第20話 マトリックス・レルム

「〘マトリックス・レルム〙……それが他の5機にはない、儂がルシャナークにのみ、そのコクピットに搭載した機能じゃ」



 高取山、地下シェルター。


 その医務室のベッドに負傷した体を横たえる老科学者タケウチ・サカキが傍らの椅子に座る妻オミナに、アキラのために作った機体ルシャナークに秘めたシステムのことを話していた。


 本人の希望とはいえ、ルシャナークに乗って戦場へ向かったアキラを心配する妻に、少しでも気休めになるようにと。


 科学者ではないオミナは素朴な疑問を返した。



「それで強くなるのかい?」


「ああ。機体じゃなく、パイロットがの。1/fエフぶんのいちゆらぎを持つピンクノイズを不可聴領域の音で聞かせて、パイロットの脳波を周波数9から12ヘルツのミッドアルファ波に誘導──」


「専門用語はなるべく使わずに」


「あっ、ハイ……ええと、戦闘の邪魔にならんよう耳には聞こえない音で心を落ちつかせる音楽を流して、聞こえてなくてもその振動で、パイロットをリラックスさせるんじゃ」


「戦闘中にリラックス?」


「ぼーっとしとるワケじゃない、むしろ余計な緊張が取れることで高い集中力を発揮する。なにかに没頭している状態じゃ」


「ああ、それは分かるね」


「その集中の極限領域〔ゾーン〕に入ると潜在能力が引きだされ超人的なパフォーマンスを発揮できる」


「超人的って……具体的には?」


「分かりやすい例を言うと、感覚が研ぎすまされて時間の流れが遅く感じるようになる。野球なら、剛速球でもゆっくり見える。それなら反応して打てるじゃろ?」


「なるほど。そりゃ便利だ」


「マトリックス・レルムはそのゾーンに入りやすくする装置じゃ。オフィスでBGM流して従業員の集中力を高めるのの、現代科学でできる限りの超高効率バージョンて感じかの」


「それで機体ではなくパイロットを。分かったよ。いくら機体が強くても乗ってる人間の自慢にゃならない。アンタはあの子自身をヒーローにしてやりたかったんだね」


「ああ。あの子の好きなロボットアニメの主人公のような、の」



 サカキはふと目を閉じた。



「ブランクラフトのような搭乗式ロボットが実現する前から、人はそれをフィクションの中で夢想していた。その中には、乗れば無力な子供でもヒーローになれるものもある」


「現実に作られたロボットは、そこまで都合よくないね」


「そう、現実にはまだなかった、そんなロボットを目指して儂はルシャナークを作った。それでアキラに成功体験をさせてやりたかったんじゃ。自力ではなにも勝ちとったことがないと思っておる、あの子に」







 敵機の中にカグヤはいない、だから撃っても大丈夫と気づき、ルシャナークの胸ライオンから熱核獅子吼砲アトミックサンダーを撃って1機を倒した直後、アキラは異変に気づいた。


 白黒にあせた視界の中、全てが遅く見える。


 撃つ直前からアキラはゾーンに入っていた。


 限界まで張りつめた精神がふと緩んだことが鍵となり、本人は知らないがコクピットに搭載されたマトリックス・レルムの補助もあり、ゾーンの扉が開いた。


 不思議には思ったが気にはならなかった。ゾーンではそのような雑念は取りはらわれ、ただ目の前の戦いに集中した。


 敵、天女型ブランクラフト〘イーニー〙数機からのレーザーの嵐をかいくぐる。自機の左腕喪失によるバランス悪化のハンデも乗りこえて。直前までは絶対に不可能だったが今はできた。


 だが初めてではない。


 それはアキラがブランクラフトのシミュレーションゲーム〘こうそうへいアーカディアン〙の最低難易度のイージーモードをやりこんで身につけた技だった。


 それは無駄な努力のはずだった。


 あらゆる動きが現実の戦闘より遅くなるイージーモードでの腕前は、現実と同じ速さのリアルモードや、さっきまでの現実の戦闘では全く発揮できなかった。


 アキラの動体視力は実戦のスピードについていけず、またそのことへの焦りによって判断力も低下するから。


 だがゾーンに入って敵機がイージー以上に遅くなると落ちついて対処でき、イージー限定だった技を遺憾なく発揮できた。


 だけではない。


 イージーと違い、弾丸やレーザーはスローモーションの世界でもなお見てからでは回避できないほど速い。だが、それを回避する練習をアキラはカグヤに指導されて積んでいた。


 まだイージーの1つ上のノーマルでしか通用せず、さっきまでは役に立っていなかったが。今は敵機の動きから発射のタイミングを見極め、その直前に射線上から退避できている。


 達人の戦いかたが機械によって脳にインプットされたわけではない。元々アキラの中にあった、自身が培ったものの表出できていなかったものが、ゾーンによって解放されたのだ。



 ズガァン‼



 アキラは攻撃をアクロバットな機動でよけながら反撃し、自らに襲いかかってきたイーニー全機を撃墜した。その後は連邦軍機〘心神シンシン〙各機と交戦している他のイーニーらに襲いかかる。



 ズガァン‼


(ああ……!)



 苦戦している心神らを援護しつつ、次々とイーニーを撃墜していく度、えも言われぬ快感が体中を駆けめぐった。これが勝利の美酒。初めて味わった。


 殺人が楽しいわけではない。


 戦争の中とはいえ人命を奪う行為を、どんな形であれ受けいれる気構えなど、まだアキラにはできていない。


 今は単に〔撃墜した機体のパイロットが死んでいる〕という認識が頭から抜けていた。ゾーンがそれを〔集中を乱す余分な思考〕として排除したから。



「うわぁぁぁぁ‼」



 悲鳴を上げたある帝国軍パイロットがイーニーを駆り、機体が持つビームサーベルを突きださせた。狙うはルシャナークの腹部、コクピット。


 このころにはもう、カグヤの要請を受けた帝国艦隊司令官から〝金色の機体のコクピットを潰すな〟との命令が出ていたが、自分が死なないためには手加減している余裕などなかった。



 ハジィッ‼



 ルシャナークは残っている右手に持つ武器をレーザーガンポッドからビームサーベルに持ちかえ、イーニーのサーベルを難なく受けた。そして弾きとばし返す刀でイーニーの腹部を両断した。


 それが最後の1機。


 この空域に展開していた帝国軍ブランクラフト隊は全滅した。全周モニター上の識別マーカーでそれを確認したところで、アキラの意識はぷっつり途切れた。

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