外伝:暗殺者の罪

 俺は暗殺者だった。

 連邦との戦争で両親を亡くした俺は、幸運にも皇国の直営孤児院に拾われ、教育を受けた。

 ただその教育は一般の物とかけ離れていた。

 組織への侵入、他人へのなりすまし、痕跡の消し方、一息に生物の命を絶つ技。

 俺が教わったそれらはすなわち暗殺術と呼ばれる代物だった。


「た、助けてくれ! そ、そうだ君はまだ若い! こちら側に着けばしっかりとした教育と衣食住を保証しよう! だから私をこ、殺さない――」


「静かにしてよ。人が来ちゃうでしょ」


「――でッ」


 ナイフを首に突き立てて、曲線に沿ってくるっと回す。

 そうすれば、鈍い音を立てて床にボールが落ちる。

 ナイフに着いた血を布で拭ってしまう。

 これが俺が殺した証拠になる。


「指揮官殿! 何か叫び声のような物が聞こえましたが、どうかされましたか?」


 背にした扉の向こうから、この男の部下の心配する声がする。

 くるりと振り返って扉を見つめ、準備をする。

 そうしてガチャリとドアノブに触れた音がした瞬間。


「入るなッ!! ……すまない。少年が少し、暴れたものでね。気にしなくていい。下がりたまえ」


 先ほど死んだはず男の声が、扉の向こうに向けて発せられた。

 慌ててドアノブから手を離し、直立する部下の気配を感じて、念の為構えていたナイフを下げる。


「そ、そうでしたか。指揮官殿、お楽しみの所失礼いたしました。どうかごゆっくり!」


 部下が扉に前から離れていく足音を確認し、ため息をつく。


「んんっ! あー、あー。……声を変えるのってやっぱり慣れないね。次は大声上げられる前にやらないと。改善しないとね」


 そう呟いて、窓を開けて飛び降りる。

 吹き込んだ風のせいで書類が飛び散ったようだけど、今日でこことおさらばする俺には関係のない事だ。

 そんな事より早く帰らないと、次の仕事が俺を待っているんだから。



 それは国に拾われ人を殺し始めて数年経ち、両親を亡くした喪失感から無心で仕事をし続けていたある日の事だった。

 日数をかけた連邦要人の暗殺を終えて逃げ帰っている時、人などいないはずの山奥で荒い呼吸と鼓動を感じ、立ち止まった。

 草木をかき分けて気配の元を辿ってみれば、自分と同じ歳程の少年が倒れているのを見つけた。

 少年は俺に気付くと、俺に血の滴る手を伸ばして、こちらに目を向けた。

 しかし、その目は濁り、俺を映してはいなかった。


「目も見えなくなっている……魔物にでも襲われた?」


 話しかけたわけではなかった。

 腹を食い破られた少年にそれに応える程の余力は残されていないように見えたし、そもそも暗殺者は無駄に言葉を交わすような事はしない。

 

「誰か、そこにいるの?」


 だから、少年に声を掛けられた時には驚いて何も言えなかった。

 しかし少年にとっては俺の息を呑む音で十分だったようで、口角を上げて息を漏らして語り続けた。


「ああ……良かった。誰かいるんですね。お願いがあります」


 少年は俺に向けた手を開いた。

 「助けろ」とでも言うのだろうか、もしくは「殺してくれ」か。

 俺に殺されると気づいた奴らは皆そんな反応だったな。

 そう考えた時思わず笑みがこぼれていた。

 だから思わず俺は彼に近づいて、地に膝をつけ寄り添った。

 

 「助けろ」と言われたら最大限手当てをして、ゆっくり死ぬのを眺めて居よう。

 「殺してくれ」と言われたらナイフを喉に突き刺して、ひと思いに殺してやろう。

 どちらにせよこいつは助からない。

 せめて最後の望みくらいは叶えてやろうじゃないか?

 そう考えて少年の荒い呼吸の中から紡ぎ出される言葉を待った。


「手を、握ってくれませんか」


「……悪いけど、もっとはっきり言ってくれる? 風の音で聞き取れないよ」


 少年の言葉が小さすぎたせいで、俺が聞き間違えたのだと思った。

 だって、こんな所で手を握ってほしいだなんて言うはずがないんだ。

 聞き逃さないように、少年の口元に耳を近づけた。


「手を、握って、下さい。せっかく村から出たばかりなのに、こんな所で、1人で、死にたく、ない。せめて……誰かに僕の死を、知ってほしい」


 少年の声はもうかすれていて聞き取り難かった。

 だけど、言っている事ははっきり分かった。

 死んでいる所を見ていてほしい、だ。

 それに何の意味があるかは分からなかった。


 それでも俺は少年の手を握った。

 最後の望みを叶えると決めてしまったからには、そうせざるを得なかった。

 俺の手が少年の手を支えるように持ち上げると、少年は安らいだ顔になって呟いた。


「ありがとう、ございます」

 

 少年の安らかな顔と、血にまみれた手を眺めていると、いつの間にか少年の荒い呼吸が聞こえなくなっている事に気付いた。


「死んだのか」


 冷たくなった手を俺の手から引き剥がして、少年の胸に添えてやった。


 漠然と、両親が死んだ時の事を思い出した。

 戦場で戦っていた父親の死体は見つからなくて、後方支援をしていた母親の死体だけが葬式の場にあった。

 死に顔を眺めていると、近所に住んでいたおばさんが、俺に最後の別れを告げる様に促していた。

 だけど俺はあの時受け入れられなくて、葬式の場から逃げ出した。

 ひとしきり走って帰ってきた時にはもう、母親はいなくて、代わりに国の人間だと名乗るおじさんが俺の事を待っていた。

 そうして俺は暗殺者になったんだ。


 今日殺した要人は、死んで当然の奴だと教えられた。

 連邦は人の心なんて持ってないし、俺の両親を殺した奴らだから、死んで当然だ。

 俺もそう思ってた。

 死ぬ奴にはそれなりの理由があると思っていた。

 でも、じゃあなんでこの少年は死ななくてはいけなかったんだろう。

 なんで俺の両親は死んでしまったんだろう。

 本当に人が死ぬ理由なんてあるのか?

 じゃあなんで俺は人を殺しているんだ?

 

 もしもあの時両親が死んでいなかったら、ちゃんとお別れができていたら、俺はあの国でこの少年の様な人生で生きていたんだろうか。


 少年の死体に別れを告げて、風の中、俺は少年の荷物を漁って名前を奪った。

 暗殺者のレナートから、アルベルト・ローレンスへ。

 それは自分の意志で初めて犯した罪だった。

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