13話 【side灯依】気になる兄妹


 その日、筑柴つくしば灯依ひよりにとって転機となる特別な出来事が起きた。


「とぉくん、どこーっ!」


 買い物帰りの際に通り掛かったコンビニの前。

 その駐車場の一角で、泣き喚きながら助けを呼ぶ迷子の女の子を見掛けたのだ。

 二つ結びにした茶髪にピンクのワンピースを着ており、一見した体格から三歳か四歳くらいかと推測する。


 少女の声は他の通行人の耳にも入っているはずだが、それらは気付きこそすれど無視する者ばかりだった。

 不意に声を掛けて通報されたくない、その内誰かが助けてくれる、そんなことより優先すべきことがある。

 まるでそんな言い訳から腫れ物を扱うように少女を避け、中には少女の泣き声に煩わしそうな表情を浮かべる心無い者もいる始末だ。


 確かに通報の可能性があるとはいえ、それは決して迷子を放っておいて良い理由にはならない。

 そんな義憤はもちろん、独りぼっちの少女と自身の妹が重なったこともあり、灯依は躊躇うことなく足を運ぶ。


「ね、どうしたの?」

「んっ……」


 膝を曲げて少女と目線を合わせる。

 しかし唐突に話し掛けられた少女は、キュッと口を閉じて警戒心を露わにした。


 知らない人と口を利かないよう、親から注意されているのだろう。

 教えられたことを守ろうと努める姿に、むしろ灯依の中で好感が生まれる。

 とはいえこのまま黙っていては何も解決しない。

 出来るだけ怖がらせないようにと灯依は微笑みながら口を開く。


「私はね、灯依っていうの。こーみえて学校の先生なんだよ」

「せんせー?」

「うん。だから泣いてる子供は放っておけないんだ」


 敵意はないと示すように優しげに語り掛ける。

 敢えて周りの人にも聞こえる声量で自身の職業を明かすことで、周囲からの不信感も出来るだけ削いでおく。


 そうして警戒心が薄れた少女の頭に灯依は手を乗せて撫でる。

 数回擦った後、にっこりと笑みを見せながら彼女は言う。


「あなたの名前を教えてくれる?」

「……かなで」

「かなでちゃん、だね。教えてくれてありがとう。お父さんとはぐれちゃったの?」

「ん~ん。パパじゃなくて、とぉくん」

「とぉくん?」

「かなのおにーちゃん」

「そうなんだ。それじゃお姉ちゃんと一緒に待っていよっか。二人なら寂しくないでしょ?」

「ん! ありがと、ひぉちゃん!」


 すっかり泣き止んだ少女は、年相応の屈託無い笑顔で灯依を呼ぶ。

 その可愛らしさに微笑ましく思いながら、手を繋いで彼女の兄を待つ。


 退屈しないように適度に会話を交えている内に、焦った様子の男性が駆け寄って来た。


 少女と同じ茶髪をセンター分けにしていて、白のTシャツとジーンズというシンプルながら清潔感のある爽やかな装いの青年だ。


「奏!」

「とぉくん!」


 どうやら彼が兄だったようで、奏は手を振って無事を知らせる。

 元気な様子に男性はホッと安堵の表情を見せた。

 一連の光景を見守っていた灯依も安心すると同時に、彼の顔に見覚えがあることに気付く。


(あれ? もしかして久和君、だよね?)


 迷子の少女の兄は、自身が副担任を務めるクラスの生徒──久和くわ澄だったのだ。

 神のイタズラとも思える偶然は、灯依と澄の変わった近所付き合いが始まる切っ掛けとなった。


 ========


 二度目の兄妹の来訪を終え、灯依はソファに座ってココアを飲みながら一人思案していた。


 近所付き合いを通して見知った澄の人柄を一言で表すなら、真面目な頑張り屋と言える。

 普段の授業態度はもちろん、放課後や休日でも高校生ながら家事を一身に担っていることから明らかだ。

 加えて妹の奏が慕う様子からもはや疑いようもない。


 だが果たしてあのままで良いのかという疑念があった。


 久和家では母親は亡くなっており、父親も仕事で家を空けがちだという。

 つまり幼い奏の面倒を看れるのは必然的に兄である澄だけなのだ。

 それはいわゆるヤングケアラーに該当し、昨今の家庭でも度々問題視されている。


 話を聞く限り、強制されたのではなく自発的に行っているらしい。

 ネグレクトに遭ってるワケでは無いと安心した半面、学業と育児に追われる生活が辛くないだろうかという心配が芽生える。


 そう思ってしまうのは澄から時折感じる心の壁のせいだろう。

 彼は距離を取ろうとしたり遠慮する傾向が強いのだ。

 澄は頻りに教師と生徒だからと口にするが、彼女からすれば口実の一つでしかないと予感している。


 最も近い言葉を選ぶなら自分は大丈夫だからと、差し伸べられた手を敢えて避けているようにしか見えないのだ。

 一人で抱え込んで周りに助けを求めない様は、真面目を通り越して寂しさを感じてしまう。


 何も灯依とて教師と生徒という関係を無視するつもりはない。

 しかし近所で……それも隣室で未成年が子育てをしていたという状況を、見知らぬフリなど出来ないと自覚している。

 多少のリスクを負ってでも、兄妹のために出来る限り力を尽くしたいと。


 そのためにもまずは兄妹と仲良くなろうと決めた。

 奏には運良く懐かれており、向こうから会いたいと言ってくれているので半分は成功している。

 ある意味で難関である澄と仲を深めるため、妹から借りた少女漫画を参考に、頭を撫でて労ったり休日限定だが名前で呼び合うようになったりした。


 何度か妙な空気になってしまったが、近所付き合いを始めた頃よりは親睦は深まっていると自負出来る。

 だが一人で考えるには限界がある。


 故に灯依が取った次に手段は……。


「──っていうことなんだけど、どうしたらいい? 奈由なゆ


 妹──筑柴つくしば奈由なゆに相談することだった。

 自分と違い、中学生になってから共学に移った彼女なら何かしらのアドバイスを受けられると踏んだのだ。

 今はスマホで通話して久和兄妹との関係を一通り話し終え、改めて意見を求めるところだった。


『……あのさ、おねぇ。一回整理させて貰って良い?』

「うん? 良いけど……」


 どこか呆れた調子の声に対し、軽く了承する。

 そうしてやや時間をおいて妹から返された言葉がこれだった。


『ウチ、恋愛相談されてるワケじゃないんだよね?』

「恋愛!? 今の話のどこが!?」


 思わぬ返答に灯依は堪らず声を荒げてしまう。

 困惑を隠せない姉に、奈由なゆは『はぁ~』っとあからさまにため息をつきながら再開する。


『おねぇなりに家庭環境が不安な兄妹を支えようって気概は、まぁ分からなくもないよ? ……お兄さんと仲良くなろうとする過程が、もろラブコメチックなのに目を瞑れば』

「あ、相手は生徒だよ!? そんなつもりないもん!」


 心外だと抗議するが、妹は構わずに続ける。


『いやいやお兄さんの立場になって考えてみな~? 教師になった理由を話したのも頭を撫でたのも、連絡先を交換した挙げ句に名前呼びまで、全部彼が初めてなのってあざとい以外のなにもんでもないっしょ』

「うぅ…………」


 つらつらと今までの澄とのやり取りを列挙され、灯依は恥ずかしさから反論出来なくなる。

 改めて思い返してみれば、自分でもかなりあざといと思わざるを得なくなってしまった。


 だが決してそんなつもりはなかったと主張したい。


『まぁ説教はこのくらいにして、要はお兄さんと仲良くある方法を聞きたいってことで良いの?』

「そ、そう! あくまでとしてね!」

『今さらバリバリに意識してお隣さん強調すんのウケる』

「茶化すだけなら切るよ!?」

『そっちから電話掛けといて横暴な……』


 憤慨する灯依をこれ以上刺激しないためにも、奈由は咳払いをして改まって『う~ん』と逡巡の声を漏らす。

 どんな意見が来るのか灯依は耳を傾けて待ち構える。

 やがて奈由が出した結論というのが……。


『とりま、甘やかせば?』

「甘やかす?」


 さも簡単なことのように告げられた答えに、イマイチ納得出来ずにオウム返しする。


『そのお兄さんが何を抱えてるのは分かんないけどさ、お兄さんにとっておねぇは甘えて良い存在だって行動で示すのが近道だと思うよ』

「だから甘やかすってことか。でもそれだけじゃ対症療法というか、根本的な解決にはならない気がするんだけど……具体的にはどうしたら良いの?」

『別に今まで通りでいいっしょ。妹ちゃんの遊び相手になって頭撫でて労るだけでも十分効果ある感じだし。大事なのは続けること、継続は力なりってね』

「そっか……」


 奈由の言い分には確かに一理ある。

 姉が納得した様子を察し、電話越しに欠伸する声が聞こえた。 


『ふわ~あっ』

「あ、夜も遅いのにゴメンね。とりあえずやれるだけやってみるよ」

『ん~。まぁ乗りかかった船だし、また相談してね』

「ふふっ。ありがと」

『いいってことよ。おねぇに気になる男が出来たとか興味しかないし。その肝心の相手がよりにもよって生徒なのはヤバいけど、水は差さずに見守って──』

「はいもう切るよ、おやすみっ!」


 半ば物見遊山するような物言いを遮るべく、灯依は強引に通話を切った。

 決して悪気があるワケでは無いと分かっていても、事ある毎に弄ってくるところはどうしても苦手だ。


 一息ついた後、灯依は澄をどう甘やかすか思案していくのだった。

 

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