外伝:執事の葛藤

 俺は、アルベルトは、それから王国に逃げ込んだ。

 田舎から飛び出してきた少年アルベルト・ローレンスは、商会の下働きを始めてやがて前商会長――ソリティア様の御父上様からの個人的な信頼を得て執事になった。

 

 執事としての務めは主を支える事だ。

 そして私の過去はフィランジェット家にも汚点になる。

 だから誰にも私の存在を気取られないように、目立たないようにしていた。

 必要以上に出しゃばらず、名乗らず、話しかけず。

 いつも微笑で不愛想に、主に何の提言もせず。

 有能も無能も装う事はなく、ただ主人の言いつけだけを守ってきた。

 今の仕事に誇りを持ち、過去はもう遠く離れた記憶の中だけだと思っていた。


 だが、主人が事故で亡くなり、あの日幹部の男が街中で私を呼び止めた時に平穏は破られた。

 私の人相を示した皇国発行の手配書、私の魔力印の刻まれた暗殺者の証……。

 差し出された幾つかの証拠は、俺が元皇国の暗殺者である事を示していた。


「驚いたかね? これを王に提出すればどうなると思うね? アルベルト君……いや、皇国の暗殺者レナート君!」


 額に手を当て大笑いする男を前に、私は後ろ手にナイフを構えた。

 仕事は久々だが――やれる。

 こうした話をするからには、この男も人の居ない場所を選んでいるはず。

 そして辺りに仲間を連れている様子もない。

 まずは喉を拳で潰し、あの笑い声を消す。

 それから心臓を何度か刺して、後は金品を持ち逃げすれば強盗に襲われたようにしか見えないだろう。


「おっと……私を殺すのはやめておいた方がいい。その後ろに隠したナイフも下したまえよ」


 額に当てた掌の隙間からこちらを覗き、男が言った。


「何のことでしょう? 私は何もしようとはしていませんが。それにその……貴方の出した物についても覚えはありません。恐らく似た容姿の人物が皇国にいるのでしょう。よくある事ではありませんか?」


「とぼけるのはやめてくれよ、レナート! 容姿はそれで言い訳がつくだろうが、魔力はそうもいかない。これは誤魔化しの利かない証拠だからな! それに、とぼけてこの場を切り抜けて、後で私から証拠を奪っても無意味だ。私が死んだり失踪したら仲間に渡したもう1つの証拠を提出するように契約したからな!」


 幹部の男を睨み、ナイフをしまう。

 落ち着け。

 何も言わずに提出しなかったという事は、この男にも俺に何かやらせたい事があるはずだ。


「隠しておく条件は何だ。早く言え」


「おっと。それが君の本性か、随分と野蛮なんだな」


 苛立って吐き捨てるように言うと、男はおどけて怯えた素振りを見せた。

 そうして、俺に自分の計画を話して実行するように言った。


「そんな事……できるわけないだろう! ソリティア様を裏切り、あまつさえプラムお嬢様を誘拐しろなどと!」


「まあまあ落ち着きなさいレナート君。確かに主人に忠実な君にとって、裏切りは辛いものかもしれないね。だがそれは見せかけの裏切りだよ」


「どういう事だ?」


 俺が聞き返すと、葉巻に火を着けもったいぶって答えた。


「彼女達を安全な世界に身を置かせるのさ。権力争いを続けている以上は危険からは逃れられない。いつの日か唐突な事故で死んでしまうかもしれない。彼女達の両親のようにね?」


 ニヤニヤと、勝ち誇ったような気色の悪い笑いを見た時に私は確信した。


「あの事故はやはり貴様がやったのか!」


 男の襟元を掴み壁に押し付ける。

 口に咥えられていた葉巻が俺の腕を焦がし、落ちていく。

 

 以前から不審に思っていた。

 ソリティア様が賊に襲われた日と同時に起こった事故。

 ソリティア様がドラゴンに出会わず、プラム様も用事が無ければ、一家全員が死亡していた。

 そんな事故が重なるなんてあり得るのかと、疑いはしたのものの、相手が相手なだけに疑う事しかできなかった。

 怒りに任せたままに睨みつけると、感情を籠めず笑い、こちらを見る男の顔が目に入る。


「勘違いしないでくれよ。誰もそうは言っていないだろう? 私がやれと言ったわけではない」


 男は私に首元を抑えられたままだというのに、落ち着いていた。

 目に慈悲を持ち、相手の事を思う誠意を滲ませこちらをまっすぐに見据えている。

 それに気押されて、少し力を抑えると、男は私の手をゆっくりと降ろさせ、服に着いた埃を払った。

 服装を正した男はゆっくりと話し出した。


「だがね、アルベルト君。この世界は恐ろしい物で、1つの権力争いが終われば、また次の争いが始まる。この商売の世界に身を置いている限りは、その危険や恐怖からは逃れられない。私はそうやって生きてきたし、その恐ろしさを知っている……」


 男の話を聞いて、私は自分の過去を思い出した。

 人を暗殺し、そして次の暗殺を命じられる。

 幾ら殺してもキリがない。

 こうもこの世界には殺さなければいけない相手がいるのかと。


「アルベルト君。君はあの仲の良い姉妹を、その道に進ませてしまって本当に良いのかい? これから先、例えば商売相手ができた時。商売相手が誠意のある信頼できる者だとしよう。しかし、その部下が君の様に主に忠実な男であれば、もしかすると、主の害になると判断して殺してしまうかもね」


 私がこの街に来た当初。

 商売を知らなかった頃、私は何度か言う事を聞かない商売相手を痛めつけようとして、怒られていた。

 商売相手の部下に、私のような人間がいたら?

 あり得ないと断ずる事はできない。

 何より昔の私がそうだった。

 そして、私にはそういった手合いから主を守る自信はない。

 なぜなら既に、私は主を守れず失っている。

 一度犯した失敗を二度も犯さないなんて保証はない。

 ならば私は……。



 それから私は男の指示に従い、ギルドに出勤途中のプラムお嬢様を誘拐し、フィランジェット家の館に男から渡された脅迫状を送り届けた。


「アルベルト! 急いでお金を用意して!」


「はい、かしこまりました。……一体何に使われるのですか?」


「聞かないで。どうしても必要なのよ……」


 そうして震え涙をたたえて館を飛び出すソリティア様を見送った。

 こみ上げる後悔の念に、これで良かったと言い聞かせる度に、耐えきれない自らへの失望が体中を満たした。


 しばらくして帰ってきたソリティア様は騎士団長と警備隊長、そして以前プラム様が連れてきていた魔工師のヒトゥリと一緒だった。

 何か予想外の出来事が起きたのかと心配になったが、ソリティア様はこの館の使用人の誰にも誘拐の事を話をしなかったので、私には何が起きたのか知る由もなかった。


 そしてソリティア様方が会議を行っている最中に、あの男から呼び出しがあり、私はそこで「誘拐を行った者達を殺し、全ての証拠を破棄しろ」と命令を受けた。

 

 実行しに向かうと、そこで警備隊長とヒトゥリが彼らの拠点を制圧している所を見た。


「なぜ、あいつらには話したのですか……?」


 無意識に口から出た言葉に驚き、辺りを見回すが誰もいない。

 誰にも私の独り言を聞かれた様子がなく、安堵すると同時に自分に失望した。

 

 主人を裏切っておいて、一体何を期待している?

 ソリティア様が私に相談し、助力を求める事を期待していたのか?

 相変わらず自分に都合の良い物の考え方をする男だな、私は。

 そもそも暗殺者や執事が主人に期待などするな、所詮は私は今も昔も使われる物なのだから。

 

 考えをやめ、彼らの後をつけ、彼らが気絶させた悪党に止めをさし、証拠となり得る物は全て回収した。

 最後に危うく2人に顔を見られかけたが、何とか脱出し、館に帰った。

 

 これでもう、ソリティア様もプラム様も策謀に巻き込まれるような事は無くなる。

 そう考えて、館を歩いているとソリティア様に呼び止められた。


「何処へ行っていたの? アルベルト!」


「ソリティア様。申し訳ありません。少し急用が……」


「いえ、そんな事はいいわ。それよりもアルベルト、今起きている事について事情を話すから聞いて」


 ソリティア様が心底安心したような様子で語り、それを聞き、そこで私は初めてあの男が何をしているのか知った。

 

 私がした事は、主人の為を思い見せかけの裏切りだと自分を騙し行動していた事は全て、本当の裏切りだった。

 ソリティア様を死の危険に晒し、プラム様に消えようのない恐怖を植え付けてしまった。

 

 気付けば、もうお客様が帰るようで私は玄関で見送りをしていた。

 最後に残ったお客様は徒歩だというので、彼が帰るのを待っていると、何故か彼はこちらへと歩いてきた。

 「何かお忘れですか?」と声を掛けようとしたところで、彼の手が私の肩へと置かれた。


「それはそうと、お前……名前も知らないが、忠告だ。後悔するような選択はもうするなよ」


 この男は気付いている。

 私が犯した罪の事を。


「それは……どういう意味でしょう」


 緊張を顔に出さないように、やっとの思いで言葉を絞り出すと、彼は何も言わずに立ち去った。

 いつ私がやったとバレた?

 あの暗殺の時、顔を見られたのか?


 ……いや、そんな事はどうでもいい。

 

「後悔するような選択……か」


 今回の事件を通して理解した。

 ソリティア様は私が身を案ずるような弱い方ではない。

 私が出会った頃の、幼く泣いていたお嬢様とは、もう違うのだ。

 自分や家族に危機が迫っても泣かずに立ち向かえる。

 もはや立派なフィランジェット家の当主だ。

 ならば私がする事は1つ。


「ソリティア様、プラム様。お話がございます」


 ソリティア様達はソリティア様の自室にいた。

 今日起きた出来事について、お互い話し合い無事を確かめ合っているようだった。


「あら、どうしたのアルベルト。何か……」


 私を見て微笑むソリティア様をこれ以上見ないように、私は机に証拠を置いた。

 幹部の男が、悪党達に誘拐と身代金要求を依頼した契約書。 


「これがどうしてここに、もしかして貴方が……いえ、分かったわ」


「これ、私を誘拐するように頼んだ契約書? やった! これで、犯人を追い詰められるね! お姉ちゃん!」


 プラム様にはこれがただ幹部の男を追い詰めるのに役立つ物にしか見えなかったようだが、ソリティア様には分かったようだった。

 そう、これは警備隊長とヒトゥリが悪党の拠点に入った時に現れたローブの男が持ち去った証拠。

 それを私が持っている事、そして館から急に姿を消した事。

 これでソリティア様には伝わってしまうのだ。

 目の前にいる忠実な執事こそが、幹部の男にそそのかされて主を裏切った男だと。


「アルベルト、話しなさい。何があったのかを、全て」

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