第14話 雨宮信生の独白(3)
三年生になる前の春休み、清美が大学生になる直前のことです。
仲間のうちで清美と同学年の人全員の進路が決まった後、遊びに行きました。メンバーは清美と僕、南曇先輩、白水先輩、服部先輩、それに後輩の峰拓哉でした。その帰り道、清美と白水先輩と南曇先輩は近畿の大学なので三人で気軽に遊べるという話になりました。清美もその話に参加していました。USJに行ってみたいと嬉しそうに言っていました。他の二人も次々と遊び場所の候補をあげていました。話に参加できない僕は清美を眺めていました。清美は段々と相槌だけになり、表情も曖昧になっていきました。
「清美、どうした?」
南曇先輩が変化に気付いてしまった時、清美は笑みを取り繕おうとしました。しかし、きゅっと口を結んで僕らを見つめました。空気から陽気が失われる程に冷たい沈黙がありました。
「何だよ」
南曇先輩は半笑いで問いかけました。清美は一度瞬きして、ほんの一瞬目を眇めました。
「別に大したことじゃねえんだけどさ」
清美はそう話し始めました。僕らはそれが嘘であることは分かってしまいました。
「俺、本当は別のとこ行くんじゃ」
「何処だよ」
南曇先輩が反射的に問いました。清美が返したのは近畿以外の場所でした。
――つまりは、清美は僕らに嘘を吐いていたということです。
それも最低でも数か月もの間も。嘘が吐けない性格だと誰もが思っていましたのに。誰も疑わない程に演技してみせたのです。そして、恐らくは、更に四年間は芝居を続ける気でいたのです。
ぞっとしました。先程の近畿での生活を楽しみにしていた清美と目の前の清美が同じ人間だとは思えませんでした。
けれど、これはまだ序盤でした。
「何でだよ」
南曇先輩は鋭く言いました。そして、不機嫌そうに唇を弄りました。
清美は口ごもってから、痛々しいまでに明るい声を出しました。
「親父と仲悪いけん、この機会にちょっと家出して頭冷やそうってだけ。まあ、伯父さんに協力してもらっとるけん、家出とも言えんかもしれんな」
あは、と清美が短く笑いました。清美以外は笑えませんでした。清美と父親は仲が良い筈だからです。二人が相棒のように親しげにやり取りしているのを誰もが見たことがあったのです。
僕の前では二年、南曇先輩らの前では三年以上、清美は演じきっていたのです。
僕や他の人間から家族の愚痴を聞きながら何も言わなかったのです。それどころか、大変じゃね、と返していたのです。家出を実行する程に父親に追い詰められていたのに。
清美は仲間に対して弱音も吐かず、助けも求めなかったのです。
しんと静まる僕らに清美は笑いながら言葉を続けます。
「あいつああ見えて目敏いけん、秘密じゃよ」
清美はしーっと唇の前に指を立てました。戯画的な動きは劇を思わせました。
今思えば、この時、清美は嘘を吐いていなかったのでしょう。三年かかった劇に幕を下ろしていたのでしょう。
でも、当時の僕はそうは思えませんでした。清美はまだ舞台の上にいて、そして僕らの知らない台本通りに動いているようにしか見えませんでした。
唯一光が当てられた場所で、暗闇に混じる客席の僕らを群体として等しく相手している。心の裡を楽屋に隠し、客を虚構に引き込む。
――清美は、僕らと同じ場所にはいない。
――清美は、僕らに本心を見せない。
――清美は、僕らを信じていない。
残酷な事実に僕は動けませんでした。他の人もきっと同じでした。南曇先輩も言葉を失っていました。清美は笑みを困惑で崩していました。その反応さえも白々しく感じました。
「了解! んだよ、もっと早く言えよ。組み立て家具買って手伝わそうと思っとったのによー。俺の明るい一人暮らし計画がパアじゃねえか」
白水先輩がその言葉で空気を換えました。わざとらしく肩を竦めながらトレンディドラマのような言い方をしていました。
清美が安堵して白水先輩の調子に合わせました。
「ああいうのって一人で何とかできるようになっとるじゃろ」
「そりゃあお前みたいな手先が器用なゴリラはいけるだろうけどなあ。俺みたいなひ弱な現代っ子にゃ無理!」
そうだ、と南曇先輩が強引にテンションを上げました。
「俺も無理! 何だよー。寮出たらでっけえ本棚買おうとしてたのによ。ああ、もう、八つ橋奢るけん、来いよな」
清美がやったと小さく万歳してみせませた。いつもと変りない反応でした。それも演技に見えました。これまでもずっと演技だったと告げているような気もしました。
はしゃいでみても拭い切れない居心地の悪さがしました。服部先輩も同じことを思っていたのでしょうか、普段口数の少ないクールな彼女が珍しく茶目っ気のある動作で清美の肩に手を置きました。
「私の所にもおいでんよ。関西行くのにそう変わらんやろ。ロフトベッドでも組み立ててくれたら、奢ってあげるわい」
服部先輩が清美の耳に口を寄せました。モデルでもやってそうな見た目の彼女がやると、劇臭さが増しました。
「ザギンのシースー」
清美と彼女の目線が絡み合って、示し合わせたように同じタイミングが声を上げて笑いました。自分が座っているような錯覚が起きました。
油谷先輩と拓哉が騒がしく手を上げて、舞台に乱入しました。
「俺がやる! 奢られてえ! 高い寿司!」
「オッサン年上じゃけん、遠慮してくださいよ! 俺がやります! 中トロ百貫分働いてみせますよ!」
拓哉の言葉からオークションのように僕以外の皆が名乗りを上げました。それから、寿司の話になり、清美の話には戻りませんでした。僕は空気について行けず、一人客席で皆を眺めていました。
家に帰った頃には疲労が凄く、ご飯も食べずに眠りました。体は重く、何処までもベッドに沈んでいくような感覚がしました。
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