりになっていた。部屋着は上下セットで千円のスウェットで、去年の暮れにバーゲンで買ったやつだ。鹿子がいれば買い物に付き合ってもらうのに。気後れするせいで買い物すら一人でできないなんて、情けない。スーパーだったら平気なのに。
若くて可愛い子に張り合ったところで、足元にも及ばないけど。
乾かしすぎた髪に気がついてドライヤーをしまい、布団に入った。
◇◇◇
夢の中で誠司くんがいう。
「追い縋ることもなく、泣くこともない女なんて、全く可愛げがない」
だって、そんなみっともないことできないし、そこまでするほど誠司くんのこと好きじゃなかったし。本当は体に触られるのも嫌だった、なんてあなたが傷つくと思って言えなかった。
「おしゃれもしないし、連れて歩くのも恥ずかしかったんだ」
おしゃれして高いヒールを履いてもどうせゲームセンターで時間を潰すか、どこかの新車のディスプレイを見るだけじゃない。可愛いともおしゃれとも、似合うとすら言わなかったくせに。
「セックスしてても喘ぎもしないマグロ女だし。不感症なんじゃないの、お前?」
あんたが自分本位で痛かったのよ。体を弄ったからって濡れるとかありえないから。
「お前はセフレでキープ、本命はこっちだったから別にいいけどさ」
いつの間にか誠司くんは拓郎くんになっていて、隣にはさっきまで泣いていた可愛いアイドル系のアッシュブロンドが拓郎くんに裸で抱きついていた。
「タクは私の彼氏なんだから!あんたみたいな年増不釣り合いよ」
汗だくになって、目が覚めた。目覚ましは6時ちょっと前。
「欲求不満か……?」
はあ、と最悪な気分でため息をついて朝からシャワーを浴びる羽目になった。
目覚めが悪かったせいもあって、今朝は食欲もない。
「仕方がない。久しぶりに「気まぐれ貴族」でコーヒーを飲んでから出勤しよう」
そうつぶやいて、私はいつもより30分早く家を出た。
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