6話 筑柴先生の授業と慣れない罪悪感


 今朝こそ恥ずかしい思いをしたがその後はつつがない時間が過ぎていき、昼休み後に灯依ひよりが担当する現代文の授業が行われた。


「えっと……沖原さん。二十ページの一行目から読んで貰って良い?」

「はい」


 名指しされた女子生徒が立ち上がり、教科書を見つめながら指定された箇所を読み上げていく。

 私語などは聞こえないが、それはうたた寝をしている生徒が何人かいるだけだ。

 昼休み後で眠くなりやすいとはいえあまり良いことではない。


 だがこうなってしまう理由の一端は、灯依の授業が可も無く不可も無い普通だという要因もあるだろう。

 新米教師であるが故に仕方ない部分はあるが、それでも緊張から声に覇気が無い。

 加えて学校での彼女はパッとしない地味な雰囲気であり、弱い声音も相まって暗いという印象が強くなってしまっているのだ。


 居眠りされていることは灯依も気付いているだろうが、それを指摘した光景はとおるが知る限り一度も無い。

 授業の進行を止められないのか、反感を買うことを避けているのか。


 いずれにせよ今の彼女は二年生間において舐められている。


 しかし灯依は決して暗い性格ではない。

 昨日の様子を授業でも発揮出来れば居眠りする生徒は減るだろう。


(……なんて、学級委員でもない俺が考えても仕方ないけど)


 今すぐにどうこう出来る問題ではない以上、経験を積んで場慣れする以外の解決方法は無い。

 澄は誰に言うでもなくそう結論付けるが……彼自身は不思議と眠気を感じなかった。



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 午後の授業も終えて迎えた放課後。

 保育園で待つ奏を迎えに行こうと澄が席を立った時だ。


「あ、澄。ちょっと良い?」

「どうした、汐美しおみ


 汐美から呼び止められた澄が要件を聞き返すと、彼女はカバンからあるモノを取り出した。


「これ、隣のクラスの友達から澄に渡してって頼まれたの」

「ん? あ~……」


 一瞬目を丸くした澄だったが、汐美から手渡されたモノを目にするや気まずさから口端を引き攣らせる。

 それは薄らピンクがかった長方形の便せんだった。

 開いて内容に目を通したところ……。


「放課後、屋上で待ってます……か」

「あちゃ~どう見ても告白だな。こりゃ」

「優成……いきなり割り込むなよ。ビックリするだろ」

「悪い悪い」


 その様子が気になったらしい優成も横から顔を覗かせ、驚いた澄へ軽く謝罪する。


「これで何回目だ? ホントよくおモテなもんで」

「優成に比べたら大した数じゃないよ。むしろ俺が相手で良いのかって思うくらいだ」

「自己評価低いねぇ。澄みたいな清潔感あるイケメンってモテるんだよ~?」


 告白されるに足る所以はあるのだと、謙遜する澄の脇を汐美が肘で突きながら語る。

 決して嬉しくないワケで無いが、澄としてはあまり喜ばしいことではない。


「結果はなんとなく予想着くけど、どうすんの?」

「悪いけど断るよ。とてもじゃないけど恋愛してる暇無いし」

「だよなぁ」

「その、出来たら直接返事してあげてくれない?」


 既に答えを決めている澄に対し、汐美しおみは両手を合わせながら頭を下げる。


「奏ちゃんの迎えがあるのは分かってるけど、当人から答える方が諦めがつくと思うし……」


 澄の事情を知った上で渡して来たということは、彼女にとって無視するには忍びなかったのだろう。

 面倒な役割をさせてしまったのもあり、澄は『気にするな』と前置きしてから続ける。


「何も放課後すぐに行かなきゃいけないワケじゃないし、返事くらい良いよ」

「助かる~! 迷惑掛けたお返しになるか分かんないけど、今度学食奢らせてね!」

「りょーかい。んじゃ行って来るわ」

「おぅ。また明日な」

「バイバーイ」


 友人達と別れた澄は呼び出し場所である屋上へと向かう。


 五分も掛けずに着いたそこには、汐美に手紙の仲介を依頼したであろう女子が居た。

 薄茶のセミロングに大人しそうな印象を受ける。

 その当人は澄が訪れたと把握した途端、赤い顔を俯かせて指先をモジモジと弄り始めた。

 大方緊張しているのだろう。


 相手と違って冷静な自分に後ろめたさを覚えていると、意を決したのか顔を上げた彼女がゆっくりと口を開いた。


「く、久和くわ君。いきなり呼び出してごめんなさい。私、三組の金井かない、です……」

「気にしてないよ。それで用は?」

「え、えっとその……」


 少々酷だが要件を尋ねると、金井はただでさえ赤い顔を更に真っ赤に染めて口籠もる。

 緊張を紛らわそうとスカートを握りながら彼女の目が澄を見据えた。


「あ、あの! い、一年の頃からなんとなく良いなぁって思ってて、その……好きです! 付き合って下さい!」


 一世一大の勇気を振り絞ったであろう告白を口にする。

 少なくない情動が心に過るが、澄の中で返す答えを覆す程では無い。


 だからこそ……。


「ごめん。今は恋愛をする気は無くて、妹の世話もあるから金井とは付き合えない。悪いけど告白は受け入れられないんだ」

「っ!」


 せめてもの誠意として腰を折って頭を下げて告白を断った。

 フラれたと悟った金井は小さく息を漏らすのが聞こえ、悲しみを押し殺そうと何度も息を繰り返していく。


 やがて澄が頭を上げれば、予想通り彼女は目に涙を浮かべていた。

 謝ることは簡単だが、そうしたところで金井の心により傷痕を残すだけだ。

 そんな自己満足には付き合わせないためにも澄はただ無言で立ち尽くす。


「あり、がとうございました。実は、汐美ちゃんからも望みは薄いって言われてたんですけど、ちゃんと伝えられて、良かったです。し、つれいします!!」

「……あぁ」


 涙を流しながら金井は屋上を足早に去って行った。

 澄はその背を見送った後に小さく息を吐く。


 何度経験しても告白を断った後の気まずさには慣れそうにない。

 避けられないとはいえ、妹を断る理由に使った罪悪感も沸き立つ。


 だがその奏の世話のために恋人を作らないと決めたのは事実だ。

 今の自分が優先するべきことは、幼い妹が健やかに育つこと。

 そのためにも恋愛にかまける時間は削る必要があった。


「っと、早く行かないとな」


 ぼんやりと感傷に浸る余裕はないと、気を取り直して澄は保育園で待つ奏を迎えに行くために屋上を出ようと足を進める。

 ドアを潜って階段に足を降ろそうとした時だった。


「──久和君?」

「……筑柴つくしば先生?」


 今まさに階段を上って来た灯依ひよりとばったり遭遇したのは。


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