引っ越してきた隣人
あれ以来、事件の経過については全くわからない。子供は産まれたのだろうか。無事離婚できたのか、罪人になってしまった誠司くんをそのまま婿養子にしておくのか、飼い殺しにして軟禁しておくのか。
ま、私が関与すべきことではないのだけど。鹿子にも誠司くんにはもう関わらない方がいいと念を押されたし。
そんなこんなで、ようやく通常の生活に戻ったこともあって、今週末は
大きな買い物袋を抱えて帰ってくると、どうやら一号室に引っ越してくる人がいたようで、大きな男三人がわいわい言いながら家具を運び入れていた。
「あ、こんにちは!騒がしくてすみません!」
大きなソファをやっとこさ玄関へ押し込むのをぼんやりと眺め、そそくさと通り過ぎようとすると、声をかけられた。
「あ、いえ」
私がビクッと肩をすくめ振り返ると、爽やかな笑顔を振りまいた青年がペコリと頭を下げた。
「安城拓郎って言います。今日引っ越してきました」
「
「あっじゃあ、お隣同士ですね。よろしくお願いします!」
「あ、はい」
安城さんはそう言ってまた部屋の中に入っていく。中では友人たちなのだろうか、お手伝いの人たちにソファはこっち、タンスはそこにと指示を出していた。一人暮らしなのだろうか。騒がしくなりそうだな、とぼんやり考えて私は自分の部屋へ向かった。
さて、とっとと料理に取り掛かろう。気を取り直して、時間のかかりそうなものから取り組んでいく。まずはもち米を洗って、ザルにあげておく。きりたんぽを作り置きするためだ。小腹が空いた時にきりたんぽを甘味噌で食べると腹持ちが良くて、私の定番常備食になっているのだが、誠司くんは米よりパン派だったから、和食はあまり好きでなくて、ネトネトして嫌いというせいで、彼がいない時にしか食べられなかった一品だ。これからは心置きなく食べれると思うと自然に頬が緩む。
筑前煮やひじき豆も誠司くんは嫌いだった。筍の食感が嫌とか、ひじきは歯に挟まるから嫌だとか。肉じゃがを作れば、お袋の肉じゃがが一番うまいとか、隠し味の辛子はいらないとか。唐揚げは嫌いで、手羽先は名古屋風の甘辛しかダメだとか。ロールキャベツはトマト煮込みじゃなきゃ嫌だとか。私はあっさりコンソメ派なのに我慢してきた。
「今頃監獄のまずいご飯食べてるのかな」
監獄に入った事はないので、テレビで見るように本当にご飯がまずいのかどうかは知らんけど。誠司くんの言った一言一言を思い出しては文句を言いながら、ひじき豆を大量に作り、もち米を炊いて、きりたんぽ用の竹串を水に浸しておいて、筑前煮をくつくつと煮込んでいく。
数時間経って、夕方になってもお隣ではまだ家具を動かしているのか、片付ける音が時折壁に響いてくる。コンクリートの家なので、声は聞こえないものの、流石に引越しの時は仕方がない。男の人が三人掛かりで家具を運んでいたのだから、お腹も空いているかもしれないし、ちょっとおにぎりでも差し入れしたほうがいいのかな。
「いやでも、全くの他人に差し入れってのもおかしいよね」
近隣のおじいちゃんやおばあちゃんは、食べ物のお裾分けを喜んでくれるけど、若い男の人だと変に誤解されても嫌だし。
うーん、と考えていると、玄関先で鈴木さんの声がした。どうやら早速安城さんに自己紹介をしているらしい。何かと世話焼きの鈴木さんは、このアパートの主で三十年以上ここに住んでいる古株だ。「何人も送り出した」というけど、どこへ送り出したのだろう。私が生まれるより前からここに住んでいるのかと考えると奥が深い。
「ゆ
ピンポン、ピンポンと3回ほどベルを鳴らし、どんどんとドアを叩きながら、鈴木さんが私を呼んだ。鈴木さんは秋田訛りがあるのですぐわかる。
「はいはい、鈴木さん聞こえてるよ。どうしたの?」
自分の耳が少し遠いのでいつも大声で話すから、どこにいても聞こえてしまう。笑える。
ドアを開けると、鈴木さんがにこやかにビールの缶を手に持って「はい、これ差し入れ」と手渡してきた。
「差し入れって、お引っ越しはお隣さんだよ」
「
「ええ?ありがとう。それじゃ、後できりたんぽお裾分けするね」
「
「ええ、嬉しい。じゃ奮発して胡麻豆腐の田楽も持っていこうかな?」
「ありがだぇわ!あれは酒すすむがらね」
最初にきりたんぽの作り方を教えてくれたのは鈴木さんだったのだ。五平餅?と思ったらきりたんぽだったのだけど、鍋に入れても美味しいし、甘辛醤油や胡麻味噌で食べても美味しいので私の定番になった。鈴木さんは作り方は次世代に伝授したから、もう自分では作りたくないと言い張っていた。いいけどね。
「そいだば、今夜は末松さんも呼んで飲み会するべが?あ、お隣のイケメンぐんもどう?」
話の途中で、玄関から出て隣の部屋にまで突入していった鈴木さんを見て、私は目を丸くした。女は度胸ってやつなのか、鈴木さんだからなのか。イケメンなんて言葉を知っていた地点でハイカラなおばあちゃんだと思う。
「ありがたいっす!もうお腹ぺこぺこなんで!」
「おい、俊介!図々しいぞ、お前!」
「え、飲み会?俺も一緒していいですか?」
お手伝いの人たちなのだろう、俊介と呼ばれた人が先に返事をして、止めたのが安城さんで、便乗したのがもう一人のお手伝いさん。イケメンって言われて否定してないし。よく言われるんだろうな。
鈴木さんは「もぢろんだよ!飲み会でなぐて歓迎会だね」と豪快に笑った。
「ていうわげだんて、ゆがりぢゃんばおつまみ頼んでもえ?」
まあ、そういうことになるんですよね。
こてんと首を傾げる鈴木さんに苦笑する。あざと可愛いおばあちゃんだ。
「適当に見繕いますけど、嫌いなものとかありますか?」
仕方がないので、私も顔を出して、安城さんたちに声をかけた。それに気がついたお手伝いのイケメンズがパッと顔を輝かせ、なんでも食べます!と歯を見せた。
「俺、田中俊介って言います!拓郎の親友ってやつです!よろしく、お姉さん!」
「俺はタクの兄の隆一です。弟が世話になります」
お兄さんと友人さんだったか。お姉さんって呼ばれたということは、少なくとも私は年上に見られてるってことかな。いや、年上なんだろうけど。だって安城さん(弟)も田中さんも肌がぴちぴち瑞々しい。お兄さんはきっと同い年と言ったところかな。そんなとこで歳を感じるってあたり、老けたわと思う。
「和食になりますけど。後おつまみぐらいで」
「和食!ばっちこいっす!コンビニで買えるものでよければ持っていきますけど」
「ああ、いえ。たくさん作るんで大丈夫だと思います。まあ、足りなければ後で買いに行ってもいいし。ひとまずお引っ越し頑張ってください」
三人は照れ臭そうに笑って、それじゃ楽しみにしてます、と言ってまた作業に取り掛かっていった。
「一人ぐれぁ好みなのいねぁの?」
鈴木さんがこそっと私に耳打ちをしてしてニヤリと笑った。
お見合いババアめ。私は苦笑いをして誤魔化した。
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秋田弁、頑張って変換しましたが、間違ってたらごめんなさい。
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