決行の日

 マリー達が帰って来たのは、夕方頃だった。

 クリエは飛び出した時の泣き顔は、嘘のように笑顔で戻った。

 プラムとマリーと手を繋いで、一気に面倒見の良い姉を2人手に入れたようだ。


「ヒトゥリお兄さん! フィアの事よろしくね!」


 クリエはそれだけ言って自分の家に戻って行った。

 よろしく、か。


「守れって事よ。分かってなさそうだから言うけど」


「失礼だな。それぐらい分かる。俺が考えてたのは、その願いを聞き入れるべきなのかどうかだ」


 自室に戻り1人物思いにふけっていると、マリーに話しかけられた。

 俺の返した答えに、マリーはよく分からないという顔をしてみせた。


「……俺はフィアと約束した。タイタンベアを狩るのを手伝うと。でも、直接の手助けはしないとも、約束してる。タイタンベアを狩るのは、あいつにとって親に捧げる聖戦だからだ」


「私にはやっぱり分からないわ。そういうの。勝つためなら、大人の力でも借りるべきよ。その戦いが両親の仇討で、帰りを待っている幼馴染の女の子がいるなら、なおさらね」


「分からなくて結構だ。今のあいつに手を貸したって、あいつのためにはならない。自分の力で乗り越えなくてはいけない試練なんだよ」


「そうは言っても、クリエちゃんの事を考えなさいよ。あの子だって両親を失ってるのよ。その上、帰ってくるって信じてる幼馴染の男の子まで失ったら、どうなるでしょうね」


 心の傷が広がるか……。

 そうは言ってもクリエの心を守る為に、フィアを手助けしたって、今度はフィアの心が満たされない。

 俺はどうすればいいんだ。


「そう難しく考えなくてもいいのよ。私が貴方と聖の戦いの時にしてた事を思い出せばいいわ」


「……ん? 見てただけだったが?」


「叩くわよ。貴方が怪我した後、私が何をしてあげたか覚えてないの?」


 怪我をした後?

 聖を倒したから、顔を合わすのも気まずくて森に歩いて行って……。


「ああ、あの回復薬の事か? それでも、まだ俺には何が言いたいのか分からないんだが」


「要するに直接じゃない手助けなら、許されるのよ。支援だったり、事後処理だったりね」


「そういうもんかね」


 考えておくか。

 直接じゃない手助けで、もしもの時フィアの命を守れるような方法。

 

「それはそうと、結局クリエはどうなったんだ? 気持ちの整理はついたようだったけど」


「ああ、それね。あのプラムって子、やり手ね。本当は狩りに行ってほしくないとか、一緒に冒険に出てほしいとか、クリエちゃんが内に秘めてた感情全部曝け出させたのよ」


 それであんな風に元気になったのか。

 まあ吹っ切れられたのなら、それでいいだろう。

 ……ああ、確かにクリエが救われたこの状況から、フィアが失敗なんてしたら目も当てられないな。

 

 俺はマリーに少し集中しなければいけない事を伝えて、机に向かった。

 死地に向かうフィアのために、成否は別にして生還するための手向けをやらないとな。

 この日俺は久しぶりに徹夜をした。

 昇る朝日がまぶしく、体を流れる血がすばらしく濃くなっている。

 それでも、悪い気分じゃない。

 今日は走るにはいい日だ。



「おはよう。行こう」


 合流した直後に、出発。

 ここ数日はバリスタを運ぶための準備で、出発するにも時間が掛かっていた。

 初めて共に狩りに出た日のように、ほとんど言葉を交わさないまま、俺達は山への道に足を踏み出した。


 1つ目の罠には獣が掛かっていた。

 フィアがナイフで息の根を止めてやる。

 俺はそれを後ろから眺めていた。

 そろそろ俺はここを離れなくてはならない。

 だが、何と言おう。

 ソリティアからは情報が漏れないように、不必要な場合は誰にも計画の事を話さないように言われている。

 考えながら突っ立っていると、フィアから呼びかけられた。


「ヒトゥリさん。手伝って、血を抜くから」


 そう言われて、俺は現実に戻り、獣の足を掴んで持ち上げた。

 こうすれば、血は良く流れる。

 しかしさっさと血を抜いてこの場を離れないと、タイタンベアが血の匂いを嗅ぎつけてやってくる。

 慎重に、かつ素早く行わなければならない作業だ……。


「えい」


 やけにあっさりとした声と共に、フィアのナイフが振るわれる。

 獣の内から公園の噴水のように、血が飛び上がり撒き散らされる。

 幸い俺にもフィアにも降り掛かる事はなかったが、これではタイタンベアがやってきてしまう。


「何をしてるんだ! 今すぐこの場を離れないと……」


「そうだね。いってらっしゃい」


 焦る俺にフィアは極めて冷静に対応した。

 勢いが衰え、滴り落ちる血をすくい上げ、赤い頬を更に赤く塗り上げる。

 フィアの匂いが血の匂いに染まっていく。


「知ってるのか? 俺が、何をするのか」


「外に助けを呼びに行くんでしょ。ぼくは狩人。皆の様子がおかしい事くらい見ていたら分かるよ」


 なるほど、それは分かった。

 狩人としての観察眼は人にも効くんだな。

 だが、なぜこいつは獣の血を自分に振りかける。

 これじゃあ、タイタンベアがどこまでも追ってくる……まさか!


「お前、今日1人でアレを仕留める気か!?」


 思わず声を荒げた俺に、フィアは血化粧を終えたばかりの顔で笑ってみせた。


「うん。やるなら今日しかない」


「今日しかって、なんで今日なんだ。村が解放されてからでも、遅くはないだろ」


「ヒトゥリさんに言われてから考えたんだ。ぼくがしたい事」


 急に何の話を始めるんだ。

 俺はフィアを今すぐ、ここから離れさせようとしたができなかった。

 フィアの顔は覚悟を決め、憂いを無くした男の顔だったからだ。

 俺にできる事はフィアの話を聞く事なのだと、理解できた。


「ぼく、タイタンベアを狩ったらクリエにこ、告白しようと思うんだ!」


「告白!? それはどうして」


 俺が想定していた答えとは、外れていたので思わず聞き返してしまう。

 フィアはそれを気にしていないようで、クリエとの思い出を語り始めた。


「父さんや母さんがいなくなってから、ぼくは1人きりになったんだ。あの時はただタイタンベアが憎かったから、声を掛けてくれた人も追い払ってたから。そんな時でもクリエは諦めずにぼくに話しかけてくれた。暖かくなってきたら一緒に外でご飯を食べてくれたし、陽の熱い日には川遊びに、葉が枯れる頃には収穫祭りの日に、寒い雪の日にはあの広い家で一人きりのぼくに、家で一緒に年の終わりを祝おうって誘ってくれた」


 フィアの口から語られる思い出は、どれも温かかった。

 孤独だったフィアが、山に消えない様に引き留めていたのは、今までタイタンベアに挑まなかったのはクリエの存在があったからだ。

 未練。

 想いを告げようとしても、できずにこれまで足踏みしてきた事への未練が、フィアをこの時まで引き留めていた。


「でも、いつまでも立ち止まってちゃダメなんだ。後数年すればクリエはこの村から出て行ける歳になる。その日ギリギリまで引き延ばしてちゃダメだ。もう時間がないから、なんて理由で立ち向かっちゃいけない。タイタンベアにも、この想いにも。それは今日なんだ。今日じゃないと勇気は出せないから」


 フィアの目は執着から、挑戦へと変わっていた。

 もうフィアの目標はタイタンベアではなくなった。

 その先にある、新しい生活がフィアの目標だ。

 親の仇、自然保護。

 フィアはこれで自分の過去と義務を清算できる。


「先へ進むんだな。それじゃあ俺からは1つ餞別だ」


 アミュレットを取り出して、差し出す。

 昨晩徹夜して作った、『竜人化ドラゴンスケイル』のアミュレット。


「これ、魔道具? ぼくは自分の力で……」


「分かってる。だからこれは、1度だけ。お前の命を守る自動発動の魔道具。俺の大人としての責任が、お前の覚悟に対して最大限できる譲歩だ」


「ヒトゥリさんの顔も立てろって事か。うん、じゃあ受け取る」


 フィアの手に落とされたアミュレットは、首から下げられた。

 命に係わる攻撃を受けたら、自動的に竜の鱗がフィアを守ってくれる。

 

 フィアの首にアミュレットが収まった直後、タイタンベアの咆哮が山に響いた。

 血の匂いを嗅ぎつけたか。


「フィア。……一人前になってこいよ」


「そっちこそ。村の人達の命運が掛かってるんだから、しっかりして」


 差し出した手が、フィアの手に弾かれる。

 それと同時に、俺とフィアは反対方向に走った。

 山を駆け下り、遠くにコルク村と、どこまでも続くような丘陵が見えた。

 背後の山で雄叫びが聞こえる。

 獣人族に特有の、獣のような雄叫びだ。


 陽はすでに昇っている。

 急がなければ。

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