22話 澄の変化
灯依の家でケーキをご馳走になり、ご褒美として膝枕をされたり手料理を振る舞われた土曜日から二日後の月曜日。
いつものように奏を保育園に送り終えた澄は、昼休みに優成と汐美の三人で集まっていた。
妹の分のついでに作った自作の弁当を食べていると、何やら汐美からジッと見つめられていることに気付く。
「……なんだよ、弁当なら分けないからな?」
「いやそれはどうでもいい。ちょっと気になることがあるんだよね」
弁当を離しながら警戒を露わにするも、汐美は呆れた表情で冷静にツッコむ。
その折りに発した疑問につられてか優成が軽く首を傾げる。
「澄の何が気になるんだ?
「最近なんか調子良いじゃない? だからいいことでもあったのかなって」
「いいことって、別にないぞ」
言われて一瞬、ドキリとしながらも澄はなんでもない風を装う。
心当たりがないといった調子の澄と異なり、優成は腑に落ちた様子で頷く。
「確かにな! テスト前の時といい、最近の澄は活き活きしてる感じがするぜ」
「でしょ? 疲労が少なくなってるというか顔色も良くなってるし、絶対に何かあったとしか思えないのよ」
「へぇ~……」
他人事のような相槌を打つが、その内心では冷や汗が出そうな程に焦っていた。
友人の変化に気付ける二人の心配りはありがたいが、灯依との関係を隠したい澄としてはいっそ恨めしく思ってしまう。
逆に言えばそんな変化を表に出すほど、以前の状態が良くなかったと突き付けられたようなモノだ。
平静を繕う澄の内心など欠片も知らない汐美は何故だかニヤリと怪しい笑みを浮かべる。
「アタシが思うに……気になる人が出来たとみた!」
「っ!」
「お」
なんとも恐ろしい女の勘による指摘に、澄は心臓が飛び出すかと錯覚する程の驚愕に襲われる。
瞬間またも灯依の笑顔が脳裏に浮かび上がり、思考に数秒のノイズが走った。
それ故に硬直してしまったため、優成と汐美には図星だと伝わってしまう。
あからさまな反応を見た二人は案の定、ニマ~っと面白いモノを見つけたような表情になる。
澄が自らの迂闊さを呪うより先に、ガッと肩を掴まれた。
「つれないじゃねぇか親友。そういうことは早く言ってくれねぇと、なぁ?」
「そうそう。奏ちゃん第一だった澄に訪れた春を、みすみす逃すわけには行かないでしょ?」
「どの目線で言ってんだ、それ……」
やたらと分かってる風な面持ちの友人達に小さくない苛立ちが沸き立つ。
(だから灯依さんとはそういうんじゃないって)
そう声に出して否定したいところだが、二人が把握しているのはあくまで異性の存在のみ。
仮に口を滑らそうものなら相当に面倒なことになる。
要らぬ勘繰りはもちろん、教師と生徒という間柄を弄り出してもおかしくない。
言い触らすような真似はしない信頼こそあるが、それとこれとは話が別なのだ。
自分だけならまだしも、灯依にも迷惑が掛かってしまう。
だからこそ尚のこと話すわけには行かない。
しかしこの場で言い逃れをしても、きっと後になって聞きに来るなりして引き下がらないのは目に見えている。
根掘り葉掘り聞こうとするに違いない。
想像するだけでうんざりしそうな追及を、灯依に対する負担を避けるためにも澄は腹を括ることにした。
それは……。
「……最近、隣に引っ越してきた人にちょっと世話になってるだけだよ」
「おおっ!」
「マジでいたの!?」
自分から情報を明かしてしまうことだ。
当然リスクは付き纏うが、一切話さないより一部を敢えて話す方がデメリットは少なく済む。
現に二人の関心が移ろいだのが明らかだ。
「どんな人? 美人?」
「社会人だよ。ゴールデンウィークの最終日、奏が迷子になってな。そんな時に見つけてくれたんだ」
「へぇ~妹ちゃんが切っ掛けなのか」
「いいじゃんそういうの。で、そこから徐々に仲良くなっていったってワケ!?」
滅多に聞かない澄の異性関係の話に、汐美は好奇心に突き動かされるがまま畳み掛ける。
そんなに聞いて面白いのか澄は疑問に思うが、今は質問に答える方が先決だと呑み込んだ。
「まさか。ただの隣人だよ。廊下ですれ違ったら挨拶して、たまに作りすぎたらってお裾分け貰ったりする程度の」
「いやいや流石にそれだけじゃ、澄の調子が良くなったりしないでしょ? 絶対に浅からぬ関係とかに……」
「なってない。隣人以上の感情はないから」
「澄にその気がなくとも、むしろ隣人さんの方が──」
「相手は社会人だぞ? あるわけないって」
あくまで普通の付き合いだと徹底した態度で返す。
そう、灯依が気に掛けてくれているのは隣人だからで、決してそういった感情があるワケでは無い。
ましてや生徒と教師なのだから。
頑として何も無いと答える澄に対し、汐美は腑に落ちないといった面持ちを浮かべる。
「なぁんか意固地になってない? なんでもないって自分に言い聞かせてるみたい」
「っ……んなバカなことあるか」
「まぁまぁ仁菜沢ちゃん。澄だってお年頃なんだよ」
「あー、俺は恋愛とかに興味ねーし、とかいうやつ? やだ~。澄くんったら意外と子供っぽい」
「もうそれでいいよ……」
一瞬、息が詰まる程の図星を衝かれるが、優成の的外れな擁護によって汐美は異なる解釈をしてくれた。
別の意味で悩みの種が増えた気がしないでも無いものの、これ以上追及されないならと澄はわざと折れる素振りを見せる。
「まぁなんにせよ、澄の調子が良くなったなら奏ちゃんも嬉しいだろうね」
「なんでそこで奏の話になるんだよ?」
汐美の真意が分からず、澄は疑問を露わにして彼女に聞き返す。
そんな彼の質問に対して、汐美はやれやれという風に肩を竦める。
少しだけイラッとしたが、ひとまずは話を聞こうと耳を傾けた。
「四歳だからって何も考えてないワケでも、何もかも理解出来てないワケじゃないんだよ? 自分の面倒を見るのに忙しくしてるお兄ちゃんに、奏ちゃんがただ無邪気に甘える子だって思わないことだね。あの子、ちゃんと人の顔色を見てるタイプだから」
「断言するのかよ」
「何回か会ったことあるし、これでも一応はお姉ちゃんなもんで」
「……忠告どうも。頭の片隅に留めとく」
「うむ、そうしたまえ」
友人からの確信めいたアドバイスに礼を告げる。
それを受け取った汐美は大仰に頷いた。
(最近のワガママ振りを思うとそうは見えないけどな)
時間が許す限り灯依に甘えたがる妹のワガママを思い返して、澄はどこか考えすぎだろうと楽観視する。
それが間違いだったと突き付けられるとは毛ほども思わずに。
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