20話 灯依の手料理


 灯依の家で彼女の手料理をご馳走になると決めて十数分後。

 テーブルには完成したばかりのオムレツが三人分並べられていた。


 どうやら奏からリクエストがあったらしく、ちょうど冷蔵庫の中も足りたため問題なく作れたそうだ。

 またしても謝る内容が増えたなと嘆息しそうになるが、食事前にそんな真似をしたら空気が悪くなると堪えた。


 実際、灯依の手製オムレツを前にした奏はただでさえ円らな瞳を一際輝かせている。


「わ~! ひぉちゃんのおむれつ、きらきらしてる!」

「ふふっ、ありがと」


 宝石を目にしたように喜ぶ奏からの称賛を受け、灯依は照れくさそうに頬を掻く。


 彼女の作ったオムレツは具が一切はみ出ておらず、それらを包む卵にも焦げや破れなども見当たらない。

 加えてただ皿に乗せられているワケでは無く、海に浮かぶ島のようにオムレツをデミグラスソースが囲んでいた。

 当然それだけの量であるため、ソースも煮込んで作ったのだろう。


 慣れていないといずれも綺麗に出来ないのは澄も身に沁みているため、ケーキ同様に灯依の技量には感心するばかりだった。


 いつまでも見ているのも勿体ないと、三人で食卓を囲んで手を合わせる。


「頂きます」

「いただきまぁす!」

「はい、召し上がれ」


 スプーンをオムレツに差し込むと、フワリと芳醇な肉と野菜の香りが鼻を通る。

 刺激された食欲に突き動かされるまま、ソースに絡めて少し冷ましてから一口頬張った。


「美味い!」

「ん~!」


 澄と奏は目を見開き、その美味しさに感動を隠せない。


 挽肉はもちろん硬くなりがちな野菜も食べやすい柔らかさになっており、卵とソースもくどくないスッキリした味わいだった。

 叶うなら調理法を教えて欲しいくらいで、今まで食べたオムレツでもトップクラスだと思える。


「二人とも、美味しそうに食べてくれて良かった」

「ひぉちゃんのおむれつ、とぉくんのよりおいしー!」

「んぐっ!?」


 しかし幸せな気持ちに浸っていたのも束の間、無邪気な妹の一言で危うく喉を詰まらせそうになってしまう。

 確かに自分と灯依とでは明らかな技量差はあるが、こうもストレートに比較されるとショックを隠せない。

 少しむせながら澄は奏の肩を軽く小突く。


「……そんなこと言うならもう何も作ってあげないからな?」

「いいもん! ひぉちゃんにおねがいする!」

「灯依さんに手間掛けさせるなって」

「とぉくんのイジワル!」

「ふ、二人とも落ち着いて、ね?」


 ムッと睨み合う兄妹を灯依が苦笑しながら宥める。

 彼女の前で幼い妹と口論するのは格好が付かないと思い、澄は小さく息を吐いてから再び食べ始めた。

 奏も再開するがプイッと兄から顔を逸らしており、如何にも不機嫌だと態度で示していた。


「えっと奏ちゃん。嫌いな食べ物ってある?」

「? ん~ん。かな、すきなのいっぱい!」

「そっか。それじゃ奏ちゃんのお兄ちゃんは凄いね」

「っ!」

「どーして?」


 何か納得した様子の灯依に対し、奏は理解できず首を傾げる。

 澄もいきなり褒められたことに驚き、自然と灯依の方へと顔を向けた。


 疑問符を浮かべる兄妹の見て彼女は『やっぱり兄妹だね』と微笑みながら続ける。


「だって奏ちゃんが好き嫌いしないように、いつもご飯を食べやすく作ってくれてるんでしょ? そうやって家族のことを考えてくれるお兄ちゃんの料理は、世界で一番優しいと思わない」

「……んっ」


 幼い奏に伝わるように、柔らかな口調で灯依が諭す。

 その言葉に反論せず奏は唇を尖らせながらも頷く。

 灯依はちゃんと伝わった安堵から小さく笑い掛け、そっと小さな頭を撫でる。


「私の料理を美味しいって褒めてくれるのは嬉しいけど、お兄ちゃんの料理は世界に一つしかないんだから、要らないなんて言ったらもう食べられなくなっちゃうよ」

「やっ……! かな、とぉくんのごはん、すきだもん!」

「だったら、ちゃんとお兄ちゃんに言わなきゃ」

「ん……」


 灯依の促された奏は、顔を伏せながらも兄へと身体を向けた。

 そのまま小さな手を澄の手の甲に乗せる。


「とぉくん、ごめんなさい」

「……いいよ。元からそんなに怒ってないから」

「ほんと?」

「嘘言ってどうするんだよ」


 あっさりと許されたことがすぐに受け入れられないのか、顔を上げた奏は目を丸くする。

 そんな妹にツッコミを入れつつ、澄がボスッと頭に手を乗せた。


「にゅっ……えへへっ」


 可愛らしい声を漏らしてから、堪えきれないといった風に笑い出す。

 その表情を見ていた澄も自然と口元が緩む。


 続け様に灯依へと顔を向ける。


「灯依さん、ありがとうございます」

「私は大したことしてないよ。奏ちゃんが聞き分けてくれたおかげ」

「けど俺一人だったらお互いに意地を張り合って、すぐに謝らなかったと思います。だからこんなに早く済んだのは灯依さんが居てくれたおかげッス」

「澄くん……」


 念を押すように感謝の言葉を送られた灯依は目を見開く。

 喧嘩する手前で仲直り出来たのは、間違いなく彼女が手を貸してくれたからこそだ。

 そうした肯定感を示すことで、少しでも灯依の低い自己評価が改まれば良いと思っている。

 無論、澄にとってそんな打算はもののついででしかない。

 純粋に兄弟の仲を取り持ってくれた感謝は本物だ。


「ふふっ」

「? 何か面白いことでもあったんですか?」


 しばらく茫然としていた灯依が笑い出し、澄は率直な疑問から問い掛ける。


「うん。澄くんって高校生なのにしっかりしてると思ってたけど、意外なことで拗ねてちょっと可愛かったなって」

「っ……自分でもみっともなかったって反省してます」

「みっともなくなんかないよ。ちゃんと仲直り出来たんだから」

「……ぅす」


 年上の女性に可愛いと言われ、得も言われぬ恥ずかしさに駆られて顔を逸らす。

 そんな澄の表情を見て灯依は微笑ましげな面持ちを浮かべる。


 話が一段落したところで三人は少し冷めてしまったオムレツを食べ終え、澄はすっかりご機嫌な奏を連れて自宅に帰った。

 溜まっていた家事に追われたものの、食事の手間が省けたおかげで時間は掛からずに済んだ。

 近い内にお礼をしようと密かに決意しながら澄は妹を寝かし付ける。


「すぅ……すぅ……」


 灯依とたくさん話したからか、奏は普段よりも早く寝入った。

 膝枕中に眠った自分も、灯依からはこんな風に見えていたのかと思い出してつい悶えてしまう。


 父の夕食を用意し忘れていたことに気付いたのは、帰宅した父と会話している最中だった。

  

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