第9話 雨宮信生の回想(4)
――嘘吐き。
頭に浮かんだ三文字が上手く音に出来ませんでした。息が詰まって頭がぐらぐらとしてきました。妙な沈黙の中、僕はただ立ち竦みました。清美は唇をへの字に曲げて僕を見つめていました。白水先輩は拳をつくり、僕らを見ていました。しかし、暫くして舌打ちをしました。
「ちゃんと吐けよ! お前が無理しているの見ると苛々すんだよ! だいったい、俺らとお前の立場逆だったら、同じような反応すんだろうが」
清美がぐっと歯を食いしばったのを見ました。白水先輩は続け様に言葉を浴びせました。
「何であいつになされるがままなんだよ。何であいつを庇うんよ。あいつ、お前を傷つけたいだけだろ? 仲良かったが何だか知らねえけど、嫌い言うてたけん、もう友達でも何でもねえだろ?」
「別に庇ってねえよ」
清美が鋭く白水先輩を睨みました。白水先輩の頬が紅潮し、唇がわなと震えました。
「庇ってねえ訳ねえだろ。お前にとってあいつは何なんだよ。何でそこまですんだよ」
「……しつこいわ。俺の問題じゃけん、俺がええ言うたらええじゃろ。分からんか?」
その声はヒステリックに空気を弾けさせました。白水先輩はそれに煽られたらしく、清美の腕を乱暴に掴みました。清美は軽く腕を振って、白水先輩から逃げました。白水先輩がその手を拳にし、舌打ちを響かせました。
「分かんねえよ。でも、そういう態度ってことはマジで何かあるってことだろ」
「何かあって欲しいだけじゃろ」
白水先輩がまた舌打ちをしました。そして、品定めするような目を清美に向けた後、ああ、と意地悪な笑みを浮かべました。
「あいつに弱み握られとんのか。父親がヤクザだってこと、父親と同じ道を行かされること」
白水先輩はこれ見よがしに指を折って数えて見せました。
「そのことであいつの前で泣いたこと。これだけあったんだもんなあ。他にもあるんだろ。俺らにも言えなかったような弱みがよ」
は、と清美は気が抜けたような声を出しました。白水先輩は怒りと嘲りが混ざった顔で挑発を続けました。非道な行為だと思いましたが、清美さんが素直になるためには必要なことだと理解できました。だから、僕は黙って聞いていました。
「大方、噂が本当だったってパターンだろ。親がヤクザってことみたいにさ。相当言われてたもんなあ、お前。何だっけ。少年院行ってたとか、病院送りにしたとか、人殺したとか」
清美が二回瞬きをしました。青白い月光が血の気のない顔を際立たせていました。
「本気で言っとんの?」
「全部嘘だと思ってたよ、今までは。お前も否定してたもんな。火のない所に煙は立たぬって嘘じゃよねーとか何とかさあ。信じてたのが馬鹿みてえに思えるんよ。ほうじゃけん、今は噂を信じてみたくなるわいね。どれが本当なん?」
「あれで全部じゃ! そうじゃなきゃキレんわ!」
突然の怒声でした。一瞬で清美さんの顔に朱がさしました。壁が壊れたような爽快感がありました。白水先輩が嬉しそうに目を細めました。
「焦っとんのか? 怪しいわい」
「あんた性格悪いわ! 言って良いこと悪いことの区別つかんのか!」
「人の親がヤクザとか言う奴嫌じゃよーとか言っとったのに親がヤクザな人に言われたくねえなあ! 事実じゃん! ただ事実言われてただけじゃん!」
「事実でも言っちゃいけんことってあるじゃろが!」
「豊一くんもしましたあ!」
「ほうじゃけん、無視したいんじゃ!」
その一言に、白水先輩は目を丸くしました。ぽかんと開いた口からは音が出てきませんでした。僕も頭が真っ白になりました。同時にじんわりと安心感が胸に広がっていきました。
清美が唸り、足元にあった石をがりがりと踏み潰しました。視線はそちらへと向けられました。
「……言いたなかったんじゃがね。長い付き合いだったけん、どう対処すればええかは分かっとんのよ」
何だよ、と白水先輩が呟きました。体から力が抜けているように見えました。僕はその逆でざらつくような心地に緊張を覚えました。
「お前、あいつに怒ってるんじゃないか。最高の嫌がらせの仕方が分かるってことだろ?」
「そりゃ怒るよ。言わんといてねって約束したこと全部言われたけん」
でも、と清美が言葉を続けました。踏まれた石がまた耳障りな音を立てました。
「それだけ。それしかねえよ。嫌がらせしたいとは思っとらんよ」
兎に角、と清美が踏んでいた石を転がしました。彼の目は僕らを捉えていました。たったそれだけのことで不快感が吹き飛びました。
「あんたらはあいつに関わらんこと! それが俺には一番ありがたいんじゃ! 優大、分かった?」
白水先輩は肩をすくめ、わざとらしく溜息を吐きました。
「分ーかーりーまーしーたー。……お前、複雑にできてるよなあ」
そう言いながら、ぐらぐらと体を揺らしました。清美はむくれてその肩を小突きました。白水先輩は大袈裟に飛びのき、清美に向かって短い笑い声を上げました。清美がべえっと舌を出しました。それは高校の時を思い出させるやり取りでした。だから、突然白水先輩が僕を見て、釣られるように清美も顔を向けたのは驚きました。
「心配だよな、信ちゃんがなあ」
白水先輩が笑い猫のような表情で、僕と清美を視線で繋ぎました。清美は短い相槌を打ち、僕に近づきました。そして、腰を折って僕に目線を合わせました。
「信生も分かってくれるよな?」
「分かってます……」
白水先輩がブーイングをとばしました。それがやけに耳障りで、変に煽られました。
「分かっていますよ。本当に。清美のために動いてみせます」
清美さんは眉を下げ、苦笑いを浮かべました。そして、僕の頭を撫でました。
「そういうのいらんから。豊一に積極的にいかんでええだけじゃけん、変に気負わんでええよ」
僕が頷くと、清美さんが唸って首を傾げました。白水先輩が彼の真似をしました。居心地の悪さを感じて唇を噛みました。すると、清美が両頬を摘まんできました。
「何で使命帯びたような顔してんのじゃ」
それな、と白水先輩が僕を両手で指さしました。不思議そうに瞬いた清美の双眸に僕だけが映っていました。恥ずかしくなって顔を背けようとすると、彼の指に唇が触れました。余計に心臓の鼓動が早くなり、俯きました。
「ちゃんと理解してます。あの人には関わりません」
僕の言葉に清美はまだ不満気でした。暫く見つめられました。その後、頬を指先で弄ばれました。伝わる体温の熱さがまだ肌寒い夜には気持ちが良かったです。皮膚が厚い指の感触に体の感覚があやふやになっていきました。力が入らず、手が離された時にこけそうになりました。清美が腕を引っ張って支えてくれました。そして、僕に悪戯っぽい笑みを向けました。
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