5話 ホームルーム中の副担任は……


 家に帰ってからも奏は大人しく過ごしてくれた。

 灯依ひよりとの約束がなければこうはいかなかっただろうと、とおるは壁を挟んだ先に居る彼女へ感謝の念を懐く。


 そうして日を跨いだ月曜日。

 澄は奏を保育園に送ってから登校していた。


「はよっす、澄。久しぶりだな」

「久しぶり、優成ゆうせい


 二年一組の教室に着いた澄を出迎えたのは、友人である竜峰たつみね優成ゆうせいだ。

 入学した当初に席が隣だった縁から、顔を合わせればどちらからともなく話す仲になった。

 ベリーショートの黒髪に切れ長な目付きが整っている端正な顔立ちが特徴で、バスケ部のエースでもあるため女子からの人気は非常に高い。

 尤も当人はバスケに集中するため、彼女を作る気は無いようだが。


 席に着いた澄に続き、優成ゆうせいも前の席に腰を降ろす。


「始業十分前に登校ってことは、今日も妹ちゃんを送って来たのか?」

「父さんは朝早いし、保育園が学校の通学路にあるから俺が送るのが一番だろ」

「それを毎日だってんだから、誰が見ても立派にお兄ちゃんやってるよなぁ」

「お陰様で保育園の先生達も顔と名前を覚えられたよ」


 からかうような言い方をする優成に澄は淡々と返す。

 初めこそ場違い感から緊張したものだが、一ヶ月経った今ではすっかり慣れたモノだ。


「今日の放課後は?」

「授業終わったら奏の迎えに行くよ」

「やっぱそっかー! 妹ちゃんがいるんじゃ仕方ねぇよな」

「誘ってくれるのは嬉しいけど、ブランクあるし部活はちょっとな」


 澄の返答を聞いた優成は仰け反りながら嘆きを露わにする。

 大袈裟だなと苦笑しつつ、澄は苦笑してやんわりと付け加えた。


 妹の世話のために部活も遊びも付き合えないことが多い。

 そのことを後悔したことはないが、こうして誘われては断るのを繰り返すのは良心が痛む。


「いーよ別に気にしてねぇって。澄のシスコンは今に始まったことじゃねぇし」

「誰がシスコンだ」


 茶化すような物言いの優成に申し訳なさを感じていたとおるは、呆れながら笑みを浮かべる。

 そうして会話が一段落したタイミングだった。


「おっはよー。澄、優成。久しぶりだね」

「おはよ、汐美しおみ

「はよっす、仁菜沢になさわちゃん」


 二人に挨拶をしてきた女子は、フワリとしたボブカットの赤茶髪が特徴のクラスメイト──仁菜沢になさわ汐美しおみだ。

 優成と違い、澄とは中学の頃からの仲である。

 最低限のメイクでも際立つ容姿の持ち主ながら、明るく親しみやすい性格から同学年の中で人気の女子だ。


「澄。奏ちゃんは元気?」

「元気だよ。今朝も保育園に早く行こうって急かして来たくらいにな」

「あはは。口では文句っぽいのに、全然苦じゃないって顔してんじゃん」

「可愛い妹だからな。元気でいてくれる方が嬉しいに決まってる」


 誇らしげに語る澄に、汐美しおみは微笑ましそうな表情を浮かべた。

 その会話を聞いていた優成ゆうせいが小声で『そんなんだからシスコンって言われるんだよ』と独りごちる。


「い~なぁ。奏ちゃんみたいな可愛い妹で。アタシの弟なんか、こ~んな美人な姉に向かってババァとか言うくらい生意気なんだけど」

「奏もイヤイヤ期の時は凄かったぞ。今も俺のことお兄ちゃんじゃなくて、とぉくんって呼んでるし」

「へぇ~。一人っ子の俺からしたら別世界の話にしか聞こえねぇわ」


 弟妹がいる身として共感しあう二人に、優成は少しだけ羨ましそうに感想を口にする。


 そんな和やかな会話の途中で始業を報せる予鈴が校内に鳴り響いた。

 他のクラスメイトに続き、優成と汐美も自分の席へと戻っていく。


「よぉし、席に着いてるな? GW明けのホームルーム始めっぞ~」


 皆が席に着いて程なくクラスの担任がやって来た。

 そして副担任である灯依ひよりは教室の入り口で静かに控えている。

 クラスメイトの誰もが教壇に立つ担任に目を向けていて、灯依の存在に気付いているかさえ怪しい。


 自身も今までなら大して気に留めなかった彼女の様子が気になるのは、間違いなくプライベートの姿を目の当たりにしたせいだろう。


(……やっぱ別人にしか見えねぇよなぁ)


 頬杖をつきながら、夢を見たかのような感想を浮かべる。


 学校での灯依はやはりというべきか、黒髪を引っ詰めた一つ結びにして眼鏡を掛け、薄緑のブラウスに白のロングスカートという地味な装いだ。

 これこそとおるが普段から見掛ける教師としての彼女の姿である。

 改めて見ても昨日の清楚な美女然とした装いとは違い過ぎて、初見では同一人物だと結び付けられそうにない。

 だがどちらも紛れもない筑柴つくしば灯依であることは確かだ。


 それに勤務中の彼女の装いは地味でこそあるが、注視すれば隠されている整った顔立ちが透けて見えた。

 ピンと伸ばされた背筋からは不快感を懐かせない礼儀正しさが窺える。

 一目見て分かる派手さはないものの、一度ひとたび気付けば目を逸らせない確かな魅力が滲み出ているのだ。


 妹同伴とはいえそんな彼女の自宅へと足を踏み入れ、それなりの時間を過ごした事実に澄の心は仄かなくすぐったさを訴える。

 クラスメイトの大半や灯依も担任の話を聞く中、澄だけは脇に控えている彼女から目を離せない。


「!」

「ぁ」


 ふと、視線に気付いたのか灯依が澄の方へ顔を向ける。

 その先にいたのが澄だったのが予想外なのか、海を彷彿とさせる青い瞳を丸くしていた。

 しかし程なくして彼女は声を漏らした彼から目を逸らさないまま、細い人差し指を立てて微笑む。


 ──よそ見してちゃダメだよ?


 まるでそう注意したかのように。


「っ」


 一連の仕草を目にした澄は一瞬だけ思考が真っ白になる。

 そうして出来た空白を埋め尽くすように、頬を赤く染める程の言葉に出来ない情動が湧き上がり……。




「こぉら久和くわ~。先生の話より楽しいこと考えるのは後にしろよ~?」

「うぇっ!? す、すみませんでした……」


 気怠げな担任に呼び掛けられ、焼け石に滝を叩き付けるような衝撃を受けつつ謝る。

 澄の情けない姿に教室内で幾つか失笑が漏れるが、当人は動揺と困惑でバクバクと鳴る胸を押さえるのに必死だった。


 なんとか落ち着かせてから、顔を伏せたままチラリと灯依ひよりを見やる。


「ふふっ……」


 だから言ったのに、という風に彼女は手で口元を隠しながら苦笑いしていた。

 堪えきれずに噴き出してしまったようではあるが。


(うっわぁ、やっちまった……!)


 そんな彼女の反応を見た澄は担任に注意された以上の羞恥心に襲われる。

 自らの過失だと分かっていても、気が逸れた要因である灯依に笑われるのは耐え難かった。

 咄嗟に伏せて赤くなった顔を隠すが、既に笑いの的になっていては手遅れでしかない。


 火照る程の恥ずかしさの中、澄の脳裏には灯依の笑顔が焼き付いていた。

 きっと自分以外の誰も見ていなかったであろう彼女の笑みに、どうしようもなく胸の高鳴りが抑えられそうになかった。

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