10話 焼きたてのココアクッキー


【土曜日の午後なら空いてるから、お昼の一時に来てね!】


 後に送られたメッセージにはそう書かれていた。

 文章なのに灯依ひよりの声が聞こえて来そうで、とおるの表情には無性に笑みが浮かぶ。

 放課後、迎えに行った奏に約束を守れたと伝えれば、繋いだ兄の手を振り回すほどに喜んでくれた。


 それからあっという間に約束の週末が訪れる。

 午後一時前、澄は奏を連れて灯依の部屋の前に来ていた。


 一週間ぶりの灯依の部屋に緊張しつつ、澄は深呼吸をしてからインターホンを鳴らす。

 軽快な電子音が鳴ってすぐ、ドアが開かれた。


「いらっしゃい、二人とも」

「ひぉちゃん!」

「わ。一週間ぶりだね、奏ちゃん」

「うん!」


 会いたがっていた灯依の元へ奏が思いきり抱き着きに行く。

 出会い頭に飛び付かれたものの、灯依は難なく受け止めた。


 今日の彼女の装いはレースがあしらわれた桜色の薄いカーディガンを羽織り、フリルが連なったロング丈の白ワンピースという清楚な私服姿だ。

 長い黒髪もハーフアップに束ねており、初見の人が見ればどこの令嬢だろうかと見紛みまがう程の雰囲気を漂わせている。 

 特に学校での彼女を知っていたら、やはり同一人物と見なされないだろう。


(そういう意味じゃ自分だけ知ってるって感覚は、ズルいけど悪くない)


 澄は笑いあう二人を眺めながら、ぼんやりとそんな感想を浮かべる。

 そんな彼に顔を向けた灯依が微笑む。


「久和君も昨日ぶりだね」

「えと……せっかくの休日なのに、妹のワガママを聞いて貰ってすみません」

「ううん。私も奏ちゃんに会いたかったから気にしてないよ」

「ひぉちゃんも、かなにあいたかった?」

「うん、そうだよ。お揃いだね~」

「おそろい!」


 灯依も同じ気持ちだったと知り、奏はパァッと満面の笑みを浮かべる。

 それでも彼女の時間を割いて貰ったことに変わりはない。


 澄の胸の内の燻りを余所に、灯依は兄妹を自宅へ招き入れる。

 リビングにてテーブル前に二人は並んで座り、対面に灯依が腰を下ろす。


 当然ながら一週間前に来た時と内装は変わっておらず、ココアの香りも同様であった。

 唯一異なる点を挙げるとすれば、テーブルの上にあるクッキーだろう。

 キツネ色とチョコ色の二種類があり、隣のコップにはジュースが入っていた。


 そういえば前回の別れ際に灯依が、次はお菓子を用意すると言っていたと澄は思い出す。

 美味しそうなクッキーを前に、奏は目をキラキラと輝かせる。


「わぁ! くっきーだ!」

「前に約束したでしょ? あ、もしアレルギーがあったら……」

「俺も奏も大丈夫ッス」

「そっか、だったら安心だね。遠慮しないで食べて」

「いただきまーす!」


 灯依から許可が出てすぐ、奏が手に取ったクッキーを頬張る。

 すると妹の円らな瞳が大きく見開かれ、サクサクと聞き心地の良い咀嚼音を鳴らしてからゴクリと飲み込んだ。


「おいしー! かな、これすき!!」

「ふふっ、良かった。手作りだから口に合ってホッとした」

「え、これ手作りなんッスか?」

「趣味で作ってるだけで、お店のモノには敵わないけどね」


 市販だと思っていた澄が驚きを露わに聞き返すと、灯依は大したことではないと愛想笑いで答える。

 奏に続きキツネ色のクッキーを食べてみれば、バターの風味と優しい甘みが口の中に広がり、非常に美味しい以外の感想が思い付かない。

 澄にとっては店売りでも通用すると確信する程だ。


「ホントに美味いッス! よっぽど経験を積んでないと出ない味だって分かります」

「あははっ、お世辞でも嬉しいよ」

「いや本音ッス。前のココアもそうでしたけど、俺は作れないんで素直に尊敬しますよ」

「かな、ひぉちゃんのくっきーがいちばんだいすき!」

「……そう言ってくれるなら、自信を持っても良いかな?」


 澄も家族のために料理こそ覚えたが、お菓子作りの経験は無いだけに彼女の技量に感歎の念を口にする。

 続いて奏の称賛も加わり、灯依は少しだけ前向きに捉えてくれた。


「あ、奏ちゃん。口にクッキーの跡が付いちゃってるね」

「ん!」


 そのお返しという風に灯依が奏の口元を布巾で拭う。

 世話を焼かれて嬉しかったのか、奏が何故だか誇らしげな笑みを浮かべる。


 そしてふと奏は立ち上がり、灯依の膝の上に腰を下ろした。


「ひぉちゃん! なでなでしてー」

「うん、いいよ~」

「ん~!」


 奏の要望に灯依はイヤな顔をすることなく応じてくれた。

 懐いている彼女に頭を撫でられる状況に、妹はまさに満悦といった調子で頬を緩める。

 澄としては気に障ってないか肝を冷やしたが、杞憂で済んだため胸を撫で下ろした。


「ワガママを聞いて貰って申し訳ないッス、筑柴先生」

「頭を撫でるだけなんだから、何もイヤなことなんてないよ。むしろ小さい頃の妹を思い出して微笑ましいくらい」


 澄の謝罪に灯依はなんてことない様子で答える。

 その言葉を聞いてふとある疑問が浮かんだ。


 彼女は度々妹の存在を口にしているが、姉から見てどのような感じ方なのか気になったのだ。

 好奇心に突き動かされるまま、澄は問いを口にする。 


「先生の妹さんって何歳なんですか?」

「今年で高校一年だから十六歳になるかな。それに……実は私達と同じ学校に通ってるの」

「えっ」


 不意に告げられた事実に澄は思わず声を詰まらせる。

 想像よりも遙かに近い距離にいるようだが、思い出せる限りでも彼女が特定の女子と話した記憶は無い。

 愕然とする澄の反応が目論み通りだったからなのか、灯依はクスッと小さく笑いながら続ける。


「もしかしたら何度かすれ違ってるかもね?」

「まるで心当たりがないッス……」


 灯依の妹と聞いてパッと浮かんだ印象としては、大人しそうなイメージしか湧かない。

 しかしファッションやメイクを教わった人物という背景から、もしかしたら灯依とは真逆の性質の持ち主かもしれないと空想する。


「ひぉちゃん、おねーちゃんなの?」

「うん、そうだよ。奏ちゃんのお兄ちゃんと一緒」

「とぉくんといっしょ! なかよし!」

「ははは……」


 奏の問いに対し、灯依が分かりやすく答える。

 一緒だから仲良しというポジティブな妹の結論に、澄は恥ずかしさから渇いた笑みを漏らしてしまう。


 灯依の妹がどんな人物なのか気にはなるが、少なくとも彼女の子供との接し方を身に付けた切っ掛けになる程かもしれない。

 機会があれば姉としての灯依のことを聞いてみようか。

 そんなことを浮かべつつ、澄はココア味のクッキーを頬張るのだった。


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