第3話 南曇正美との会話
あの日に夢で見たような青空のもと、南曇が働くパン屋に向かっていた。
彼女に会おうとするのは簡単な理由だった。清美が失踪する寸前に連絡をとっていただろう高校の友達の中には彼女がいただろうから。それに、清美の取り巻きの中では彼女がまだ話しやすそうな方だったから。
パン屋に入り、レジにいた彼女がすぐ目に止まった。相変わらずの金髪は肩まで伸び、前髪はボンパドールにしている。エプロンの下のブラウスの襟には可愛らしい刺繍がされていた。女らしくなった彼女に驚きと哀れみを感じた。それを顔に出さないように話しかける。
「清美の居場所を教えてほしいの」
彼女が目を眇める。そうするとより一層強面に見えた。
「誰だよ、てめえはよ」
乱暴な口振りに圧倒される。反応を表に出さないように腹に力を入れた。
「森沢…………」
名前を言いかけて名字に嫌悪感を覚えた。
「……中田姫子。清美の幼馴染なの」
言い直すと、彼女が舌打ちをした。
「ヒメコ? てめえがねえ」
そこまで言って彼女は首を回した。そして、腕をくんだ。青い目を鋭く私に向けた。
「じゃあ教えられねえわい」
「どうして?」
反射的な私の問に彼女は舌打ちした。
「分かんねえの? 知らねえの? どっちなんよ……」
自問自答のようにも聞こえた。彼女が眉をひそめて目をそらす。それですぐに納得が言った。
考えてみれば当然のことだ。彼女が清美の隣を陣取っていたのも、二人きりで出かけるようにしていたのも、たった一つの思いがあったからに他ならない筈だ。
なるべく攻撃的にならないように、彼女に告げる。
「あなたは清美のことを好いているのね」
彼女はこきんと首を傾げた。そして、瞬く。
「何が言いたい? はっきりせえ」
「何って、片思いしてるんでしょう? だから、女の私に教えてくれないのよね?」
「俺が清美に、なんだ、ああ」
ぷっと彼女は吹き出した。
「恋愛感情を持ってる、と」
彼女はひっと甲高い音を出した。そして、レジスターの横をばしばしと叩き、げらげらと笑い出した。
「ねえわい!」
呼吸困難の真っ赤な顔が私に向けられた。私の背骨が凍りつく。
「無理無理無理! 想像もできねえ! 何でそうなんの? しかも今更! アホなん? バカなん? えぇ? ねえだろ?」
何だか試されてるように感じた。彼女を睨みつける。
「清美ほど素敵な人もいないでしょ? あなたも分かってるよね?」
「ステキ? 具体的に言えや」
ひーっと彼女が引き笑いを起こす。不快だ。
「男らしい体格で」
「女とは間違えられねえなあ。それが?」
「かっこいいでしょ? 鼻だって高いし、ほりも深くて」
「俺から見ればどうってこたねえけん、魅力ではねえぞ」
彼女が日本人離れした自分の鼻筋をなぞって見せた。この人は何がしたいのだろう。
「じゃあ、表情? 人懐っこい笑顔がいいわ」
「てめえの説明は抽象的だなあ。まあよく笑うよな? 笑いの沸点がひっくいけん、げらげらしとるイメージはある。でも、あいつキレるとマジ怖えぞ? 思い出せよ、基本強面だぜ」
「私は彼を怒らせたことはないわ」
「へぇえ? あの短気を? ははあん、ほおー。すげえな」
彼女は自分の後ろにあったサーバーからコーヒーを入れ出した。そして、にたにたしながらコーヒーを飲み出した。喧嘩が絶えない、という噂は本当なのかもしれない。
「……あなたが清美を怒らせていただけよね。勿論私だって怒っている所は見たことあるわ。向けられたことがないだけよ」
私の方が大切にされてた証拠ね、という言葉は飲み込む。彼女がへへと不快な笑い声を上げた。
「まあその話は置いとこうぜえ。中身はどうなんよ? 俺を惚れされる奴の中身ってのはよお」
「優しいでしょう」
「具体的に言えよ」
「困っていたらすぐ手伝ってくれるわ」
「俺はそういうの嫌だったわい。道徳に縛られたお人好しって感じでさあ、見てらんねえの。損な生き方してんだよな」
要領はいいくせに、と彼女がカップで口元を隠して目線を一瞬落した。独占欲が滲み出た表情に見えた。
「あなたは知らないのかもしれないけど、彼は平和主義なのよ。言葉だってきつくないし、いつも柔和で」
「誰だよ、そいつはよ」
彼女は言葉を遮って、舌打ちをした。空のコーヒーカップを机に打ち付けるようにして置いた。そして、上を向いて細く長い息を吐いた。
「分かった」
そう呟いて、彼女は私を睨みつける。不思議と敵意は感じなかった。何故か憐憫が含まれているように思えた。
「俺にはてめえと清美を取り持てねえ。色恋沙汰とは別の理由でな」
そういう意味で好きでもねえし、と彼女が鼻で笑う。
「……どうして私たちの邪魔をするの?」
私の声は存外震えていた。彼女の瞳は私を見据えたまま動かなかった。
「てめえの邪魔がしたい訳じゃねえわい。ただ、友人として、あいつには……」
彼女が言葉を詰まらせる。眉間に皺がよるのを見ると、言葉を探しているようだった。
「俺はさ、あいつがまた此処に戻ってきた時に心の底から笑えるようにしてやりたいんよ。そう思っとるけん、なるべく平穏を保ってやらないかん。その、てめえに協力したらな、てめえにその気がなくてもな、此処が、あいつの故郷が……嫌な意味を持ってしまうかもしれん」
それが嫌だ、と彼女が静かに続けた。瞬間、苛立ちを覚えた。献身的な言葉で隠していても、結局は清美を自分の支配下に置きたいだけじゃないか。清美が自分を選ぶことがないから、彼の幸福を考えているふりをして私を牽制したいだけじゃないか。
私の顔に怒りが表れていたのか、彼女は唇を一度噛んで睨んだ。
「理解できないよな。でも、知ってはいてくれよ。俺だけじゃねえ、高校の頃にあいつと仲良かった奴は全員似たような考えの筈だ。誰もてめえに協力できねえわい」
――それは、あなたの友達はあなたに従うってだけでしょう。
そんな言葉が胸のうちに渦巻く。言ってしまえば彼女は攻撃的になると予測できたから、口には出さなかった。何にせよ、彼女の息がかかった不良たちと渡り合う強さなんて私にはない。私は聞き分けの良い振りをしてみせた。
彼女は曖昧に視線をそらし、別れの言葉を口にした。本心が見透かされているような気がした。気づかれないように足早に店を出た。
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