貧乏くじを引いた残念な元カレ
「な、なんで傷害事件なんかになったの?」
「詳しくは言えないんだけどさ。明日の新聞にも載ると思うんだけど、時任建設のお嬢さんの不倫疑惑が一気に表面化して、妊娠を理由に無理矢理結婚をさせられた誠司くんが自分で色々調べたらしくて。どうやら子供の父親が違っていたっていう話で、拗れたみたい」
「あ…本当だったんだ」
「ほら、時任さくらってモデルエージェントに登録してるって話したじゃない?そこで知り合った外人モデルのえっと、モーリスなんとかっていうのと一夜限りのアバンチュールを楽しんだらしいのね。まあ、一夜どころじゃ無かったみたいなんだけど、そのモデルに妊娠を伝えたら逃げられたらしくて、当時二股かけてた誠司くんとの子だって嘘をついたって話」
「うわぁ…度胸あるわぁ」
「ただ、きちんと調べない限り、どっちの子なのかわからないってのもあるんだけどね。二股かけてたと思ったら掛けられてた方だもんね。自業自得だけど、災難だわ。あいつも」
一人の相手でも辟易していた私と、あっちもこっちも手を出していた彼女。セックスってそんなにいいものなのだろうか。
「で、自分は親じゃ無いし、自分以外の男に股を開いた女なんか妻にできない!と離婚を迫ったらしいの」
「え〜、自分はあちこちで腰振ってるくせに」
「だから自業自得なんだってば。それで、父親である時任信夫が出てきて、離婚するならお前の将来を台無しにするぞみたいな脅しをかけられて、逃亡生活に入ったわけ。多分その時にゆかりに助けを求めに来たんだと思うのよ」
「うひゃぁ…やっぱり匿ってくれ、だったのね」
「でも、職場にも戻れず、実家にも帰れずで、お金は底を尽くし、
なんだか、とんでもないところまで発展していたみたいだ。殺人を考えるほど追い詰められていたのか。
「それは、なんというか。災難だった…っていうべきなのかな」
「ただね、誠司くんから実は書類が私宛に届いてるのよ」
「書類?」
「うん、これについてはちょっと人権侵害とか色々入ってくるから言えないんだけど、時任って裏で色々やってるみたいで、その娘もちょっとイっちゃてるみたいでね」
「えっ」
「おかしな行動とってるみたいで、これは警察に証拠品として渡すかどうか、ボスに確認とってるところ。まあゆかりには関係ないことだから、いーんだけど。もし警察とか誰か知らない人に聞かれても知らぬ存ぜぬで通してね」
「えぇ。ちょっと怖いこと言わないでよ…」
なんというか後味が悪く、誠司くんはどちらかというと被害者な気がしないでもない。でもナイフを持ち出したのは間違っていたし、最初から裁判なりどこかで相談するなりしていたら違っていたかもしれないのに。
「人生って、どこでどう変わるかわかんないものね」
「またそういう悟ったこというし」
「いや、だって。びっくりだよ」
「まあ、快感を求めるのもほどほどにしないとね、ってことよね」
「やっぱりそこに収まるんだよねぇ」
私がしみじみそういうと、まあこの話はこれで終わり!と鹿子が話題を変えた。
「ともかくさ!今日ゆかりに電話したのは他でもない!誕生日おめでとう!」
「えっ?あれっ?今日私の誕生日だった?」
「そうだよっ!忘れたい気持ちもわからないでもないけど!20代最後の年、楽しみなさいよ」
「
「あっ訛った!」
「しまった。危ない危ない。標準語、標準語」
「フハハ。そこまで隠しゃんだっちゃよかとに」
「やめて!ダメダメ!仕事に響くんだから!」
「校正って言葉使い関係ないじゃない?」
「あるのよ!私には重要なのよ」
「よくわかんないわ〜。私は職業柄、標準語絶対だけどさ」
私が標準語にこだわるのは、訳がある。中学を卒業して、都会の高校に入った時から決めていたことだった。一つには、訛りが強くて何を言っているのかわからない、と教室で言われた時。二つ目は、翻訳のバイトをしていた時にうっかり方便が出て、相手先に「?」な顔をされた時。三つ目が極め付け、今の仕事に着いた時に「標準語を心がけて」と上司に嫌な顔をされた時。
「方言のどこが悪かとばい!」と怒り心頭ではあったが、それならば完璧に標準語を使ってやる!と心に決めたのだ。それ以来、方言でバカにされたり笑われたりすることはない。そもそも標準語なんて教科書用語であって、どの地方にも少なからずの方言はあるのだけど。きっと、フランス人が国内で英語を話す人を毛嫌いするような感じなのだろう、と無理矢理自分を納得させた。
「兎にも角にも。ありがとう、鹿子。水面ゆかり29歳、今年を精一杯生き抜きます」
◇◇◇
次の日の朝、「気まぐれ貴族」でコーヒーを飲みながら備え付けの新聞を調べたら、小さな記事ではあったものの、写真付きで誠司くんの傷害事件について書かれてあった。
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14日未明、失踪事件として捜索中だった時任誠司(28)が突然、買い物帰りの妊娠中の妻を後ろから引っ張り倒し、刃物で切りつけケガをさせたとして現行犯で逮捕された。二人は離婚話が拗れ、妊娠中の子供の親権を巡って争っていた模様。
警察によると、妻である時任さくら(20)の妊娠中の子は自分の子ではないという夫に対し、妻の父親である時任信夫(56)から脅しを受けたため、追い詰められた夫が犯行に及んだということだった。逮捕された夫は、無理矢理婿養子にさせられ、監禁されていたと供述しており、事実関係を調べている。
取り調べに対し、かすり傷を負った妻は「父親は彼に間違いない」などと話し、不貞を否認している。警察は、引き続き経緯や事実関係などを詳しく調べている。
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私は新聞をたたみ直して、コーヒーを啜った。本日のコーヒーはエクアドル産の豆らしい。コクがあってまったりしている。
「産まれたらきっとすぐ分かるだろうに」
事実は隠しても隠しきれないものである。誠司くんは生粋の日本人だし、モデルの男は外人だと聞いたし。DNA検査とかしたら一発なのに、時任信夫が噛んでいるから圧力かけられてるとか、そんなこともあるのだろうか。
「あれ?そういえば、安定期に入ったって言ってから何ヶ月過ぎたかしら…?」
象じゃあるまいし、何ヶ月妊娠してるつもりかしら。
……まさかとは思うけど、妊娠偽装してない?
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ちなみにゾウの妊娠期間は22ヶ月(約2年)だそうです。
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