9話 お誘いと提案


「とぉくん、やくそくまもってね?」

「……分かってるよ」


 奏に灯依ひよりと会う予定を決めると約束した翌日。

 今日も保育園に送ったところ、約束を覚えていた妹からしっかりと釘を刺されてしまう。


 破るつもりはないのに改めて口にする辺り、どれだけ灯依に会いたいのかが窺える。

 しかし何も保育園の先生や他の園児達が居る時に言わなくても、と考える澄は苦笑いを浮かべつつ首肯した。


 そうして澄も登校して教室に着くと、その到着に気付いた優成ゆうせいが近付いて来た。


「よっ。告白は無事に断れたみたいだな」

「おはよ。無事っていうか、相手には泣かれたけど」

「そいつはどうしようもねぇモンだろ。澄も断った割りに案外普通で安心したわ」

「……振った側が引き摺ってても仕方ないし」

「それはそうだ」


 告白の件で心配していたらしい優成の言葉に、澄は少しだけ気まずさを感じながら返す。


 優成が口にしたように、今までは告白を断ってから三日程は罪悪感に苛まれていた。

 今回はそうなっていないのは恐らく灯依に撫でられたおかげだろう。

 尤も彼女から口外禁止されている以上、澄としては詳らかに出来ない。

 必要とはいえ友人に隠し事をする後ろめたさから気まずくなってしまうのだ。


 そんな内心に気付かないまま、優成は『次はいい出会いになるといいな』と他人事な感想を述べてから自分の席へ戻って行った。


 そうして予鈴が鳴り、授業が始まる。

 今度は上の空にならないように注意するものの、頭の片隅にはどうやって灯依に予定を尋ねるかがチラついていた。

 妹との約束がなければただの変質者じゃないかという頭痛の種を感じつつ、昼休みの頃にはなんとか訝しがられない案が浮かんだ。


 早速実行するべく優成ゆうせいと昼食を食べた澄は、ノートを持って職員室へと向かう。

 ノックして『失礼します』と一声掛けてから入室し、サッと職員室内を見渡す。


 そして今日も勤務中は地味な装いの灯依ひよりを見つける。

 澄はやや緊張した足取りながら、彼女の席へと近付いていく。

 自身の元へ歩いて来る澄の存在に気付いた灯依が、眼鏡越しに目を丸くしていた。


 まさか昼休みに接触してくるとは思わなかったのだろう。

 そんな驚きを齎した澄は、精一杯の愛想笑いを浮かべながら口を開く。


筑柴つくしば先生、こんにちは」

「こ、こんにちは。どうしたの?」

「昨日の授業を復習していたら、分からないところがあって聞きに来たんス」


 困惑した様子の灯依に要件を述べる。

 当然、他の教師に怪しまれないための方便だ。


 澄は彼女にしか見えないようにノートを広げ、そこにある一文を指しながら要件を口にする。

 その内容は……。


【奏が会いたいって言ってるんですけど、いつ頃なら空いてますか?】


「!」


 本来の質問を目にした灯依が顔を上げて澄を見つめる。

 さながら『それを聞くために来たの?』と眼差しで問う彼女に向けて首肯した。


 少し逡巡した後、灯依は席を立って教材を片手に澄へ微笑みかける。


「ここだと他の先生の目も気になるだろうし、保健室にでも行く?」

「えっと、それじゃお願いします」


 提案に頷き、二人揃って職員室を出る。

 どうして空き教室ではなく保健室なのだろうか、そんな疑問を懐きながらも彼女の後に付いて行く。


 一分と掛からずに到着し、灯依は保健室のドアをノックをしてから開ける。

 中をサッと見渡したところ、養護教諭の基谷もとや先生の姿はなかった。


「その、基谷先生が居ないのに入っていいんっスか?」

金子かなこちゃん──基谷先生からは、生徒の相談に乗る時に使って良いって言われてるから、久和君が心配するようなことは無いよ」

「そッスか……」


 下の名前で呼んだ辺り仲は良い方らしい。

 そんな関心をする澄を余所に、灯依は遠慮する素振りを見せないままテーブル前の椅子に腰を下ろす。

 澄も続き、彼女の対面の位置に座った。


 そうして一息ついたところで、早速という風に灯依が口を開く。


「それで奏ちゃんが会いたがってるって話だったよね?」

「はいッス。今日、絶対に予定を聞くようにって約束させられたくらいなんで」

「ふふっ。お兄ちゃん使いの荒い妹だね」


 奏がワガママを言う様子を浮かべたのだろう。

 灯依は微笑ましそうな感想を口にする。


「でもわざわざ学校なのはどうして? せっかくのお隣さんなんだし、家に来たら予定くらい答えたよ?」

「うっ」


 その至極当然な言葉に澄は堪らず息を詰まらせてしまう。

 灯依の言うとおり、学校でなくとも彼女は隣に住んでいるのだから予定を尋ねること自体は容易である。

 澄とてそう考えなかった訳ではない。


 それでも実行しなかった理由というのもあり……。


「いや、えと……仕事で疲れてるのに、こっちの都合で邪魔するのは申し訳なかっただけっス」

「確かに教師は大変だけど、何も近所付き合いも出来ないって程じゃないよ。次からは遠慮しないで家に来てね」

「……」


 用があれば来て良いと歓迎ムードの灯依を見て少しだけ……ほんの少しだけ澄の心に不満が募った。

 警戒する以前に子供扱いされているようで、なんとなく気に食わないのだ。

 だから注意喚起も兼ねて、澄は拗ねるような口調で問題を指摘した。


「──そう言われても、恋人でもない男を部屋に入れるのは良くないと思うんスけど」


 安易に異性を部屋に招き入れた結果、襲われたとしてもおかしくないのだと。


「へ? ……~~っ!」


 そんな彼の言葉を受けた灯依は、ポカンと目を丸くして呆ける。

 程なくして澄が言わんとすることを察したのか、カァッと顔を赤く染め上げていく。


 赤い顔を隠すべく両手で覆い、チラリと指を隙間から涙目で澄を見やる。


「……エッチ」

「ちょ、俺はただ常識として言っただけで、そんなつもりは無いッスから!」


 とんだ濡れ衣を着せられた澄は両手を掲げ、注意以外の意図は無いと主張する。

 ましてや生徒と教師の間柄でそんな関係を持つわけにはいかない。

 なんとか宥めようとする澄に灯依はジト目を向けたまま続ける。


「分かったけど……なんだか自分に魅力が無いって言われたみたいでショックだなぁ」

「そこまで言ってないッス……」


 いじける灯依を面倒くさいと感じつつ過言だと否定する。


 むしろ澄からすると授業中ならともかく、素の彼女は魅力的だと感じさせられる程だ。

 尤も口に出せばややこしいことになるので言わないが。


 ともあれ予定を聞くためだけに部屋へ行くのはいけないと、灯依も理解してくれた。

 であるならばどうしたものかと二人で頭を悩ませる。

 やがて灯依がパッと何かを閃いたような面持ちを浮かべた。


「何か思い付いたんですか?」

「うん。とっても簡単なこと」

「簡単?」


 どんな案なのか聞き返すとなんとも要領を得ない返答が出される。

 正直なところご褒美と称して頭を撫でる灯依の案には、あまり期待できないのが澄の本音だ。


 そんな生徒の内心も知らず灯依はにこやかな笑みと共に言う。


「──連絡先、交換しよ? そうしたらお互いに予定を合わせやすいでしょ?」

「……」


 如何にも名案だと微笑む灯依に澄は返す言葉を失くす。

 それでは自宅に招くのと大差無いのではないか……そんな感想を浮かべてしまうのも無理もないのだった。


「えぇっと、筑柴つくしば先生はそれでいいんですか? 生徒と個人的な連絡とか……」

「こうやって何度も学校でこっそり話すより、スマホでやり取りした方がリスクは低いと思うけど?」

「ぐっ、尤もなことを……」

「それに久和君は他の誰かに人の連絡先を教えたりしないでしょ? だから大丈夫だよ」

「お……」


 確かな信頼を含んだ言葉に何も言えなくなってしまう。

 まともに関わるようになってまだ一週間も経っていないのに、そこまで信頼を寄せられるとは思ってもみなかったからだ。


 それと同等に、灯依と連絡先の交換という事実に胸が沸き立つ。

 妹の望みを叶えようとしていたはずが、気付けば棚からぼた餅が起きていた。

 理性的に見れば灯依の言葉に根拠など皆無に等しい。

 しかしそれでも……澄の心に浮かび上がった答えは酷く単純だった。


 ポケットからスマホを取り出し、灯依に差し向ける。


「──あまり人に見られないように気を付けます」

「!」


 澄が出した了承の返事に、灯依は澄んだ瞳を丸く見開く。

 驚きか……出来れば喜んで欲しい。


 決して言えない願望を秘める澄に対し、彼女も同じくスマホを手に取る。

 そうして互いに目を合わせ、少しだけ照れ臭さを感じながら連絡先の交換を済ませた。


 スマホの通話アプリに表示された筑柴灯依の名前に、澄は形容出来ない歓喜を覚える。


 なんとか目的を果たせそうだと安堵したところ、二人の耳に昼休みの終了を報せるチャイムが鳴り響く。


「もうこんな時間か」

「あっという間だったね」


 時間を忘れる程の濃密な出来事だったと浸る間もないらしい。

 保健室を出て教室へ戻ろうとした途端、後ろから『久和君』と灯依に呼ばれた。

 澄が振り返れば、彼女は声を届かせるように手を添えながら言う。


「──後で連絡するね。それじゃ授業、頑張って」

「……了解ッス」


 ドキリと胸の高鳴りを感じながら澄は灯依と別れる。


 ニヤけそうな表情が戻るまで腕で口元を隠し、澄は早足で教室へと向かう。

 やはり最近の自分はどこかおかしい。


 心が置いてけぼりな変化に戸惑う中、それでもどこか誤魔化しきれない嬉しさに浮き足が経ちそうだった。

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