26話 父の帰宅
父、
相談も無しに妹を灯依に預けたと知れば、怒鳴られてもおかしくないからだ。
そんな息子の内心を知らない父は、キョロキョロとリビングを見渡す。
「澄、晩飯は?」
「……ゴメン。寝過ごした」
「マジか~。まぁウーバーで頼めば良いか。んで、ラブリーマイエンジェル奏たんはどこだ? 部屋でねんね中か?」
「……奏は、隣の人が預かってる」
「はっ!? なんで!?」
茂道は非常に子煩悩で、女の子の奏に対しては特に溺愛している。
ウザ絡みするせいか奏からは若干ぞんざいに扱われているが、似顔絵をプレゼントするくらいの情はある。
ともあれ大きな愛情を向けている愛娘の不在に茂道は大いに嘆いた。
想定内の質問に澄は顔を逸らしながら口を開く。
「喧嘩、したから……」
「おいおい。そこまでの大喧嘩とか何があったんだよ」
「それは……」
困惑をそのまま問い掛けられた澄は、どう答えたモノかと口籠もった。
喧嘩の経緯を明かすとなれば、必然的に灯依との関係も話すことになるからだ。
大雑把な父でもあれこれ他人に吹聴しないと信頼はしている。
むしろ肉親だからこそ言い辛さが拭えない。
だがいつまでも黙っているワケにもいかず、観念した澄は諸々を白状した。
途中で遅くなった夕食を挟んだ後、話を聞き終えた茂道は情報を整理しようと顎に手を当てる。
眉間にシワを寄せるほど悩ましげな声を唸らせ、やがて呑み込んだ父が顔を上げた。
「すげぇことになってんなオイ。え? 隣の部屋に隠れ美人の先生が住んでて? 奏が異様に懐くわ澄も世話になってるわ、挙げ句に喧嘩の一因になってて……もう凄まじいな」
「自分でも話しててちょっとそう思ったよ」
「まぁとにかくなんだ。ひとまずの状況は分かった」
幾つか疑問を懐いた様子ながらも茂道はそう告げた。
そこから何故だが優しげに微笑み、無造作に澄の頭を撫で始める。
「ちょ、父さん!?」
灯依のそれとは真逆に乱暴な手付きで、頭を揺さぶられる感覚に澄は堪らず振り払う。
「やめろって。いきなりなんだよ」
「悪い悪い。たまには父親らしく息子を労ろうと思ってな」
「急に意味分かんねぇ……」
「そうでもないだろ。さっきまで聞いてた話の中でよ、仕事しか能の無いダメ親父に対する不満が一言も無かったからな」
「……不満なんてあるわけないだろ。父さんが仕事に打ち込んでるのは俺達のためだって分かってるから」
確かに茂道の態度は端から見れば、幼い奏の世話を息子に押し付けたように見えるだろう。
だがそうでなければ澄は育児と学業に加えてバイトもすることになっていたため、父のおかげで妹の世話に専念出来ているのだ。
感謝こそすれど恨むような恩知らずな考えは懐いたことすらない。
そんな息子の言葉に茂道はニヤリと嬉しそうにしながら、けれども悲しみを滲ませた眼差しを浮かべて口を開く。
「そりゃ二人のためでもあるけどよ、大半は美咲希の居なくなった寂しさを紛らわすためだ。仕事してる間は他のことを考えなくて良いからな」
「父さん……」
「一周忌までの話だ、安心しろ。俺にはお前と奏が居る。くよくよしてたらそれこそ天国のアイツが心配して幽霊になっちまう」
「……」
ケロッと笑う茂道に澄は言葉を失くす。
四年前、最愛の妻を亡くした当初の父は普段の明るさが嘘のように消え失せていた。
まるで感情を失った抜け殻のようだったと感じたことがある。
その悲しみを考えないために仕事に没頭したと聞かされても、澄は茂道を責めようとは思わなかった。
むしろ時間を掛けて元の調子を取り戻したばかりか、自分と奏が不自由なく暮らせるように働き続ける志の強さに感謝している。
尤もそこまで口に出すつもりはない澄は、目を伏せながら長い息を吐く。
「父さんに比べたら、俺は情けないな」
「何言ってんだ。澄だって高校生にしてはよくやってんじゃねぇか」
「そうか?」
「おぉ。美人な先生でお隣さんで仲が良いっていうなら、将来は心配要らないだろ」
「おい」
先程までのしっとりとした空気感はどこへやら、ふざけたことを口走る父にツッコミを入れる。
澄からジト目を向けられるものの、茂道はニヤニヤと楽しげな面持ちを崩さない。
灯依の存在を明かした際、やたらと微笑ましそうにしていたと思えばそんな邪推を隠していたらしい。
親の下世話に澄は苛立ちと恥ずかしさから顔を逸らす。
「……灯依さんとはそういうんじゃない」
「名前呼びしてる上に、何回も家にお邪魔してるんだろ? 奏も懐いてるなら親父としても言うことはないぞ」
「聞けよ、問題は山ほどあるだろ。俺と灯依さんは生徒と教師なんだから」
「頭固いなぁ。別に今すぐ付き合えとか結婚しろなんて言ってないし、ちゃんとお前が高校卒業した前提に決まってるだろ」
「うっ……」
茂道に早合点を咎められた澄は苦虫を噛み潰したように顔を歪ませる。
要らない墓穴を掘った自分を責めたい気持ちに駆られるものの、今はそんなことをする暇は無いと首を振った。
一方で父はニヤけ面を浮かべたままだ。
「その反応を見るに、澄も悪く思ってないのが丸わかりだな。いや~息子にも春が来て何よりだわ~」
「ひっぱたくぞ。俺は灯依さんに迷惑掛けたくないから、ちゃんとした距離を保とうとしてるんだよ。何もおかしくない」
「確かにおかしかねぇけどよ。それを奏に押し付けるのは良くないなぁ」
「え?」
グイッと酒を呷りながら告げられた非難に、澄は驚きから目を丸くして父を見やる。
茂道は茫然とする息子の額を空いている手で
「奏は筑柴さんが好きで、向こうも受け入れてくれる。なのにそれを正しくないからって無理に曲げさせようなんて、いくら兄貴に言われてもイヤに決まってるだろ」
「けど早い内に常識を身に付けさせた方良いだろうし……」
「早けりゃ良いってもんでも無いし、そもそも常識なんざ数秒後にまるっきり変わってても不思議じゃない」
「じゃあどうしろっていうんだ」
半ばふて腐れるように聞き返す澄に、茂道は慈しみを帯びた表情を浮かべる。
「大事なのはあの子自身の目で知ることで、俺らが教えるのは道に逸れそうになった時でも遅くねぇよ。過保護なお兄ちゃんだな」
「……過保護とか父さんにだけは言われたくねぇ」
「アッハハハ! こりゃ血筋だな、諦めろ」
せめてもの反論にも大して動揺せず、むしろケラケラと笑い飛ばされてしまう。
やっぱり父に灯依のことを話すべきでは無かったかと軽く後悔しそうな時だった。
「でも頑固なとこは美咲希にそっくりだ」
「母さんに?」
「あぁ。そんで澄。お前、筑柴さんに迷惑がどうの色々と考えてるみたいだけどよ……」
茂道はそこで言葉を区切り、一息置いてから告げる。
「それ、当人とちゃんと話したのか?」
「……え?」
投げ掛けられた問いに、澄は咄嗟に返すことが出来ず呆気にとられた。
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