人生なんてそんなもの
億といる人口の中で、一人の人生において巡り会えるパートナーの数は異常に少ない。まあ確かに、中には恋多き男女もいて次々と出会う人もいるから、こればかりは人格や環境もあるのだろうけど。
当然、私にも喜怒哀楽はある。いい本に巡り会えて喜んだり、映画を見て感動に泣き咽ぶ事だってあるし、理不尽な扱いに怒ってやけ酒を飲んで、愚痴をこぼす事だってたまにある。ただそれが他人と関わる事になると、途端に客観的になってしまう。第3者の目で物事を捉えて、傍観する。
これはほとんど職業病と言ってもいい。
私は校正者だ。他人が書いた作品を客観的に読み、文法や誤字脱字、間違いを指摘し直していく。作者や主人公に感情移入をしてはいけない。そんな作業を10年も続ければ癖にもなる。心理学的にもああいえばこうなる、という過程を先読みするきらいもある。
だから恋に溺れる人や、他人に振り回されて人生を棒に振る人の話を聞くと、呆れることの方が多い。友人に言わせれば、私はまだ本当の恋をしていないらしいけど。アラサー近くなっても知らないのなら一生恋を知らないかもしれない。
誠司くん――元彼が体を無性に求めるのは、征服欲が強いからだと思う。思い通りにならない私を、体力的・性的にねじ伏せてマウントを取りたい。などという風に決めつけてしまう私もよくないのだろうけど、その通りにしか見えないのだから仕方がない。
理性を外して性に溺れる人間のなんと醜いことよ、とまるで尼僧のような考え方で悟ってしまうのだ。親友の
セックスも気持ちがいいと思うより先に嫌悪感が立ってしまうし、痛くて全然楽しくない。しかも一方的に受け入れる方に負担がかかる。結婚前に誤って子供でもできて仕舞えば、淫乱だ、売女だと罵られ、堕ろせば人でなしだと後ろ指を刺される。それで子供ができなくなって仕舞えばそれ見たことかだの、石女だのと厭われる。世間だって女性に優しくはないのに、男性の方は「避妊しなかったのか、馬鹿なやつ」で許されて、さっさと次へと進んでいく。ふざけた世の中だと思う。
スーパーで地団駄を踏んでお菓子が欲しいと駄々をこね、泣き叫ぶ子供を鬱陶しくみるように、セックスさせろと叫ぶ誠司くんを同じ目で見てしまう。
「全然好きじゃなかったってことかな」
ま、そんな女に時間を費やすより、ちゃんと愛してくれる女性と一緒になった方が誠司くんのためにもなるのだと思う。お互い若くないんだしね。その受付のなんとかちゃんとうまくいくことを祈る。
◇◇◇
その後、誠司くんはパッタリと連絡をたった。最初の一週間くらいはいつまた突入して「仲直りしよう!」と言ってくるかと身構えていたが、一ヶ月を過ぎて、いつしか私の生活は誠司くんのいない生活を受け入れ通常運転に戻っていった。
違うといえば、一人の時間が増えたことと、部屋でだらしない格好をすることが増えたことぐらいだろうか。彼は約束をしていなくても突然性欲が湧いてうちに来ることがあったため、うっかりキャミソールで寛いでいてはそのまま襲われる事になる。そのため警戒して肌はしっかり隠し、風呂上がりでもブラをつけフルカバーのショーツを履いて、もっさい格好をして性欲を削ぐ涙ぐましい努力をしていた。
「そこまでするならとっとと別れておくべきだった」
今更ながらそんな事に気がつくわけだが、面倒な荒波を立てるのを無意識に避けていたのかも知れない。
お風呂から上がり、キャミソール姿で部屋でくつろげる開放感を感じながら、冷蔵庫を開けると、誠司くんの好きだったピルスナーが一本残っていた。
「これだけは好みが合ったな」
私はビールはあまり好きではなく、唯一飲めるのがピルスナーだ。ツイストトップの蓋を開けてゴクゴクと喉を鳴らす。こうなるとつまみが欲しいところだ。
そういえばここ最近、仕事に追われて忙しかったのと、別れて開放感を感じるあまり外食続きだったのとが合わさって、作り置きもしていなかった。そろそろ保存食も切れそうだ。仕方なく冷凍庫から枝豆を出して、ゆがく。
「きんぴら食べたいな…。あと素揚げの塩手羽も」
残念ながら今夜は材料がない。今度の休みは食材確保に走って、一日中思う存分作りだめしようっと。
◇◇◇
それから三ヶ月、私はすっかり誠司くんのことは忘れていたのだけど、親友の
「えっ、もう結婚したの?」
「そう、時任建設のお嬢様を孕ませたらしいよ。で、速攻で婿入りになったらしいわ」
「時任建設?受付のなんとかちゃんと付き合うって三、四ヶ月くらい前に別れたばかりなのに」
「あ〜やっぱり!別れたなら別れたって早く連絡してよ、もう。気ぃ使っちゃったじゃないの。でも、ってことは、ゆかりと二股かけてたって事ね。だって時任建設のお嬢さん、もう安定期に入ってるらしいし」
「うわ。なんだ。誠実な人だと思ってたけど、違ったのね…騙されたわ」
「ふふっ。感情こもってなーい。自分の元彼の話でしょうが」
「だよねえ。にしても
「ジャーナリストですから!でもさ、そのお嬢さんも親御さんにずっと隠し通していて、もう堕ろせないってとこまで来てからバラしたらしいから、19歳にしては計算高いよね。誠司くんも青天の霹靂だったんじゃない?」
「え、まだ10代?」
「そう、誠司くんの会社の入ってたビルが時任建設の所有するビルで、そこで受付やってた子らしいのよ。お母さんがフランス人のハーフらしくて、お嬢さんはすっごい美人でモデルエージェントにも登録していたみたいだし。まあ、誠司くんは逆玉の輿ってやつ?」
「へえ〜」
なんだか芸能界の話みたいで、一般庶民の私にはゴシップとしか思えなかった。まあ、しがない出版社の校正者の私と結婚するよりは、よっぽど良かったのだろうとは思う。誠司くんも顔はいい方だったし、態度も爽やかで好感が持てるタイプだったから時任建設の経営者の後継(?)としても……きっと優秀にこなせるのだろうと思いたい。
「もったいないことしたな、とか思わない?」
「私が?なんで?」
「いや、だってさ。誠司くんって割とイケメンだったでしょ?収入もいいし」
「そうだね。いい人だったよ。性欲を除いてはね」
「ああ、うん。そこに行き違いがあると大きいわな」
「うん。会うたびにシたいって言われるともう、ダメで」
「ゆかりはいいセックスに恵まれてないもんねえ」
「っていうかさ、もうセックスはいいですってかんじ?」
「ええっ?そんな喪女発言!」
「一人でもいいやって思っちゃうし」
「え、それはひとりエッチの話?」
「いやいやいや。パートナーの話。あはは」
「え〜、ゆかりはちゃんと磨けば美人なんだから、諦めちゃダメだよ!そこで枯れないで!」
「ちゃんと磨けばって、笑える」
それから一人エッチの話で盛り上がって、真夜中を過ぎたあたりで電話を切った。
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