7話 頑張っているお兄さんへのご褒美
(なんで
だがよく考えなくても自ずと答えが浮かぶ。
すぐさまそう結論付ける。
しかし灯依の表情はどこか気まずそうで、何か口にしようとして言い淀む様子が見受けられた。
やがて彼女は澄へ苦笑いを向ける。
「び、ビックリしちゃった。さっき金井さんとすれ違ってね? なんだか泣いてたみたいだから屋上で何かあったのかな~って思って来たんだけど……」
「そ、そうッスか……」
怖ず怖ずとした調子で灯依から理由を聞かされ、澄は天を仰ぎながら目元を手で覆った。
直接見られたワケではなかったようだが、泣きながら去る女子と擦れ違い、その先にいたのが男子だと分かれば状況は容易に察せられる。
だからこそ灯依は気まずそうな面持ちをしているのだろう。
澄としては結局告白現場を見られたのと等しい、複雑な心境にならざるを得ないが。
「……まぁ、大体は
「え?! お、屋上でそういうのって本当にあったんだ……」
言い訳しても無駄だろうと素直に肯定すると、灯依は驚きつつもどこか憧れの光景を目にしたような嬉しさが滲み出ていた。
少しだけ引っ掛かったものの、敢えて追及する必要は無いと疑念を振り切る。
「でも納得。久和君って大人びててカッコイイから、告白されてもおかしくないよね」
「っ。別に褒められるようなことじゃないッス」
当然だと言わんばかりに投げ掛けられた称賛に、澄はむず痒い感覚を懐きながら顔を逸らす。
二人きりだからなのか彼女は授業中と違い緊張した様子は無く、自然体で接してくれる事実に浮き足が立ちそうだった。
「ぶっちゃけ、俺よりも筑柴先生の方が告白されてそうですけど」
「私? 一度も無いよ」
「え?」
照れ隠し気味に返した問いに対し灯依はケロリと経験がないと返した。
意外な返答に澄が目を丸くするが、彼女は買い被りすぎだという風に照れ笑いしながら続ける。
「だって小学校から大学までずっと女子校だったから」
「それはまた凄いッスね」
「単純にお父さんが過保護なだけだよ」
驚き半分で感想を述べた澄に灯依が苦笑しながら返した。
どこか無防備だとは思っていたが、教師になるまで家族以外の異性と関わりが薄かったとなれば腑に落ちる。
ベクトルは違うが妹が居る身として理解出来なくもないが、父親の溺愛は些か行き過ぎているとしか言えない。
そんなことを澄が考えているとは露も知らず、
「告白を断ったのは……やっぱり奏ちゃんのため?」
「……はい。仮に彼女を作ったとしても、俺の優先順位は奏が一番っていうのは変わらないんで」
「う~ん。確かに恋人の自分より優先されたら寂しいかも」
「まさにそういうことッス」
澄達の父親は休日も仕事で家に居ないことが多いため、デートに出掛けようとすれば奏も同伴する形になるだろう。
かといって妹の成長を待とうとすれば、相手にはかなりの我慢を強いることにも繋がる。
いくら幼い奏の世話が必要だと分かっていても、恋人と二人で過ごせる時間が少ないとあっては不満は募る一方だ。
そもそも奏が兄の恋人に懐くかすら分からないのである。
そういった積み上がる問題に相対した場合、相当に面倒見が良くなければ同年代の女子では厳しい。
故に澄は恋愛に対して慎重にならざるを得なくなった。
「好意を向けてくれることそのものは嬉しいッスよ。でもやっぱ、奏をほったらかして出掛けたりするのは無理そうッス」
「そっか……」
諸々の事情を聞き入れた灯依は神妙な表情のまま俯く
しかし程なくして彼女はパッと何かを思い付いたかのように顔を上げる。
「久和君。少しだけ頭を下げてくれる?」
「え? なんでですか?」
「それは下げてからのお楽しみだよ」
「なんか怪しいんッスけど……まぁいいや」
何を思い付いたのか訝しむが、早く奏の迎えに行くためにも受け入れることにした。
澄と灯依には十二センチ程の身長差があるため、縮めた方が都合の良いことでもあるのだろう。
そう予想しつつ言われた通りに頭を少し下げる。
どんな意図があるのか伺いながら待っていると……。
「それじゃ失礼するね」
「……ぇ」
掛け声と共に、無防備な澄の頭へ灯依の手が柔らかく乗せられた。
それだけでなく髪を崩さないよう、優しげな手付きで撫で始めたのである。
一瞬、状況を呑み込めずに茫然としてしまうが、遅れて理解が追い付くとブワリと全身に火がついたような熱が迸った。
頭の位置はそのままに視線だけ彼女に向ければ、灯依は頬を赤く染めながらも真剣な面持ちで澄の頭を撫で続けていた。
「っ、つ、
「えぇっと……」
動揺を隠しきれないまま撫でる理由を尋ねる。
問い掛けられた灯依は面映ゆい表情を浮かべながら口を開く。
「お兄ちゃんを頑張ってる久和君へのご褒美、かな?」
「じ、自分からやっておいてどうして疑問形?」
「だって! 何かしてあげたいなって思ったら、今はこれしか浮かばなくて……」
半目を向ける澄に問われた灯依がワタワタと焦りながら返す。
なんだそれと思っても声に出さなかったのは、久しぶりに頭を撫でられた心地よさから離れたくなかったからだ。
(最低かよ、俺)
灯依の優しさに漬け込む自分がイヤになりそうだった。
だがそんな卑下を口にしてしまえば、彼女の気遣いを無下にするのと同じだ。
せめて変な考えはしないようにと理性を働かせつつ、灯依がこの行動に出た理由について聞くことにした。
「……その、兄を頑張ってるからって撫でる意味が分かんないッス」
「そのままの意味だよ。奏ちゃんのために頑張ってる久和君を褒めたくなったの」
「幼い妹のためなんで、普通のことッスよ」
「私は、そうは思わないかな」
「え?」
当たり前のことだという返事を灯依は否定した。
そして包み込むような慈しみが籠もった微笑みを讃えながら澄と目を合わせる。
「私にも妹が居るって話したでしょ? 自分なりに面倒を看てきたつもりだけど、いくら家族のためだからって、高校生の時の私じゃ出来る気がしないんだもん。だから久和君が凄く頑張ってるんだってことが分かるの。そんなキミを褒めたくなる方こそ普通だと思わない?」
「──っ!」
買い被りすぎじゃないか。
そんな謙遜すら声に出せない程に心が揺さぶられた。
もし灯依と対面していなければ、つい涙を零してしまいそうな感動に困惑を隠せない。
そうでなくとも澄の鼓動はうるさく鳴っており、表情だって繕いようがないくらいに赤くなっているだろう。
それでも顔を隠す気にならないのは、灯依の優しげな眼差しから逃れたくなかったからかもしれない。
「なんだか、私達ってそっくりだね?」
「へ?」
またもやとんでもないことを口走る灯依に、澄は思わず目を丸くして聞き返す。
しかし言い出した当人は気付かない様子のまま続ける。
「青春から離れた生活をしてるとこ。さっき小学校から大学まで女子校だったって話したでしょ? だからなんて言えば良いのかな。告白みたいな如何にもな青春って、ちょっと羨ましいなって思っちゃうの」
「……」
小さくはにかむ灯依が零した羨望に、澄は返す言葉を失くす。
「教師になったのも、皆と一緒に学校生活を送っていれば、少しは青春を味わえるかな~なんて不純な理由だったりするんだ」
「……不純っていうより、可愛い方だとは思うッス」
「そこはツッコまなくて良いの!」
予想よりも自分本位な理由に軽く冗談交じりで返すと、灯依は頬を膨らませて反論する。
少なくとも今の授業進行では青春を味わうどころか、生徒に馴染めるかさえ怪しいのだがそこは言わないでおいた。
やがて気は済んだのか、灯依はそっと澄の頭から手を放す。
澄は否応でも名残惜しさを感じてしまうが、彼女はまだ勤務中で自分も妹を迎えに行くのだと自制した。
「そろそろ戻らなきゃ。奏ちゃんのお迎えがあるのに長話しちゃってゴメンね?」
「……大丈夫ッスよ」
困惑こそしたものの不愉快な気持ちは一切無い。
むしろ灯依のような美人に撫でられて得ですらあった。
無論、本人には決して伝えるつもりはないが。
澄の返答に頷いた灯依は屋上の入り口まで進む。
そのまま中へ戻る……と思いきや、ドアから顔を覗かせる。
どうしたのだろうかと首を傾げる澄に対し、灯依は口元に人差し指を添えてニコリと微笑む。
「お願いなんだけど!」
「は、はい!」
「本当の志望理由を人に話したのも、さっきみたいに男の人の頭を撫でるのも久和君が初めてなの。──内緒だから、誰にも言っちゃダメだよ?」
「っ! ……ぅす」
あざとさすらある仕草と共に口外を禁止してから、灯依は階段を降りて行った。
残された澄は立ち尽くしたまま、真っ赤な顔を手で覆いながら手を仰いだ。
ドキドキと大きな音を立てる心臓を落ち着かせようと、胸元に手を添えるがまるで意味をなさない。
そうして幾ばくか冷静になってから、はぁ~っと長いため息を吐いた。
「……それは反則だろ」
本来であれば告白された時に感じるべき情動を、内緒の一言で齎した灯依を浮かべながらそんな言葉を零す。
こんな表情は誰にも見せられないなと自嘲し、校外へ出られるようになるまでさらに十分程の時間を要するのだった……。
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