12話 また来てね
休日限定とはいえ
逸る鼓動をなんとか落ち着かせたものの、澄の中では未だに動揺が収まらない。
絶対に学校で呼び間違えないようにしようと、固く決心させるには十分過ぎる爆弾だ。
そんな決意を秘めている澄の内心を知らないまま、灯依はふとあることを口にした。
「そういえば呼び方で思い出したんだけれど、どうして奏ちゃんは澄くんをお兄ちゃんじゃなくて『とぉくん』って呼んでるの?」
「あ~そのことッスか」
兄妹の会話を見ていれば、その疑問は懐いて当然かと理解を示す。
澄は一瞬話そうか躊躇うも、灯依が相手ならそこまで噤む必要は無いと割り切る。
何せ……。
「……亡くなった母さんが小さい頃の俺をそう呼んでたって、半年くらい前に父さんが奏に教えたからなんです。そしたらあんな風に呼ぶようになりました」
「! ……そう、なんだ」
「気を悪くさせてすみません」
「ううん。私から聞いたんだから澄くんが謝ることないよ」
澄の謝罪に対して灯依は気にしていないと返す。
「最初は戸惑いましたけど、今じゃ逆にお兄ちゃんって呼ばれる方が違和感あるくらいッス」
「ふふっ仲良しで良いなぁ」
「ひ、灯依さんの妹さんって俺達と同じ学校にいるんですよね? 学校で話したりとかは?」
「外で話し掛けられたら友達に引かれるって妹から注意されてるの。確かに生徒と教師ではあるけど、姉妹なんだから神経質にならなくてもいいのにね」
「あぁ~……なんとなく分かる気がします」
「えぇっ?」
苦笑しながら腑に落ちたように頷く澄に、灯依は裏切られたという風に困惑の声を漏らす。
その友人が件の妹と灯依の関係を知っているかはともかく、いきなり教師が教室にやって来たら少なからず身構えてしまうだろう。
いざ現実となったら普通に気まずそうだと容易に悟れる。
とはいえ灯依も自覚している部分はあるようで、不満そうではあるが話を続けていく。
「まぁちょっと素直じゃないけれど、もし妹と会う機会があったら出来れば仲良くしてくれると安心かな」
「学年が違うんでなんとも言えないんですが……善処します」
帰宅部の澄が一年生と関わる機会は限られているだろうが、灯依の妹であるならば可能性はある方だ。
願わくば周囲に吹聴するような性格ではないことを祈る。
そうして名前呼びの慣らしも兼ねた会話を続けていく内に、時計を見やれば時刻は午後四時を過ぎていた。
あっという間だったなと思いつつ、自宅へ帰るため澄は未だに眠っている奏を揺すって起こす。
「奏、もう帰る時間だぞ」
「んにゅ~……」
灯依の膝枕がよほど寝心地良かったからか、会話中にも目覚めなかった奏はゆっくりと目を擦りながら起き上がった。
寝惚け眼で辺りを見渡し、すぐ傍の灯依に気付くとパァッと笑みを輝かせながら抱き着く。
「ひぉちゃん!」
「わ。あはは、寝起きなのに元気だね」
眠っている間に自宅へ連れ帰られなかったことが嬉しいらしい。
飛び付かれた灯依は驚きこそしたものの、微笑ましい眼差しを浮かべた。
二人を眺める澄も頬の緩みを覚える。
見ていたい気持ちを抑えつつ、澄は奏の肩に手を置く。
「奏、そろそろ帰らないと」
「むぅ……」
奏は至福の時間を邪魔された不満から頬を膨らませる。
しかしそれ以上は何も言わないため、帰るべきだというのは理解しているのだろう。
名残惜しそうに灯依のカーディガンの袖を摘まみつつも、彼女からそっと体を離した。
その様子を見ていた二人は互いに苦笑し、一旦はそのままで玄関まで移動する。
僅か数メートルではあるが、大好きな灯依と歩けた奏の面持ちに少しだけ笑みが浮かぶ。
だが玄関に着いた途端、灯依と別れたくない奏は靴を履こうとせず、ギュッと灯依のスカートを握って精一杯の抵抗を示す。
どうやら直前になって別れたくない気持ちが上回ったらしい。
相変わらず凄まじい懐き具合に、今度はどう説得したモノかと澄が頭を回すより先に、灯依が屈んで奏と目線を合わせる。
喰らい面持ちの奏に対し、灯依は安心させるように優しく微笑みながら言う。
「ね、奏ちゃん。良かったら来週も家に来る?」
「え?」
「! いいの?」
初めて訪れた時とは違う、明確な時期の約束に澄も奏も目を丸くする。
愕然とする兄と対照的に奏は一転して笑みを綻ばせた。
その笑顔に応えるように灯依は首肯してから続ける。
「うん。今日はとっても楽しかったし、奏ちゃんとまた会いたいから」
「ホント!? かなもね、ひぉちゃんとあいたい!」
「ふふっ、一緒だね」
そうして二人は仲良く笑い合う。
澄はそんな彼女達に口を挟めずにいると、灯依から視線を向けられた。
「勝手に約束してゴメンね、澄くん。それで来週の土曜日って大丈夫? 中間考査前の休日に勉強時間減らすことになっちゃったけど……」
「テス勉なら問題無いッス。むしろ謝るのは俺の方ですよ。また奏のワガママを聞いて貰って情けない限りで……」
「そんなこと言わないで。家に一人で引き籠もってるよりも、奏ちゃんと過ごす方が楽しいから気にしてないよ。──もちろん、澄くんもだよ?」
「っ……分かりました」
「よろしい」
そこまで言われては何も言い返せない。
折れた澄からのギブアップを聞き、灯依はたおやかな笑みを湛えながら頷く。
話も一段落したところで、奏は澄と手を繋いで帰宅の用意を済ませた。
「それじゃ二人とも、また来てね」
「うん! ひぉちゃん、バイバイ!」
「ありがとうございました」
灯依の見送りを受けた兄妹はすぐ隣の自宅へと帰った。
ドアを潜ってからようやく澄は無意識の内に張っていた肩の力を抜く。
なんだかんだで三度も灯依の家に遊びに行くことになってしまった。
信頼されているのか無警戒なのか悩ましいが、約束した以上は今さら断れない。
もう少ししっかりしなくてはと自虐していると、奏が円らな瞳で見つめていることに気付く。
「どうした?」
「とぉくん、ひぉちゃんのおうち、たのしかった?」
「えっと……」
投げ掛けられた問いに、一瞬だけ返事に窮してしまう。
自分だけが楽しんでいないか、何かしら我慢を強いていないか不安になったのだろうか。
いずれにせよ、澄としてはどう答えるのは然程問題ではない。
妹の不安を失くさせるように微笑みながら、ギュッと繋いでいる手に小さく力を込める。
「──楽しかったよ」
「! ほんと? とぉくん、げんきになった?」
「元気元気。今日はよく寝れそうだ」
「えへへっ! とぉくんがげんきなら、かなもうれしー!」
兄の返答に満足したようで、奏は満面の笑みを浮かべる。
そんな妹の笑顔に澄もつられて頬が緩む。
考えることは多いが、大事な家族の笑顔を前にすると許してしまいそうになる。
流されやすい己に呆れつつも、台所へ向かって夕食の準備を始めるのだった。
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