8話 ひぉちゃんにあいたい!
「
「とぉくん!」
保育園の先生に呼ばれた奏は、迎えに来た
元気いっぱいな様子に安堵しつつ、妹を受け止めてから先生へと顔を合わせた。
「今日もありがとうございました」
「澄君こそいつもお疲れ様」
「兄貴として当たり前のことッス」
軽く会話を交えてから、澄は奏と手を繋いで帰路につく。
「キ~ラキ~ラひ~か~る~♪ お~そ~ら~の~ほ~し~よ~♪」
奏は保育園で習ったきらきら星を気に入ったようで、満天の笑みで口ずさんでいる。
にこやかな妹の表情を眺めている澄も、和やかな気持ちになっていく。
こうして奏が元気で居てくれるだけで十分に満たされている。
そう思っていたはずだが、澄はふと空いている手で自身の頭に触れた。
(手付き、すげぇ心地良かった……)
思い返すのは
あれから三十分程経っていても、あの時に過った心地良さと安心感は鮮明に覚えている。
奏もあんな風に撫でられたら嬉しいのだろうか。
今度、時間があればコツでも聞いてみようと考えていると、いつの間にか奏は歌うのを止めて澄を見つめていた。
「奏? どうかしたのか?」
「とぉくん、あさよりげんきさん?」
「元気さん?」
「ん~っとね、いつもよりニコーってなってるの! うれしーことあったの?」
「んん?」
奏の言いたいことを咄嗟に呑み込めず、首を傾げながら整理していく。
体力的には少なからず疲労はあり、告白を断ったことによる気疲れもある。
それがどうして朝より元気になっているのかという疑問が浮かぶ。
自覚の無い変化の元になったであろう原因、今日までと違うことが無かったか思い返して……一つだけ確かな心当たりに行き着いた。
(……まさか、
ありえないと思いたいが他に心当たりはない。
反面たったそれだけのことで、顔に出る程に浮かれていたという自分が恥ずかしくなって来る。
確かに灯依に撫でられた心地良さに癒やしを感じたが、あまりに単純すぎる自身に呆れを隠せない。
それも幼い奏に変化を指摘されるなど、穴があったら入りたいレベルだ。
色々と複雑な心境ではあるものの、害はないのだと割り切って思考を終わらせる。
「奏。今日の晩ご飯は何が食べたい?」
「ん~……オムライス!」
「オッケー」
今朝に確認した冷蔵庫の中身を思い出しつつ、兄妹はゆっくりと帰路を進んでいく。
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「ごちそーさま!」
「はい、ごちそうさま」
澄手製のオムライスを食べ終えた奏が満足げに微笑む。
母が亡くなってから多忙な父に代わって料理を作るようになったが、こうして笑顔で食べて貰えると嬉しくなる。
少し前までピーマンが苦手な奏のために、あれこれと試行錯誤したことも良い思い出だ。
妹の口の周りに付いたケチャップを拭き取り、食器の片付けを済ませてから入浴に移る。
「奏、髪を洗うから目をぎゅーってして閉じような」
「うん!」
兄の声掛けに従った奏は、髪を洗い終えるまでジッと大人しくしてくれる。
赤ん坊の頃の入浴はそれはとても苦労したもので、自分以外の髪を洗うことにも慣れるまで時間が掛かった。
髪と体を洗い終え、二人は湯船に浸かる。
全身を包む温もりに安らぎつつ、妹が溺れないように注意を払う。
「ごー、ろーく、しーち、はーち……」
当の奏はというと、湯船に入ったら百を数えるために丁寧に集中していた。
そんな様子を微笑ましく思いながら澄も一緒になって数えていく。
やがて奏が百まで数え終えたのを機に湯船を出て、濡れた体を拭いて寝間着に着替える。
首にタオルを掛けたままリビングに向かい、澄はドライヤーで奏の髪を乾かす。
これも初めたての時は熱いと泣かせてしまったモノだ。
しっかりと渇かしてから、自分の髪にもドライヤーをかける。
そうして入浴を済ませ、夕飯の買い物ついでに購入したインスタントのココアを二人分入れた。
なんとなく飲みたくなっただけだと、決して灯依は関係ないのだと、澄は誰に言うでもなく言い訳を浮かべる。
「おいしー!」
「良かった」
奏はニコニコと好評を口にするが、澄自身としては些か不足だと感じてしまう。
少し水っぽい上にコップの底にダマが出来てしまっており、灯依が入れたようなまろやかさが無いのだ。
やはり普通に入れても彼女と同じ出来にならないらしい。
そんな穏やかな時間を過ごし、午後八時を過ぎた頃だった。
「とぉくん。ひぉちゃんにあえるの、いつ?」
「え? えぇ~っと……」
投げ掛けられた問いに澄は咄嗟に答えられない。
確かに灯依とまたプライベートで会う約束はしているが、それがいつなのかまでは決めていないからだ。
子供の自分達とは違い、土日だからといって教師の彼女と休みが合うとは限らない。
いくら灯依が受け入れてくれても、それに甘えるのはどうしても躊躇ってしまう。
……などと真っ当な理由を挙げたものの、単に澄から誘うことが恥ずかしかっただけの話である。
とはいえハッキリと次に会う時期が決まっていないのは事実。
故に兄の反応から望む返答が聞けないと察した奏は、あからさまに不満を露わにする。
「あいたい! ひぉちゃんにあいたい!!」
「わ、分かったからあまり大声出すなって。明日、兄ちゃんが聞いてみるから」
帰宅しているのかは分からないが、隣に住んでいる灯依に聞かれていないかヒヤヒヤしながら、頬を膨らませて地団駄を踏む妹を宥める。
「む~やくそく!」
「……おぅ」
一応は納得してくれたものの、反故にされないようにするためか奏は右手の小指を差し出した。
退路を断たれてしまった澄は苦々しい面持ちを浮かべながら指切りを交わす。
どうやって予定を尋ねるか頭を悩ませながら、ふと灯依の部屋がある方へ顔を向ける。
(……今頃、何やってんだろ)
話題に挙がったからかそんな疑問が浮かび上がるが、すぐさま首を横に振って雑念を払う。
こんなあからさまに意識してはただ気持ち悪いだけだ。
昨日といい今日といい、なんだか自分が自分でないような違和感が続いている。
悩ましいことに不快さはなく、むしろ心地良さを覚えてしまうのだ。
迷子になった妹を助けてくれた美女が、たまたまクラスの副担任だった。
たったそれだけの切っ掛けで、こうも心を揺さぶられてしまうのが落ち着かない。
答えの出ない問題に直面したような気持ちを懐いたまま、夜は更けていくのだった……。
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